えと、エントリタイトルなんですが、一瞬「ブルー・ライト・シンヨコハマ」にしようかと思ったんだけど、どうもソレだと庵野が絡んでそうなんで、やめた。つか単純に「しんよこはま・たそがれ」の方が面白いと思ったんでね。
さてアタシは2011年から2013年末まで神奈川県の新横浜近辺に在住しておりました。
ま、ものすごく正確に言えば2009年からは新横浜からJR横浜線でひとつ横浜寄りの菊名に在住していましたし、さらにその前は、ごく短期間だけとはいえ、ふたつ横浜寄りの大口にも在住していた。
ただし2012年の8月から2013年の2月まではロンドンに滞在していた、つまり半年ほど空き家状態だったわけで、何かいろいろややこしいんですがね。
とにかく、あの新横浜です。新幹線の駅のある。
こう言っちゃナンだけど、アタシは流浪の民なので本当にいろんなところに住んだことがあるし、では今まで住んだ中で新横浜がメチャクチャ好きなのか、というと、そうでもない。もちろん嫌いではないんだけど、わざわざこんなエントリを書きたくなるほどの愛情があるのかというと微妙なんです。
それでも書こうと思ったのは、この街ってメチャクチャ「ヘンテコ」な街なんですよ。それも<危険>とか<ヤバい>って意味でヘンテコなんじゃなくてね。
とにかく似たような街をアタシはひとつも知らない。まさに唯一無二、もし街にジャンルがあるなら、新横浜は「新横浜というジャンル」としか言いようがない。まさに「テレサ・テンは演歌でもムード歌謡でもなく、テレサ・テンというジャンル」と一緒です。
ま、無理矢理似たような街を探すなら、アタシの生まれ故郷にある新神戸ってことになるのかもしれない。
でも、やっぱ、違うんだよなぁ。新神戸は新神戸で悪くないんだけど、新横浜のような「ヘンテコな面白さ」はない。
それほど新横浜はいろんな意味で突出して<ヘンテコ>なんだけど、どうにも、その<ヘンテコ>っていうか<カオス>な感じが地元民以外は知らないんじゃないかと。
具体的に、いったい何が<ヘンテコ>なのか書いていく前に、まずはごく簡単な新横浜の近代史以降の歴史年表を載せておきます。
本当はどっかのサイトから丸写ししたかったんだけど、今回の趣旨に合う年表が存在しなかったので、あちこちからツギハギしながら作りました。
1908年9月 横浜鉄道(1917年に国有化されて横浜線になる)開通。しかしこの時点でまだ、のちの新横浜一帯に駅は存在していない
1923年9月 関東大震災で篠原地区一帯が液状化
1939年4月 神奈川県横浜市港北区に編入
1964年10月 東海道新幹線開通で新横浜駅開業。併せて横浜線にも新横浜駅が開業する
1976年7月 ひかり停車駅になる(それ以前はこだまのみ停車)
1985年3月 横浜市営地下鉄延伸に伴い新横浜駅が開業
1989年4月 横浜アリーナ開業
1992年3月 のぞみ停車駅になる。同時期に新横浜プリンスホテルと新横浜プリンスペペも完成
1994年3月 新横浜ラーメン博物館開業
1997年10月 横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)竣工
2002年6月 横浜国際総合競技場にてワールドカップ本大会が開催
2008年3月 のぞみ全列車が停車する。また駅ビルとしてキュービックプラザ新横浜が開業
2009年1月 新横浜駅北口駅前広場ペデストリアンデッキが完成
2023年3月 東急・相鉄新横浜線開業(予定)
まずはこの画像をご覧ください。
新幹線開業当時、つまり1964年頃の新横浜ですが、もう、見事なくらい何もない。はっきり言えば「田んぼの真ん中に駅を作った」という感じです。
次に見てもらいたいのがコレ。
これでわかる通り、新横浜から横浜まで約7キロ。近いっちゃ近いけど絶対歩いて行ける距離じゃない。
普通に考えたら横浜駅近辺に新幹線の駅があった方が圧倒的に利便性が上がるのは子供でもわかる。なのに何で田んぼしかないような郊外に新幹線の駅が出来たのか、です。
これは戦前期に計画された弾丸列車構想を抜きには語れない。
さすがに弾丸列車の説明はアタシには無理なのでWikipediaから引用します。
弾丸列車(だんがんれっしゃ)は、日本で1939年(昭和14年)に始まった、通称「弾丸列車計画」で計画されていた列車である。
(中略)
・東京 下関間984.4kmに、在来線とは別の複線新線を敷設する(計画立案当時の同区間在来線営業キロは1097.1km)。
・現在線と必ずしも並行せず、できるだけ直線ルートを取る。
(中略)
横浜線との交点に「新横浜駅」を設けるとされていたが、東急東横線とも連絡が可能な菊名駅付近が最有力とされた(現在の新横浜駅よりやや南寄り)。
重要なのは『できるだけ直線ルートを取る』というところで、何しろ「弾丸(のように速い)列車」を標榜したものだから直線ルートであるに越したことはない。つまり横浜駅近辺を通るとなると一旦南に逸れなければならず、そこで横浜線との交差地点に駅を作ろう、となったらしい。
引用では「菊名駅付近が候補」とあるけど、おそらく大豆戸(まめど、と読む)辺りだったんじゃないかと思っています。
弾丸列車構想は戦局の悪化のため中止された。だったら関係ないじゃん、と思われるかもしれませんが、弾丸列車の線路を敷くための用地買収はすでに終えており、これが戦後の新幹線でほぼまるまる活用されることになったのです。
新幹線の建設計画が承認されたのは1958年です。つまり開通のわずか6年前。もし承認の時点から用地買収を始めていたらたった6年で開業にこぎつけられるわけがない。リニアモーターカーなんてもう何十年もゴチャゴチャやってるのにいまだに用地買収が終わってないんだから。
もちろん弾丸列車の時に用地買収がスムーズに進んだのは軍事体制だったからですがね。
つまり「たった6年で」開通させるためにほとんど新規の用地買収はしていないと見るのが妥当で、となると菊名駅からやや離れる大豆戸交差点付近だったのではないかと思ったわけです。
しかし現実にはかなり南西に逸れた位置にある、田んぼしかないような篠原地区に新駅が作られることになったわけで。
正直、何故、この地が新幹線の駅に選ばれたのかは知らない。ま、アタシは鉄オタではないんでね、と逃げますが、もう単純に横浜線と交差が可能で発展の余地がありそうだったからだとしか思えない。
ただこの辺りは湿地帯で、しかも鶴見川が近く、新幹線開通の頃までは頻繁に洪水が起こっていたと言います。
さらに乗り換えが横浜線というのも不便で、距離的にはそこまで遠くないんだけど横浜線は元来本数があまりない。
そのせいで開発が進まず、さすがに田んぼは姿を消しましたが、かなり長い間「如何にも地方都市でござい」と言える街並みが広がっていたんです。
様相が変わったのは横浜アリーナが建設された頃です。
それまで横浜には大スケールのコンサート会場がなく、しかし横浜アリーナは規模で言えば日本でも有数の広さで、しかも兼用ではない純粋なコンサートホールです。だから横浜で開催される大規模コンサートは一気に横浜アリーナが定番になったんです。
1990年代に入ると新横浜ラーメン博物館と横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)が相次いでオープンし、さらに新幹線の駅がある、東京まで近い、そのわりには安価であることが評価され、関西系の企業が新横浜に支社を作り始めた。そして2008年にはウインズ新横浜(場外馬券売り場)まで完成した。
こうして見ればよくわかると思うのですが、何の脈略もない多業種が新横浜に集結するような形になったのです。
一回整理します。
改めて新横浜にある著名な施設を挙げておけば
・横浜アリーナ
・日産スタジアム(横浜国際総合競技場)
・新横浜ラーメン博物館
・ウインズ新横浜
上から順番に歌手のコンサート、サッカー、ラーメン(昭和ノスタルジー)、競馬になる。何というか、まるで<被り>が見えない。歌手のコンサートと言ってもジャニーズ系の時と氷川きよしの時ではまったく客層が違う。
これらのイベントが一斉に行われる日などカオスとしか言いようがなく、じゃあ何のイベントもない日はどうかと言えば、関西系企業の支社が多くあるビジネス街という関係上、他の関東の地域よりも関西弁が聞こえることが多い。
まさに「この街、いったい、何・・・?」としか言いようがない、唯一無二の空気感があるのです。
新横浜を初めて訪れた人がさらに混乱してしまうのが篠原口の存在です。
先ほど挙げた横浜アリーナ、日産スタジアム、新横浜ラーメン博物館などはすべて駅の北西側にあります。では南東側、つまり篠原口側はというと、これが本当に新幹線の駅周辺なのか、と思ってしまうほど、のどかな風景が広がっているのです。
↑これ、昔の画像じゃないですからね。マジで「これどこの片田舎?」という光景が広がっている。
新幹線の駅で片側だけが発展するというケースは珍しくありません。そんなことを言えば新神戸だって似たようなものです。
しかし新神戸の場合ははじめから山の際に作られた駅という特性上、駅の北側は発展させようがなかった。
そこが新横浜と違う。新横浜の篠原口側はいくらでも発展の余地があったにもかかわらず、ほぼ手付かずと言っていい状態で、昔の写真を見るとあのフシギな立体交差は新幹線開業当初からあったようです。
かつてアタシが住んでいたのは篠原口側でした。
実際、この辺りののどかさと家賃の安さは特筆モノで、不便かというと線路を越えて北西側、つまり横浜アリーナなんかがある側に行くだけで一気に都会に行けるんだから不便なわけがない。
そういや大和田伸也と五大路子夫婦が篠原口側に居を構えており、しかもまったく隠す気もなく駅のそばには謎の「大和田伸也・五大路子通信」なる掲示板まであったくらいです。(現在はない)
住めば都とはまさに新横浜、とくに篠原口側のことで、こんなにのどかで、こんなに便利な場所は他にないと断言出来る。
でもアリーナのコンサートに来た人や日産スタジアムにサッカー観戦に訪れた<だけ>の人にはその魅力は伝わらない。ただただカオスなだけにしか思えない。そのカオスの内に当然、篠原口ののどかな風景も含まれているわけで。
まァね、エントリタイトルに「たそがれ」と入ってるっつーか入れたけど、こんな「たそがれ」の<た>の字もない街は他に存在しないはずです。
そのカオスぶりはまだまだあって、横浜スタジアムで試合を行なうプロ野球チームのうち、西にホームグラウンドがある球団(中日、阪神、広島)は新横浜から新幹線に乗る。もちろん駅までは貸切バスだけど、バスを降りたら普通に行動するわけで、牛丼好きで知られた元阪神タイガースのマット・マートンは新横浜の吉野家に必ず立ち寄っていたと言います。
もっと言えば北新横浜駅、なんて摩訶不思議な駅名の駅がある。ここは鶴見川を越えたところにあるのですが、ここの駅前にエスポットというスーパーとホームセンターを合わせたようなショッピング施設があり、このエスポットは静岡資本なので、何となく東海の香りがする。
そんなことを言えば新幹線の駅がある関係上、新横浜駅は全体的にJR東海っぽい。(横浜線は一応JR東日本の管轄とはいえ)
ここまで書けばわかるように、新横浜は関東っつーか神奈川県でありながら、東海や関西の植民地的な場所でもあるんです。
だから新横浜を「<文句なしに>関東の一地域」とは言いづらい。何というか微妙に文句が出てしまう。
じゃあ新横浜って何なんだ、となったら、そのカオスさを含めて、関東でも東海でも関西でもあり、関東でも東海でも関西でもない、もう<ニッポン>そのものだと思う。
ここに来れば日本らしいとしか言いようがないビルディング類も、のどかな片田舎の光景も、ミュージシャンやスポーツに熱狂する姿も、全部堪能出来る。さらにはラーメン博物館に行きゃ「古き良き」日本の光景まで味わえたりする。
誇らしいことかどうかはともかく、今の日本がこれだけ凝縮された街は他にないですよ。
だから外国人観光客を案内するとなったら是非とも新横浜に連れてきて欲しい。
「どうだ、これが(良くも悪くも)令和の日本だ!」と言えるはずだから。って、外国人観光客もリアクションに困りそうだけどさ。
本文中では割愛しましたが、マジの地元民以外、新横浜ってとにかく「滞在時間の短い街」だと思う。 乗り換えはもちろんですが、アリーナ、日産スタジアム、ラー博と言った目的があったとしても滞在時間のそのほとんどはその目的地にいるだけで、複数の著名な施設があるにもかかわらず「ハシゴ」が無理でもあるんです。 駅近辺にいる時間なんて本当にごくわずかで、ちゃんとしたメシを食いたければ中華街にでも行くだろうし、となったら本当に軽く食べるくらいで、つまり、長時間は駅近辺には滞在しないってことになる。 つまりね、新横浜に来たことがある人でも新横浜のイメージは非常に弱い。アリーナについて、日産スタジアムについて、ラー博については語れても「新横浜」については知らないって感じだと思うんです。 だから余計に篠原口側の手付かず状態ばかりが取り沙汰されるんだと思うのですが、もうちょい、ちゃんとした「意外と知らない」新横浜のことが書きたいなとはずっと思っててね。 ま、アタシなんか短期間居住したに過ぎないんだけど、それでも新横浜の唯一無二感は十分わかるから、とにかくそれを書こうと。 いいからさ、一度新横浜近辺を散策してみてよ。ひとりで散策するも良し、カップルで散策するも良し。疲れたらラブホ街もあるしね。 え?ラブホ街の場所?えと、駅を西に行って、途中で高架になってるところを潜って、ってややこしい街だなぁ! |
---|
@街 #神奈川 #カオス #生活 単ページ 新幹線 弾丸列車 篠原口側 大和田伸也 五大路子 横浜アリーナ 新横浜ラーメン博物館 日産スタジアム 近畿 支社 関西弁 #庵野秀明 PostScript #中部地方 @戦前 #1950年代 #1960年代 #1970年代 #1980年代 #1990年代 #2000年代 #2010年代 #2020年代 #イギリス #スポーツ #公共交通機関 #施設 #神戸 #震災 #食べ物 画像アリ