とくに某巨大掲示版あたりが象徴的なんですが、世の中には「オシャレ<っぽいもの>に極度の嫌悪感を示す」層がいるみたいで。
それこそ、以前コスったので深入りしないけど「スタバでMac」が典型的な例だけど、シャレオツ系のものなら何であれ、とにかく不快感をおぼえる、みたいな。
正直、シャレオツ系っつーか意識高い系の何がそんな嫌なのか、それこそシャレオツに親でも殺されたのかくらいの勢いで、罵倒の言葉が出てきてしまう。
かと言って「地べたにしゃがみ込んで酒盛り」みたいな徹底的に意識低い系も嫌ってるみたいだけど、もう、何というか「幅が狭すぎるだろ」と思うっつーか。
いやもう、そんなことはどうでもいいんです。
何が言いたいのかというと、アタシはこう見えて、どう見えてるかわからんけど、とにかく実は「シャレオツ系大好き」なんですよね。
「何だテメエ、ちょっとマニアックっぽいこと書いてるからコッチ側の人間だと思ってたら、完全にアッチ側じゃねーか!向こう行け!シッ!シッ!!」とか思われようがなんだろうが、シャレオツ系が好きなことは変えられない。
ファッションだって、インテリアだって、街並みだって、そんなのシャレオツが良いに決まってる。だから可能な範囲でオシャレな格好をしていたいし、オシャレな部屋に住みたいし、オシャレなスポットに行きたい。そんで何より、オシャレな生き方をしたいと思っている。
と同時に「地べたにしゃがみ込んで酒盛り」みたいな意識低い系も大好き。つまりどっちも好きなんですが、そもそも「意識低い系」と「シャレオツ」って両立するんじゃないかと。
だってね、結局、面白いとは、好きとは何かって話になっちゃうんだけど、多少は突き抜けた<何か>がないと面白くないんですよね。
つまり「オシャレにしようとした形跡はあるけど、至るところに妥協の跡が見える」とか「如何にも意識低そうな行動だけど、自意識やプライドから微妙にカッコつけてしまう」なんてのが個人的には一番嫌で、ま、突き抜けたものが好きってよりは「中途半端に中途半端なもの」が嫌いって言い方が正確です。
というかさ、シャレオツの定義って難しいけど、個人的には「如何に妥協を最小限で抑えようとしたか」だと思うんです。
つまりね、「地べたにしゃがみ込んで酒盛り」だって「妥協せずにここまでやるんだ!」となったら、意識低い系かもしれないけど、これもまたシャレオツなんですよ。
生きてたら妥協しなきゃいけないことがいっぱいある。仕事だって、プライベートだって。でもさ、そうやって普段、あらゆるところで妥協を強いられているからこそ、妥協なきものに魅せられるって当たり前じゃない?
それを考えると「(どこの地方都市でさえある)スタバで(高級ったってたかが知れてる)Mac」なんて、どっちも妥協の産物じゃないか。そんなものの何がシャレオツなもんか。
つか、それこそコスパって言葉もそうだけど、妥協の産物を正当化し出したらおしまいですよ。好みがあるのは当たり前として、予算が限られるのも当たり前として、その中でどれだけ妥協なきものが構築出来るか。
妥協なんて「しかたなく」「あくまで最終的に」やることです。最初から目指すことではない。
アタシは妥協だらけのことより、妥協のない=シャレオツのが絶対いいわ。って他人さんは違うのかね。