イジられ許容
FirstUPDATE2022.11.21
@Scribble #Scribble2022 #プロ野球2022年 #メンタル 単ページ 岡田彰布 矢野燿大 イジり 予祝 色紙 おーん #ダウンタウン

ま、途中まで野球の話ですが、最後までって感じではない、予定。つか完全にアドリブで書いてるのでどうなるか見当もつかないけど。

もう、阪神タイガースの新監督になった岡田彰布のインタビュー記事には、しつこいくらい「おーん」という文字が入っています。
あれ、音で聞くと「ぉおン」って感じなんだけど面倒くさいので「おーん」でもなんでもいい。
まァ、これの発祥っつーか「岡田の口癖の文字化」のはしりは<なんJ>なんでしょうが、これね、はっきり言えば嘲笑のニュアンスがあるのはあきらかで、もっと言えば「イジってる」のですよ。

もし岡田がこの手の<イジり>が嫌いなら、記事を見て「お前ら(←記者連)ええ加減にせえよ。馬鹿にしてんのか」と怒るはずなんです。
でも、現実問題、岡田はどうも怒ってはいないみたいで、というかもし内々にも「止めてくれ」みたいな話があれば、やっぱ続けられないと思うから。

しかし前監督の矢野燿大はこの手の<イジり>が嫌いだったみたいで、<予祝>や<文字職人>のことをイジろうとしたタレントにたいして露骨に嫌な顔をしたらしい。
しかしこれは矢野の方が悪い。関西で<イジり>は親しみの裏返しで、いやもし、それでもイジられるのが嫌なら、もう元からおかしい。格好のネタを提供したのは矢野自身じゃん。むしろあれは「触れない」方が違和感が大きいよ。

これは先日も書いた某不登校中学生ユーチューバーの父親もそうだけど、個人的には何でああまで<イジられる>が嫌なんだろ。
本当にイジられたくないのであれば、もう「目立たずひっそりと生きる」しかないわけで、あれは炎上商法だと言われるわりにはあまりにも<イジり>に不寛容すぎる。
たぶんイジられるのが嫌いな人の根本にあるのは「イジられる=馬鹿にされている」という図式が頭から離れないんだと思う。
というかさ、結局、芸人であろうが一般人であろうが「自分はイジられるような人間ではない」みたいなね、そういうプライドってすごく幼稚なプライドなんですよ。

むしろさ、イジられなくなったら、人間として終わりなんじゃないの?と。
とくに高齢者になった時にね、イジられる高齢者って最高じゃないですか。というかダウンタウン浜田なんかは完全にそっちにシフトしてるし、これは若い時もそうなんじゃないかなぁ。
もう一回言いますが、どうしようもない莫迦を除いて、たいていの場合は<イジり>とは親近感を持ってる証拠なんです。つまり向こうは親しくなりたいと距離を詰めてくれているわけで。

なのにそこで「馬鹿にするな」みたいな態度に出てしまうと途端に距離が出来るし、もう二度とその距離は縮まることはない。
イジってもらえる人は愛嬌があるんです。んでこれまたしつこいけど愛嬌こそ生きる上での最強の武器であり、せっかく相手がわずかかもしれない愛嬌を感じ取ってくれたのに、それを無碍にするなんて、マジでどうかしてる。とくにアタシみたいに愛嬌のない人間からしたら大金をドブに捨てているかのようにさえ、感じるわけで。

話を戻すけど矢野だって「そうそう、<予祝>とか宗教みたいよなぁ。って誰が教祖や!監督監督!!」みたいなリアクションをしてれば、もっと矢野にたいして親しみを持つ人が増えたのにさ。







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