えと、たしかに旬は過ぎているんだけど、もうちょっとだけね、「シン・ウルトラマン」のことを書かせていただきたい。
「シン・ウルトラマン」は東宝・円谷プロ・カラーの製作ですが、東宝の前身のひとつにP.C.L.という映画会社がありました。
そのP.C.L.の第一作が1933年に製作された「音楽喜劇・ほろよひ人生」なのですが、この映画、一応クレジットで言えばトップに来るのが徳川夢声で、劇中であきらかに主演扱いなのが大川平八郎と千葉早智子です。
しかし、観客が感情移入すべき人物を演じるのは藤原釜足で、だから映画のラストは藤原釜足のアップで終わる。
一般に何て言うのかは知らないけど、こうした「主演扱いではないが観客が感情移入すべき人物」のことをアタシは「精神的主役」と呼んでいます。
主役とは別に精神的主役を用意した映画、いや映画に限らずドラマでも小説でも、そうしたフィクションは意外と多い。
「主役だけど感情移入してもらっちゃ困る」話なんかだと精神的主役を立てた方が物語りやすいので、わりと多用されているわけです。
「シン・ウルトラマン」の場合、主役は誰がなんと言おうと斎藤工です。何しろウルトラマンに変身するんだから主役でないと困る。
ただね、「シン・ウルトラマン」も「主役に感情移入してもらっちゃ困る」類いの話でして、ある程度謎めいた存在であった方が奥行きが出るというか。
となるとです。
「シン・ウルトラマン」でも精神的主役を立てることになるんだけど、では精神的主役が誰だったかというと、アタシは有岡大貴だと思う。
あの映画は有岡大貴の存在が、まァいや地球人代表なんですよ。
西島秀俊が軸になるとハナシがブレちゃうし、長澤まさみはあくまで主人公のバディでなければならない。つまり外星人と地球人をつなぐ存在というか。
しかし有岡大貴は最後まで地球人であり続けた。そして最後の最後で「実はキーパーソンだった」というのがあきらかになるって構成になっているわけで。
アタシはね、何度もしつこく言うように<演技力>なんてくだらないことは見ていない。というか絶対、素人がっていうか現場がどんなもんだったか知らない部外者が演技力なんかわかるわけがないと思っているんです。
何か必死で有岡大貴や長澤まさみの演技力を叩いてる文章を読んだけど、何言ってんだとしか思わなかった。
アタシは本当に演技力はわかりません。ただひとつだけ言えるのは「あの有岡大貴が演じた役を成立させられる役者はそんなにいないだろ」ってことです。
つまり、演技力はわからないけどハマってるかハマってないかくらいはわかるわけで、有岡大貴は本当にハマり役だったと思っている。
だからこそ、思うんです。
具体的には書かないけど、あの、世界会議のシーンをギャグで処理してしまったのが惜しい。あそこはリアリティ無視でも巨大なコンペティション会場で、エキストラもりもりで撮影すべきだったんじゃないの?と。
そういったシーンがなかったから有岡大貴が精神的主役というのがわかりづらくなってしまったんじゃないかと思うんです。
いや、どうも、それこそ「シン・ゴジラ」に比べたら「シン・ウルトラマン」はかなり予算が少なくて、その辺は閣僚のメンツの安っぽさやCGにも出ていたし、たぶんそんな金銭的余裕はなかったんだろうけど、何か、もったいないわ。
「シン・仮面ライダー」はその辺、つまり製作費がどんなもんなんだろ。やっぱ不安ですよね。
というかさ、次の<シン>は「シン・ほろよひ人生」で頼んます。絶対ないけど。