戦前モダニズムとは何ぞや?
FirstUPDATE2022.8.7
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 まず最初に、これだけは言っておきます。
 エントリタイトルにある「戦前モダニズム」という言葉は一種の造語です。だから「何ぞや」もクソもないんだけど、ややこしいのが「完全な造語ってほどでもない」ことなんですよ。
 
 つまり「戦前モダニズム」という言葉自体は一応存在する。しかしほとんどの場合「戦前モダニズム<建築>」というワードが付随するっつーか、要するに「戦前モダニズム=建築物の話」と解釈される、というか。
 しかしアタシの言うところの戦前モダニズムは建築物はあんまり関係ない。少なくともアタシは戦前モダニズムを「戦前期の日本における、モダンに針を振り切ったエンターテイメントやデザイン」という意味で使っているわけで。
 いや戦前モダニズムって言葉が本当に建築物の話に限定されているかも曖昧なんだけど、とにかく「そんなに一般的な使用方法ではない」とは思うわけで、だから、ま、広義の造語なのではないかと。
 
 ここからもっと<そもそも>の話をします。
 アタシがここ、つまりYabuniraであろうが、Scribbleであろうが、を使って書いてきたのは、結局は<ズレ>なんですよ。
 誰しも「自分はこう思うんだけど、世間ではそうではない。下手したら真逆の受け取り方をされている」なんてことがあるんじゃないでしょうか。
 アタシは頭は悪いけど幼稚すぎることはないので「自分の考えこそ真理だ、世間なんて馬鹿ばっかり」などとは思わない。つかそんなくだらないことに腹をたてるだけの気力などハナからありません。
 つまり「あれ?みんな、そんなふうに考えるんだ、アタシはこう思うんだけど」みたいなことを発表出来る場としてYabuniraなりScribbleをやっているんですな。
 もちろん、世の中のことすべてに違和感があるなんてあり得ないわけです。だからそーゆーね、世間の意見と自分の考えが合致するものについては書かない。
 となると「そうそう!わかるわかる!」みたいな、いわゆる「あるあるネタ」とはもっとも縁遠いものになるしかないわけでして。
 
 つまりアタシがインターネットという媒体を使って発表している文章には一切の共感性が生まれないってことになる。せいぜい「へー、そういう考えなんだ、あーそー」で終わります。
 ただそれでも、2003年から2007年までやっていた、個人的に第一次yabuniramiJAPAN(Yabuniraの旧名)と呼んでいる頃までは、世間との接点がある話を書いていた。題材的にもわりとわかりやすいもの(例えばダウンタウンなどのメジャーどころの芸人の話)について書いていたので、個人サイトとして成立していたんです。
 これはこの頃から気づいていたんだけど、インターネットってのは面白いところで、共感性の高すぎるものって実はイマイチなんですよ。誰にでも理解出来る、それこそ今日のランチは、なんてネタは有名人しか通用しない。
 では有名人でない、名もなき一般人がアクセス数を伸ばすには「マニアックとまでは言えないけど、間違っても誰しもが知ってる題材ではない」といったことを書くことだったんです。
 
 その<頃加減>がね、第一次の頃は取れていたんですよ。アクセス数を気にしていたってのもあるし、マニアックと呼べるだけの知識がある趣味もなかった。まさしく「マニアックとまでは言えないけど、間違っても誰しもが知ってる題材ではない」をキープ出来ていたんです。
 しかしここ数年、それがあきらかに変化しだした。
 きっかけは戦前モダニズムの話を書き始めてからです。
 ただ、アタシは「戦前モダニズムの話をやり出したら、もう後には引けない」とわかっていた。つまり不可逆の領域に行くことになるぞ、と。
 何故わかっていたのかというと、戦前モダニズムの話はどうやってもウケないってのを、嫌というほど叩き込まれていたからなんです。
 
 アタシは2015年から約2年ほど、別名義でブログをやっていました。あくまで仕事絡みで書いていたので、現在はもちろん過去にも一切リンクを貼っていませんし、諸事情ですでに閉鎖していますが。
 ただ、いくらアタシが駄文を書くのが好きだからといって、さすがにふたつのブログを並行してやるってのは難しく、ならば「世間的な相互関係は一切ないけど、あくまでアタシ個人の感覚としては本サイトと兄弟サイトのような感じ」なら可能かもしれないと。
 極端な話、文章的に変えたのは一人称と改行の数くらいで、気分的には「本サイトのデラックス版」程度にした。つか<程度>に抑えたというべきか。
 
 仕事用ブログのテーマのひとつに「昭和の日本」がありました。ただし、この場合の「昭和の日本」とは、あくまで昭和30年代の日本の話です。
 今でこそ興味の対象が戦前期に移ってしまいましたが、1960年代というととてつもなく興味を惹かれた時代でして、もう今ではあらためて調べようと思わないほど当時の事象が頭の中には叩き込まれています。
 だから1960年代のことならいくらでも書ける自信はあった。でも、同じ題材でばかり書いてたら飽きられる可能性もあるし、言っても仕事用ブログなんだから飽きられたら困る。だから目先を変えるために、いろんなジャンルから題材を用意したんです。
 けどあんまり得意でないジャンルも含まれており、それはどうしてもあまり書けない。かと言って1960年代の話ばかりになるのは避けたい。
 
 そんな時、ふと戦前モダニズムの話を仕事用ブログでやろうと思いついた。ま、一応は同じ昭和だからってのもあったし、幸いにもちょうどこの頃、本格的に戦前モダニズムにハマりかけていた頃だったので「そのうち自分のサイトで発表しよう」と書き溜めた文章がかなりあったのです。
 結局「やぶにら(当時yabuniramiJAPAN)」用として書いていた戦前モダニズムの話はすべて仕事用ブログに転用した。これで一気に仕事用ブログのストックが出来たわけで。
 この転用で、かなりホッとしたところがあった。というのも、アタシがインターネットというメディアに文章を書くのは「楽しい」からなんですよ。このことをアタシは「自慰」ならぬ「自愉」と自称しているんだけど、仕事用、となった時点で、いくら「今やってるサイトのデラックス版レベルだから」としても、正直楽しくはない。
 「これでインターネットに戦前モダニズムの話を書けるぞ!」なんて喜びではなく「仕事として文章を書くという負担が減る」程度のものだったのはたしかです。
 ま、そうは言っても、ネタはそのままでも文章はかなり書き直した。仕事用なんだから「わからん人はほっときますよ。義務教育やないんやからね」では済まされない。
 
わかりやすく、リーダブルに、それでいて読んでくれた人が戦前モダニズムというものに興味が出てくるような文章に書き直そう!
 
 んで実際、仕事用ブログに戦前モダニズムネタをエントリしだしたんだけど、正直期待をはるかに下回るリアクションだった。「さすがに戦前モダニズムネタは食いつきが悪いだろうな」って予想は立ててたけど、まさかこれほど差が出るとは思わなかった。
 他の、それこそ1960年代ネタなんかだと、それなりにリアクションがあったです。ところが戦前モダニズムネタは皆無。書いても書いても皆無。自分としては相当心を砕いて書いたのに、マジで何の反応もない。
 遅すぎる、と言われるかもしれないけど、この時初めてわかった。そうか、それほどまでに世間の人たちは戦前モダニズムの話に興味がないんだ、と。
 
 昭和なんてひと括りに言っても、一般の人が興味を持つのは映画の「三丁目の夕日」以降なんですよ。つまりは1958年以降。それ以前になると昭和20年代をすっ飛ばして戦中期になってしまう。「火垂るの墓」とか「この世界の片隅に」とか、戦中の話はウケるけど、もう少し前、要は戦前モダニズムの時代になると極端に興味を惹かない。
 アタシも悔しいから、それでもいろいろと策を練ってね、何とか戦前期に興味を持ってもらおうと創意工夫したけど、何をやってもダメとはまさにこのことだなと。
 
 一般の人が興味を示す可能性って「どの時代の話なのか」というのはメチャクチャ重要だと思うんです。
 もしこれを、近代以降から1960年代に限って、あくまでアタシ個人の感覚で数値化するなら
 
・明治時代 30%
・大正時代 90%
 (以降、昭和)
・戦前期(1926~1940年 5%
・戦中期 70%
・戦後すぐ
(1940年代まで) 30%
・1950年代
(1957年まで) 20%
・1958年~1960年代 100%

 
実際はこの期間も戦争自体はあったが、あくまでイメージの問題なので割愛
 
 こうして見れば、もう大正時代と1960年代の「大正義感」が際立っており、次が戦中期になります。
 というかね、もし自分がテレビドラマかなんかのプロデューサーだったとして、しかも「リスクをおかすことが出来ない」状況だったとしたら、「戦前期を舞台にしたドラマの企画」が持ち込まれた場合、「それ、かなり危険だなぁ。何とか舞台設定を大正時代に変えられない?」と打診するかもしれない。
 あらためて書きますが、アタシは戦前期という時代にきわめて強い興味と愛着があります。そんなアタシでさえ、いや「戦前期は人々の興味を惹かない」と嫌ってほどわかっているからこそ「リスクを最小限にしなければならない」となったら、それ、止めとこうよ、となると思う。
 
 それにしても、です。
 戦前期の興味の惹かなさと対象的に、大正時代の大正義感はいったいなんなんだろう、と思わざるを得ない。
 2019年くらいから大正時代が時代設定(てもリアルな大正時代ではなくファンタジーだけど)の「鬼滅の刃」が大ヒットしましたが、実際、大正時代は定期的にスポットが当たる。
 大正浪漫、「はいからさんが通る」、「サクラ大戦」、あと「大正野球娘」なんてのもあったみたいだけど、何故か、妙に惹き付ける力があるというか。
 大正時代が時代設定として優れているのは「たった15年しかない」ことでしょう。
 これが昭和なら、何しろ63年ちょいある。これだけ長いとひと口に「昭和は~である」とは言えない。初期と末期では何もかもが違いすぎる。
 その点大正は期間が短いからイメージを固定出来る。<袴>というファッション面でのキーアイテムもあるし、その間に起こったデモクラシーやら関東大震災といったイベントもアクセントになる。
 
 昭和元年から15年、つまり1926年から1940年=戦前期が辛いのは、アクセントになるようなイベントが「生々しすぎる上に政治絡み(思想絡み、と言い換えてもいい)」なのです。
 それこそ1936年に起こった二・二六事件を、「鬼滅の刃」のように少年漫画として扱うのは難しすぎる。というか少年漫画で作者の思想を全面に出すのは御法度だし、でも思想なしに単純化出来るわけもない。(もちろん思想ありで単純化するのが一番危険だけど)
 どうも大正時代に「自由な空気が横溢していた」と思ってる人が多いみたいですが、今の若い人が忌み嫌う家父長制が本格的に広がったのが大正時代だし、エログロナンセンスや今の時代につながるハチャメチャでエネルギッシュなエンターテイメントが生まれたのは昭和に入ってから、というのが妥当だと思う。
 もっとはっきり言えば、戦前期に戦争の影、というか軍部の影を浮かべる人が多すぎるのが原因なんじゃないか。
 いやそもそも、戦前って字面自体がね、だって<戦>って字が入ってるんだもん。
 
 このエントリの最初の方でアタシは「自分はこう思うんだけど、世間ではそうではない。下手したら真逆の受け取り方をされている」こと、つまり<ズレ>を書いてきた、というような話をしました。
 アタシが戦前モダニズムに惹かれる毎に、世間のイメージと自分が知り得た戦前期の姿の乖離が大きくなっていった。
 いや、違う。戦前期はそんな時代じゃない。それこそ大正時代より、もっといい加減で、明るい時代だった。調べれば調べるほど、もうそうとしか思えなくなっていったのです。
 
 ここで山本夏彦の話をします。
 山本夏彦は長年、インテリア雑誌の編集者でしたが、晩年になって文筆業に転じました。(って編集者時代から文章は書いてたけど)

 彼は文筆活動の中で繰り返し、戦前期は別に暗い時代でもなんでもなかった。もし暗い時代だと本気で思っている人がいるとするなら、それは特定の思想を持った人だけだ、と看破しています。
 また、戦前期=暗い時代、ということにしておかないと困る人たちがいるのだろう、とも述べている。
 こうした山本夏彦の見識が正解かどうかはともかく、同時代をリアルタイムで知ってる人の意見なので、少なくともアタシは強い説得力を感じる。というかアタシが知り得た戦前期の知識と山本夏彦の見識に<ズレ>が見られないのです。
 そして、ここは重要なところなんですが、アタシは戦前期のエンターテイメントから<明るさ>を見出したのですが、山本夏彦はエンターテイメントそのものにたいした興味はない。つまり「エンターテイメントに興味があろうがなかろうが、押し並べて考えれば戦前期は暗い時代ではない」ということになるのではないか。
 
 アタシは極端なほどイデオロギーがない人間なので、正直戦前期が明るかろうが暗かろうがどっちだっていいのです。少なくとも「明るくないと困る」とも「暗くないと困る」とも思っていない。
 ただ、自分なりに近似値は測りたい。実際はどうだったのか。んで、アタシが導き出したっていったら大仰だけど、アタシの感じた戦前期の姿が、もし世間のイメージと乖離しているのであれば、それを書いていきたいのです。
 ただし、この手の話は留意しすぎなほど留意が必要で、止め処もなくやってしまうと話が右寄りになってしまう。先程より書いているようにアタシには根本的にイデオロギーがないので、右にも左にも寄らないようには相当気をつけてはいますが、それもあってなるべくエンターテイメントやデザインの話から逸脱しないように心がけてはいる。
 ま、エンターテイメントとかデザインのことしか知らないとも言えるのですが。
 
 こうした「間違ってるとしか思えない戦前期のイメージ」とか「間違ってるとしか思えない大阪のイメージ」のことを、しつこく書くってのは、もうアタシの性分だと思う。
 結局言ってること、つまり主張は一緒なんだけど、手を変え品を変え角度を変えて、ほれ、こうだと思いませんか?というね、ご提案はずっと続けていきたい。
 アタシは押し付けがましいのが大嫌いなので、戦前期は明るい時代だった!と決めつけることはしません。所詮は知識としてでしか知らないことであり、リアルタイムの空気感を味わってないんだからどれだけ情報を精査しようが近似値でしかないと思っている。
 だから、それでも戦前期は暗かった、という人を否定する気はない。アタシは違うと思うけど、その人がそう思うのは勝手だし、アタシが違うと思うのも勝手だと思うから。
 こういうのはね、コツコツやるしかないんですよ。コツコツ調べて、コツコツ書いていく。
 そしてもうひとつ、これは絶対だけど「止めない」ことです。
 最初の方に書いたことを繰り返しておきます。
 
 アタシは「戦前モダニズムの話をやり出したら、もう後には引けない」とわかっていた。つまり不可逆の領域に行くことになるぞ、と。
 
 始めたからには止めない。止めるくらいなら最初からやらない。この手の「極端に興味を惹かない」ネタにはこの掟は絶対です。ま、みうらじゅんのマイブームと同じです。
 で、アタシは始めてしまった。仮にそれがヤケッパチ精神からだったとしても、始めちゃったんだから、やるしかないんです。

結局、戦前モダニズムとは何ぞや?と言いながら戦前モダニズムそのものの説明は一切ないというとんでもないエントリですが、それはひとつのエントリでは書き切れないから。というかそれを今後も、アタシは書いていくって決意表明がこのエントリの趣旨ですから。
いやそれよりも、やっぱ「戦前モダニズム」って言葉自体を止めた方がいいのかな、と思う。途中に書いたけど、やっぱ<戦>って字が入ってるのはイメージが悪すぎるわ。
そうなったら長くなるけど「昭和初期モダニズム」か。うーん、どうもピンとこないねぇ。




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