ナンノコッチャ、と思われるかもしれませんが、邦画独特の何とも言えない辛気臭さって至極単純な話なんじゃないかと思いまして。
よく「○○という芸人は誘い笑いをする」なんて言い方をします。
つまり、何らかのネタを喋った後、まず自分自身が笑ってみせる。そのことで周りも笑いやすくなるというね、まァ技法のひとつです。
でもこの誘い笑いを<卑怯なやり方>と思う人も多いし、たいして面白くない話を誘い笑いだけで面白い話風に見せてるだけ、なんて人もいる。
それは別に良いと思うんだけどね。何故なら、しつこいけど、技法だから。
というかね、ボケる時って基本的にふた通りしかないんですよ。
ひとつは「笑顔で、喋ってる当人が吹き出しそうな感じでやる」か、もうひとつは「極力醒めたツラで奇想天外なことを言う」かのどちらかです。
醒めたツラボケ、つまり後者は松本人志の影響でそういう人が増えたけど、これは相当ボケのクオリティが高くないとまったく面白くない。最低でも「これがこの人の<芸風>なんだ」と認知されるくらいでないと、とんでもない空気になります。
その点、笑顔ボケは最低限の<笑い>が担保されていると言ってもいい。だからネタに絶対的な自信がある場合以外は笑顔ボケしか選択肢がないような。
当たり前すぎるくらい当たり前なのですが、それこそ「カネがカネを呼ぶ」と言われるように「笑顔は笑顔を呼ぶ」のです。周りを笑わせたいなら、まず自分が笑ってみせるってのは当然やるべきことなんですよ。
そう言えば2014年に、黒澤明の不朽の名作「七人の侍」についてこんなことを書きました。
たぶんこんなに登場人物が笑ってる映画はないんじゃないかね。(中略)実は人が死んで思い出すのは、その人が笑ってるシーンなんだよな。だから浪人たちが次々死んでいくシーンで余計胸を突かれる。
こうした笑顔パワーとでもいうのか、は、ナメちゃいけない。
どうしても<笑顔>にたいして胡散臭いイメージが付きまとうんだけど、やっぱ<笑顔>って印象に残りやすいんですよ。
最初に書いたように、邦画が辛気臭いのは「登場人物がシケたツラばかり」ってのも関係あるんじゃないか。というか基本的に邦画ってシケたツラが洋画と比べても多すぎると思うわけで。
まァ、アタシがクレージーキャッツのマニアだから点数が甘くなってるのは認めますが、クレージーキャッツの映画って喜劇ってのを抜いたとしても、邦画の中では笑顔がズバ抜けて多い気がする。だからギャグなんかろくろくなくても、妙に楽しくなるし、妙に笑える。
植木等と言えば「痛快な笑い方」が売りになってましたが、実はコメディアンや芸人でも「あの笑顔を見るだけでこっちも笑顔になってしまう」という人は少ない。エノケンだってドリフターズの人たちだってビートたけしや明石家さんまだって、ダウンタウンだって、みんなちょっと違うでしょ。
というかさ、本来人を笑わせるのに必要な表情って変顔とかではなく<笑顔>なんですよ。
いや、バラエティー番組や喜劇映画でなくても、それどころか逆に深刻な内容だったりホラーだったりね、むしろそういう内容の映画こそ、どれだけ登場人物が笑顔のシーンが作れるか。さっきの「七人の侍」の話の引用にも書いてるけど、悲劇的な結末の映画こそ、観終わった後で思い出すのは「悲劇的なラスト」ではなく「途中の笑顔のシーン」なんです。だから余計に悲劇が引き立つし、ずっと忘れられない作品になるんじゃないか。
こうしたことを見抜いたかのような作品が「ブラックジャック」に収録されている。「笑い上戸」という一編です。
ま、クドクドと説明するのも野暮なので、実際の作品を是非読んで欲しい。まさに「笑顔は笑顔を呼ぶ」「悲劇的な結末ほど、あの時の<笑顔>を思い出す」という、まんま、これまでアタシが書いてきた内容になってますから。
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