アートにかんする考え方
FirstUPDATE2022.6.13
@Scribble #Scribble2022 #クリエイティブ #メンタル 単ページ イマジネーション アート 岡本太郎 壊れたら直せばいいじゃないか アーティスト

何か、どっかの中学生が修学旅行中、とある美術館で展示物であるアートを破損させた、なんてニュースがありましたが。

正直、これは非常に難しい問題なんです。
アタシもね、今でこそやってませんがアートなるものをやってましたし、アーティストの知り合いもいる。
だからこそ思うんだけど、アートの扱いにたいして統一したルールを作るのなんて不可能だと思うわけで。

東京は表参道をちょっと行ったあたりに岡本太郎記念館なんてのがあります。
ここは「美術館」ではなく「記念館」ってのがミソで、もちろん岡本太郎の作品の数々が置かれているのは違いないのですが、間違っても「展覧している」という感じではない。作品をジカに触ることも出来るわけで、いわば「体感してくれ」というような施設なのです。

これは岡本太郎の思想が反映されたもので、生前「壊れたら直せばいいじゃないか。それより人々がアートに無関心になって感じる力が落ちる方がよほど怖い」と語っていた信念を形にした施設が岡本太郎記念館だと思う。
中学生に破損された作品の作者は岡本太郎と同じようなことを言ってますし、実際、こんなふうに考えるアーティストは結構います。アタシの知り合いのアーティストにもいるし。
さらに進んで「破損したり風化したりするのも、またアートの行く末であり形である」なんて人までいるくらいですから。

ヤフコメなんかでは「この不寛容な時代に、作者の寛容さには頭が下がる」みたいなコメントがありますが、正直、この件にかんしては寛容不寛容はあんまり関係ない。どちらかと言うと「アートというものにたいする姿勢、考え方」の問題です。
というかね、この件を寛容不寛容の話にしちゃマズいと思うんですよ。
アートとは何をもって完成なのか、となると、もうそれはアーティストに委ねられているわけで、当然のように「作者が完成とした作品を未来永劫、極力そのままの形で保存して欲しい」と思うアーティストもいっぱいいます。

もし、そういう考え方のアーティストが完成作品を破損されたら、やっぱりね、ま、怒るかどうかはさておき、相当悲しむと思うんです。もしかしたら無念さをメディアにこぼすかもしれない。
でもね、そのことを「○○というアーティストは寛容な対応したのに、何て不寛容なんだ」と叩かれることにもなりかねないなと。
まさにそれこそ理不尽な叩かれ方なのですが、アートにたいしてどのように考えてるかでアーティストをある程度分類出来る、なんて大抵の人にわかるわけがない。

ま、アタシ如きが言うのはアレですが、アーティストというのは基本的に、ややこしい性格で、同時にストレスに極端に弱い。もし、寛容不寛容で叩かれたりしたら精神的に崩壊する可能性が高いとも言える。
前にも書いたけど、本当に岡本太郎なんて突然変異種で、どれだけ叩かれても馬鹿にされてもメディアに露出し続けた人は他にいない。でもあれがアーティストだ、叩かれてもぜんぜん堪えてないのがアーティスト、となっちゃった側面は、あるね。

難しいですよ。アートの扱いもアーティストの扱いも。本当に正解なんかないんだからさ。







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