笑う、ということ
FirstUPDATE2022.5.15
@Scribble #Scribble2022 #追悼 #笑い 単ページ 上島竜兵 喜劇人 プロトタイプ

えと、本来こういう形で触れるべきではないのかもしれませんが、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんがこの世を去りました。というわけでってのも変だけど、ちょっとだけ<笑い>について書いていきます。

いや今さら笑いの分類から始める気はさらさらないんだけど、ちょっと、これはスベるのが難しいんじゃないかと思えるテッパン中のテッパンネタがあるんです。
具体的には

・ウ○コを我慢している
・お腹いっぱい(でも食べなきゃいけない)
・熱い!

これらが何で、もう老若男女はおろか国籍さえ関係なく面白いかというと、それは「人間の業」を本能に直接訴えかけているからです。
これも具体的に説明するなら

・誰しもが経験したことがある(=共感性か高い)
・困った状況には違いないが絶望的な状況ではない

こうしたことを戯画化することで、つまりリアクションという形でわかりやすく伝えることが出来れば、どうやってもスベるわけがないのです。
しかもこれらのネタはフリ次第でさらに面白くなる。つまり芸として成立しやすいのです。
こうした、ざっくり<ベタ>と言われるようなネタってね、本当は「芸の力」みたいなのがないとどうしようもない。逆に言えばテクニックを駆使して細かいところまで練り上げていけばベタほど強いものはない。半永久的に面白いものになるわけで。

今考えてみても、上島竜兵は達人の域だったと思う。
とくに「追い込まれた時の表情」はちょっと類がないレベルで、けしてオーバーアクションじゃないのにちゃんと受取手が「ああ、追い込まれてる」って理解出来る表情が出来る。もちろんユーモラスさをキープしながら。
上島竜兵はもともと役者志望だったらしいけど、こんな絶妙な追い込まれ顔が出来る役者がどれほどいるか。つまり彼は「芸人=ヴォードヴィリアン」ではなく「喜劇人=コメディアン」として秀でた存在だったんです。

これは上島竜兵というよりはダチョウ倶楽部に言えることなんだけど、3人とも基本的にはプランを立てた上で笑いを生み出す喜劇人であり、喜劇人ってのはバラエティ番組では本来は不利なはずなんです。というかバラエティ番組ってのはその場のノリを養分とする芸人の方が活躍しやすい。
しかし、そこが彼らのすごいところなんだけど、喜劇人でありながらバラエティ番組で完全な見せ場が作れたのは並大抵ではない。

上島竜兵はダチョウ倶楽部でオチを担っていた。バラエティ番組という本来門外漢であるはずの場で、計算された笑いを担うプレッシャーは半端ではなかったと思う。
だからこんなことになったんだ、とは言いません。というかたぶん、それは関係ない。
しかし、こうなった今、せめて上島竜兵というコメディアンの能力を正統に評価して欲しいし、たぶん志村けんもそれをわかっていたから上島竜兵をはじめとするダチョウ倶楽部をかわいがっていたんだと思う。

アタシが言えるのは、全員喜寿を越えてからのダチョウ倶楽部を見たかった。いったい3人でどんな名人芸を見せてくれたか。もう、本当にそれだけなんです。







Copyright © 2003 yabunira. All rights reserved.