「思いつき」と「ひらめき」は別モノ
FirstUPDATE2023.1.4
@Scribble #Scribble2023 #物申す 単ページ 江越大賀 思いつき ひらめき 新庄剛志 天才 凡才

前にも似たようなことを書いたのですが、阪神から日本ハムにトレードされた江越大賀にたいする新庄監督の<やり方>を見て、ちょっと思ったもので。っても主題は野球の話じゃありません。

江越という選手はよく言われているように、ボール球を振りまくるってタイプでは、実はないんですよ。
ああ見えて選球眼は<並>で(つまり、けして良いわけではないけど、恐ろしく悪いわけでもない)、じゃあ何であそこまで空振りしまくるのかというと、早い話が「ストライクゾーンの球を空振りしまくる」のです。つまり、投手はストライクゾーンに投げときゃ、悪くてファール、良くて空振りなんだから、こんなラクなことはない。

そこでね、コーチ陣は考えるわけですよ。
天性のパワーを持つとされるんだから(これも実はそこまででもないんだけど)、ストライクゾーンにくる球をバットに当てる確率を上げる方法はないものか?と。
新庄監督は「ホームランを打ったら罰金、とにかくバットに当てろ」なんて指導法をしてるみたいだけど、阪神ファンなら、みな知ってる。

それもうやった

ってね。
江越にかんしては、阪神のコーチ陣だって手をこまねいてたわけじゃない。マジでありとあらゆることをやらせた。何ならスイッチヒッター、つまり左打ちさえやらせた。それでもどうしようもなかった。だから二軍でさえだんだん打てなくなっていったんです。
だからね、正直、新庄監督の<やり方>にたしいて「阪神フロントに懇願してまで江越獲得に熱心だったから秘策でもあるのかと思ったら、ただの思いつきレベルだった」としか思えないわけで。

エントリタイトルでアタシは「思いつき」と「ひらめき」を対比みたいにして使ってるけど、この差って結構大きいと思うんですよ。
アタシが思う「思いつき」ってのは、要するに「それもうやった」ってことなんです。
自分が、でも、他人が、でも、誰かが、でもいいんですよ。とにかく、やるにはやったけど、最終的に上手くいかなかった、というようなことじゃないか。
要するに「事例があるかどうか」は、やっぱり、すごく重要なんですよ。

事例が存在するか否かを知るには、それはもう、歴史の勉強をするしかない。
もちろんこの場合の歴史とは戦国時代とか幕末とかのことではなく、かなりピンポイントに絞った事象の歴史です。
それこそゲームのアイデアが浮かんだとしたら、ゲームの歴史を徹底的に調べる。いやゲームではアバウトすぎるので、タクティカルシミュレーションゲームならタクティカルシミュレーションゲームの歴史だけを徹底的に調査して、資料を精査する。

ゲームを作るのにそこまでしなきゃいけないの?と思われるかもしれないけど、別にやんなくてもぜんぜん大丈夫です。
ただし、それならそれで「今までにない画期的なアイデア」とか言い回っちゃいけない。当たり前ですよ。「今までにない」なんて、調べてもないのに何でわかるんだって話でね。

逆に言えば、徹底的に歴史を調べ抜いて、それでも類似例がなかったりしたら、そこで堂々と「画期的」と言えばいい。
新入社員が「何こんな効率が悪いことをやってんッスか?こうやればいいだけなんじゃないッスか?」なんて言い出す時って、すぐに「上の世代は頭が固い、古い、老害」なんて発想になっちゃうけど、それが「ひらめき」なら、まァ、そうかもしれない。
でも、ほぼ例外なく「それもうやった」っていう、つまりは「思いつき」なんですよ。

日本人は新しいことをやろうとしてる人間の足を引っ張るなんて言うけど、そもそも前提が違う。
まず、新しくない。「それもうやった」ってことばかりでね、過去に失敗例があるのに、またそれやるの?別にいいけど、過去の失敗はどういう形で崩れていったか、そんなことも学ばずに、どうやって成功させんのよ?と。

アタシはね、天才と凡才の境はそこだと思う。
天才ってのは「とくに歴史を学んだわけでもないのに、ほぼ事例のないことが頭に浮かぶ」=「ひらめき」がある人間です。
凡才は「頭に浮かんだことが過去に事例がないか徹底的に調べて、もし似た事例があれば失敗した分岐点を徹底的に洗って「思いつき」につきまとう安直感を如何に消すかに注力する」というか。

え?「それもうやった」ってことしか思いつかず、しかも過去に事例があるのか調べもしない人はって?
それはもう、ただの馬鹿じゃないの?







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