ちょっと、クレージーキャッツの話から書こうと思うのですが、青島幸男の作る歌詞って、今さらながら、かなり絶妙なところを突いてるな、と。
クレージーキャッツソングというと異様にポジティブな歌詞というイメージかもしれませんが、ま、そうとも言い切れないんじゃないかって話でして。
例えば「日本一の色男」他の挿入歌「チャンチキツイスト(だめでもともと)」ならば
♪ 世間のヤツらはなんだかんだ言うがァ
やってみなけりゃわッからないッ
だァめェでもともと やるだけやってみろッ!
これを見れば何となくわかってもらえるかもしれないけど「置かれた状況」にかんしてはむしろネガティブな状況とさえ、言えるわけで、これは「日本一のゴマすり男」の挿入歌である「元気でゆこう」や「負けてなるかよ」も状況的にはあきらかにネガティブなんですよ。
とくに「チャンチキツイスト」に言えることだけど、少なくとも「明るい未来を信じて」とか「やればできる」という精神ではない。どちらかというと「やけっぱち」とか「開き直り」の精神の方が強い。
何たって「だめでもともと」とさえ言ってるんだから、この歌詞の主人公は<失敗>を前提に物事を考えている、とも言えるわけで、これは現今言われるポジティブ思考とは真逆なんじゃないか。
ただし、それでも「失敗が怖いから、やらない」という選択を取ってない。むしろ「失敗するかもしれないけど、何もやらないよりはるかにマシ」とも言ってるわけで、もうこうなるとこの歌詞がポジティブかネガティブかわからなくなってしまいます。
失敗を前提にしていることを重要視すればネガティブ、失敗を恐れずチャレンジを選んだことを重要視すればポジティブ、というふうになってしまうわけで。
つまりね、ポジティブやネガティブなんて簡単に言うけど、本当は表裏一体というか、見る角度によって変化するんじゃないかと。
そんなことよりも、アタシは歌詞の主人公の「やけっぱち、開き直り精神」に感銘をおぼえる。
正論は必ずしも正解ではないし、科学的見地から導き出された答えが誰しもの幸福につながるかというと、つながらない。というか、仮に近似値は出せても結局未来なんて、実際に物事が起こるまではわからない。
あれだけ可視化された詳細なデータがあるのに、誰ひとり当てられないプロ野球の順位予想を見るだけでもそれはあきらかです。
答えがわからない未来にポジティブもネガティブもないわけで、となると「とりあえずやってみる」という答えしかないんですよ。
この「ええい、ままよ!」という感性は生きていく上で絶対に必要なことで、アタシもいろんな人を見てきたけど、成功した人は軒並み「ええい、ままよ!」の精神を持っている。
もちろんデータを活用することは悪いことではない。しかしいくら優れたデータがあろうが結局は「ええい、ままよ!」という感覚になれなければ、つまり失敗を恐れて何もやらなければ何も起きないのです。
データを用いて確率を上げようとするのは当然として、しかし未来なんか見通せるわけがないという現実がある以上、その確率はどこまでいっても100になることはない。逆に言えば完璧な計画を立てても失敗の可能性は数パーセントは残っているのです。
つまり「もしかしたら失敗するかもしれない」というのは消せない。そこで「ならば、止める」となるか「ええい、ままよ!」となるか、ここが成功するかどうかのターニングポイントだと。
とか書いてきたけどさ。
たしかにアタシは青島幸男を敬愛も尊敬もしてるけど、青島幸男がそこまで考えて歌詞を作ってたとはツユほども思ってないんだけどね。