リブートさせる意味
FirstUPDATE2022.6.2
@Scribble #Scribble2022 #特撮 #映画 #オタク 単ページ シン・ウルトラマン スーダラ伝説 ウルトラマン 仮面ライダー 庵野秀明 #東映

たしかに「シン・ウルトラマン」を観たんだけど、昨日の今日なんでね。あんまり整理出来ていないんだけど、昨日Twitterに思わせぶりなことを書いたので、その説明をしたいと思いまして。

以前Scribbleで書いたことですが「スーダラ伝説」って「スーダラ節」から<たった>29年後なんですよ。
今から29年前と言えば1993年になるわけですが、ま、アタシがジジイってのはあるけど、もう、あり得ないほど昔じゃない。というかさすがに鮮明なイメージは残存しています。
これ、植木等再生のタイミングとしてはギリギリだった。
これより前なら「懐かしい」ではなく「古い」になるし(だから「実年行進曲」あたりのリブートは上手くいかなかった)、かと言ってこれ以上遅いともう植木等、というか無責任男という存在を憶えている人が減りすぎると。

で、「シン・ウルトラマン」です。
「ウルトラマン」の放送開始が1966年だから、今年で56年になる。もうほとんど「スーダラ伝説」の倍で、あまりにも時間が経ちすぎています。
もちろんクレージーキャッツフリークと特撮フリークでは数が違いすぎるし、ウルトラマンはウルトラマンシリーズとして長く続いている。だから一緒に出来ないんだけど、それでもね、リブートのタイミングとしてはどうなの?とは思っていたわけで。

当然、あ、オタクは別ですよ。でも特別なオタク以外はもう「ウルトラマン」なんて意識の外にあるし、少なくともアタシのTwitterのタイムラインでウルトラマンの話題が盛んに行われていたか、というと、まったく、としか言いようがない。
先ほども書きましたように、ウルトラマンはリブートでこそないもののシリーズとして続いていたし、ゴジラや仮面ライダーになるとシリーズとして続いていたのはもちろんリブートもされてきた。
でもね、これらのリブート作品が「オタクの範疇を超えて」つまり一般の人にまで波及していたか、というと、とてもそんなことは言えなかったと思う。

リブートさせるからには「オリジナルを知ってる」人だけを相手にしちゃダメなんですよ。
それではそれまでと変わらない。つか結局は自己満足に近いものでしかない。
アタシはね、庵野秀明という人が「シン・ウルトラマン」でやろうとしたのは「そこ」だったような気がするんです。
どのみち賛否があるのはわかってる。でもその賛否を巻き起こしてるのがオタクなのか、それとも普通の人なのか、そのラインをクリアして初めてリブートした価値があるとわかってたんじゃないかと。

劇中でもSNSのワリノリぶりが言及されていましたが、ワリノリでもなんでもいいから、とにかく、オタクも一般人も一緒になって、もう一回「ウルトラマン」の話をしようぜ、ワリノリであっても、メチャクチャな誹謗中傷であっても、「ウルトラマン」という不朽の名作が無視され続けてる現状よりはよほど良い、と。

「シン・ウルトラマン」は見事に「観たらひと言、何か言いたくなる」ように作られている。
しかもアタシのようにオリジナルのウルトラマンをまったく知らない人間が観ても、あれってこうじゃないの?と言いたくなる<つくり>になってるのは本当にたいしたものだと。
つまりね、アタシもまんまと庵野の策略にハマったってことになる。
この「面白かったにせよつまらなかったにせよ、何か吐き出したくなる」という<つくり>はまさにSNS時代にマッチしたもので、仮につまらなかったとしてもSNSや5ちゃんで何か書いた時点で庵野の勝ちなんですよ。

でさ、アンタ、まだ面白かったかつまらなかったか書いてないじゃん、と言われるだろうから書いておけば、アタシの評価は

「面白かったけど雑、雑だけど面白い」

ということになるか。ま、詳しくは明日にでも。







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