流行と性癖
FirstUPDATE2022.6.27
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そういや今春に秋葉原に行った時ね、たしかにメイドカフェの呼び込みっつーか、大名行列なみにズラズラっと並んでいましたが、さすがにコロナ禍のせいか「声を出して」呼び込みみたいなことはなかったなと。

一時期、たぶん録音されたものなんだろうけど、もうやたらと「萌え萌えキューン!」なんて声が響き渡っていたことがありました。
それがなくなった。それはつまり、萌え萌えキューンってのは「ただの流行」でしかなかったってことですが、これね、性癖と結びつけて考えると結構複雑なんですよ。
これがただの<好み>レベルの話であれば、流行りではない=好みでなくなる、というのは十分にあり得ることだとは思う。でも性癖レベル、つまり「萌え萌えキューン」に性的興奮をおぼえたとなったら話が変わってくると思うんです。


↑でも書きましたが、アタシは「性癖というのはかなり先天的なこと」と言い続けています。
もちろん「萌え萌えキューン」に性欲をおぼえることになったのはそのような文化が始まって以降だと思うし、まだそうした文化がないだけで、実は「目覚めてない性癖」は誰にでもあるような気がする。
そうは言っても文化には流行り廃りがある。アタマでは「あんな古臭い、ダサいことで」と思いながらも「だけれどもよォ!どうやってもオレのアレが反応しちまうんだ!」ってなことはないんだろうか。

性風俗にも流行り廃りがあって、それこそ女体盛りとかノーパン喫茶なんてもう死滅状態だと思うし、アタシが明るくないだけで、もっと細かい「古いと見做されて淘汰されたサービス」なんかも無数にあるような気がする。
そんな淘汰された中には「いくら古くてもアレだから興奮したんだ。逆にいくら新しいかもしれないけどコレではぜんぜん興奮しない」なんてことだってぜんぜんあるはずです。

アタシが何が言いたいのかというと、性風俗ってのは流行り廃りとは関係ないというスタンスを取るべきだなぁと。
ま、メイドカフェが性風俗かどうかはともかく、一回始めたものは「刺さる人がこの世からひとりもいなくならない限り」なくしちゃいけない。だって、それはかわいそうすぎるよ。まだこの世に存在しないものならともかく、かつてはあったのにってのが何より苦しいはずだし。

というかさ、性癖について考えるといつも思うんだけど、よくもまあ、宗教戦争ならぬ性癖戦争が起こらなかったものだわ、と。
だってさ、まったく相反する、あっちを立てたらこっちが立たないみたいな性癖があるんだから、戦争になってても何ら不思議ではないんだよなぁ。
って「あっちを勃てたらこっちが勃たない」じゃないからね!







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