こないだね、見るとはなしにEテレを見てたらWikipediaの話をやってて結構ビックリしたんですよ。それも中学生以上向けっぽい感じで、はっきり「Wikipedia」という名前も出してたわけで。
アタシはね、基本的なスタンスとして「Wikipediaで何かを知ることは悪いことではない」と言い続けています。
Wikipediaなんていい加減だし間違いばっかり、と言いますが、では他に、あれくらいの網羅性があって正しい情報しか載せてないサイトがあるのかというと、そんなものはない。だから、少なくとも正確性においては「インターネットというメディアの中では比較的マシな方」なんじゃないかと。
ただし、Wikipediaに掲載されている情報は<表層>であることも忘れてはならない。
つまりアタシはWikipediaを「興味の入り口」として評価しているわけで、せっかく良い入り口があるんだから、そこから興味の幅や深度を進めていったらいいんじゃないかと。
ところがね、どうも、入り口だけで満足する人が多いみたいで。とくに若い人でね。
アタシは同じ映画を繰り返し見たり、同じ本を繰り返し読むのが当たり前だと思ってる人間です。
それは「より理解を深めたい」と思ってるからなんですが、そんなアタシからしたら速読とか、今流行りの「動画は2倍速で見るのがデフォ」なんてあり得ない。あり得ないんだけど、Wikipediaで知識欲が満たされるとか、動画もとりあえず内容が掴めればそれで良し、というのは、あくまで<考え方>としては面白いとは思う。
つまり知識欲の方向性がアタシと違うというか、<浅く>ても構わないからとにかく<広く>やろうってのは、それはそれで間違ってないなと。
ただこれはきわめて現代的というか、コンテンツの数が無限に近いレベルであるからこそ可能とも言える。
逆に言えば昔はこんなことは不可能だった。コンテンツの絶対数自体が少ないし、多数のコンテンツに触れるためにはそれ相当の手間が必要だった。
となるとです。もう<狭く>なるのはどうしようもないので、<深く>行くしかなかったのです。
アタシなんか、やっぱ昔の考え方っつーかコンテンツ無限時代は大人になってからなので、どうしても「深く狭く」式の方がしっくりくるし知識欲も満たされる。
ま、これはこれで良いと思うし、「深く狭く」式はコンテンツ無限時代がさらに進んでも絶対になくならない。だってそれは<研究>に他ならないから。
では「広く浅く」式がどれほど普遍なものになるかはちょっとわかりません。
ただ、あくまでアタシの予想でしかないけど、どうにも<流行り>臭いんだよなぁ。って否定じゃないよ。でもコンテンツ無限時代だからこそ、逆にだんだん知識欲が満たされなくなるんじゃないかと。
ま、それはずいぶん先の話だと思うけどね。つまり「広く浅く」式はあと数年後にピークを迎えて、しばらくは根強く残るような気がするし。
どっちにしろ、その頃にはアタシはくたばってるんだから関係ないけどさ。