来年からScribbleの方向性を少し変える
FirstUPDATE2022.12.15
@Scribble #Scribble2022 #やぶにらこぼれ #日記 単ページ コラム 時代の缶詰 当日に書く 糸井重里 今日のダーリン

今年も残すところわずかとなりましたが、ま、わずかったってまだ2週間以上あるけど、とにかく鬼が笑おうがなんだろうが、少し、来年の「我がサイト」の予定を書こうかな、と。

「我がサイト」というの、ここ、つまりScribble、そして通称・本サイトのYabunira、あと絶賛閉鎖中の「CrazyBeats」、さらには開設予定の別のサイト、あ、あとYouTubeもあるか。
とにかくアタシがやってるすべてのサイトの予定なんですが、正直言えば未決定のところが多すぎるんですよ。
こないだも書いたように「二度と大規模リニューアルしなくても良いように、超絶大規模リニューアルを敢行する」ってのは決めてるけど、肝心の中身が何も決まってない。サイトデザインはおろかサイトの構成すらまだまだ中途の段階です。

だったら何も書けないだろって話ですが、ひとつだけ、これも細かい構成は決まってないんだけど、Scribbleだけは「来年から方向性を<少し>変えよう」というのは決めているんです。
あ、あくまで<少し>です。つまり全部を変えるわけではない。つか「基本的な方向性はコレだけど、別に多少はみ出しても構わない」感じっつーか。

とにかく2003年になってアタシは自分のサイト、つまりyabuniramiJAPAN(現注・現在のYabunira)を始めたのですが、今の今まで終始一貫徹頭徹尾、yabuniramiJAPANは「コラムっぽいテキストを書く」サイトであり続けました。(中略)コラムを標榜して始めたということは、「日記っぽいことは書くつもりがなかった」ということになります

↑てなことを2019年に書いたのですが、そもそもコラムっぽいってなんなんだ、というのはさておき、とにかくアタシは「日記めいたもの」を書こうと思ったことがないんです。
ただし例外があります。これとて「日記めいたもの」を<標榜>していたわけではないんだけど、偶然、というか、結果的に「日記めいたもの」になっただけなんだけど。

2004年3月から10月まで、アタシは友人の「まとまってなくてもいいから、とにかく毎日更新してみたら?」という示唆を受けて、マジで「まとまりなんか何もない、ただ毎日更新することだけに注力して」やってました。
で、です。先ほど「コラムっぽい」ってのが何なのかって話ですが、強いて言えば「エントリ毎にお題目がある」のがコラムめいたもの、と言ってもいい。
例えば「今日はW杯の日本対スペイン戦の、三笘のプレーの話をします」みたいな感じで、あくまで主題は「三笘のプレー」であり、前段として、また途中で話が逸れたとしても、それはあくまで「三笘のプレー」に結びつくものでなければならない。

しかし日記めいたものは、そこが著しく違う。
仮に「三笘のプレー」について触れていても、それは「その日の出来事の中で起こったことのひとつ」でしかない。もちろん前段も文末の<まとめ>も、三笘のプレーとは関係ないことで構わない、ということになるわけです。
つまりね、「コラムめいたもの」の、文章の主人公は「三笘」なんです。一方「日記めいたもの」の主人公は自分自身。
2004年3月から10月までのエントリは、まさに「主人公は自分自身」であり、だから、あくまで結果的ではあるけど、日記めいたものになっていたわけで。

正直、日記めいたものとなったこの頃の文章は、完成度は著しく低いし、今読み返すとYabuniraらしくない文章とも言えます。
ところが視点を変えて「時代の缶詰」として読むと意外な面白さがある。つまり「その日その時だからこそ書けた」ものになっているので、妙に生々しいし、ああ、この頃ってたしかにこういう<空気感>だったな、というのが表出しているのです。
「こういうのが<流行っていた>」とかとは違う、マジで<空気感>としか言いようがないんだけど、後から読み返してみてね、結局、面白いってこういうことじゃないかと。

アタシは今年に入ってからScribbleの書き方を変えました。それは「一切書き溜めをしない」というね。
それまでは「気が向いた時にガガッと書いて」「エントリの直前に推敲し直す」てな感じでやっていたのですが、それを止めた。だいたいは「書いた翌日にアップする」って感じです。
ま、別に翌日でなくてもいいんだけど、書いてからアップするまでの時間がありすぎると推敲しすぎて生々しさがなくなるのが嫌だった。
そこで、せめて推敲する時間をなくすために「書いたら最高でも3日以内にはアップする」と決めたのです。
これをさらに推し進めて、当日書いて当日アップを貫いたらどうなるか。もっともっと、時代が表出するのではないか。

今は「11時くらいから日が沈むまでの時間にアップ出来たらいいや」みたいな感じでScribbleをやってますが、これを「その日一日が終わった段階で、その時点で気になることを書いていって、夜、寝る前にアップする」みたいな感じにしてみようと。
これは「ほぼ日」で糸井重里が書いてる「今日のダーリン」が「一切書き溜めしない」って話に触発されたんだけど、「今日のダーリン」だって別に「日記めいたもの」にはなってない。なってはないとはいえ、やっぱ、「その日その時だからこそ書けた」ものにはなってるんですよね。

要するにです。
日記めいたものの基本ラインである「主人公が自分自身」であるかどうかは、そこは断言出来ない。さっきの例で言えば「主人公は三笘」ってことになる場合も多いとは、思う。
それでも時代の<空気感>だけは文章に封じ込めたい。だから感覚としては「日記めいたものとコラムめいたものの中間くらい」でやりたいな、と。
そうは言っても、あくまで書き手であるアタシの意識を変えるだけでね、読んでいただいている方からすれば何も変わってないように思われるかもしれないけど、もしひとつだけ、受取手視点であきらかに変わることがあるとするなら、それは「夜にアップする」ことだけです。

その日一日を終えたアタシが感じたことっつーか、考えてることをリアルタイムに書いていく。これが面白くなるのかどうか自信はないけど、とにかくそういうふうにはしたいと思ってる次第で。







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