これ言うと怒る人がいるんだろうけど、アタシは「昔の事象を礼賛して、よく理解してない<今>の事象を罵倒する」ってのが大嫌いなんです。ってな話をば。
いやね、アタシはどっちかっていうと昔のことを調べるのが好きだし、昔の文化や芸能が好きな人間です。
でもそれは<今>を莫迦にするために昔が好きなわけじゃないんですよ。ここははっきりしておきたい。
アタシが昔が好きなのは、単純な<好み>の問題です。つか昔と今を比べて昔のが優れてると思うことって言うほどない。その逆、つまり今の方が問題にないくらい昔より優れてることも、あんまりなかったりする。
これは前も書いたけど、昔と今を優劣で判断するなよ、と。
というかもっと単純な話、今の事象に興味がなくなったら、もう終わりだと思っているのが大きい。
好きになれるか、もしくはなれそうかどうかは関係ない。でも常に、今、どういうものが人気を集めているのか、どんな事象が世間の関心を呼んでいるのか、んでそれらのことを一切のバイアスなしで眺めることが出来るかが重要なんです。
これだけは確実に言えるのは、今、これはついていけない、と思うような流行があったとしても、一年も経てば「たいして目新しくもないし刺激的でもない」なんてことになるんですよ。
例えば、2022年4月現在の今、Adoの「うっせぇわ」がどう聴こえるかですよ。正直、今聴いても目新しさも刺激性も皆無に思える。
誰だったかな、音楽評論家が「初めてビートルズを聞いた時、雑音にしか思えなかった。ところが今(ビートルズがデビューして数年経った頃)はどうだ。ビートルズのどの曲もよく出来たポップスにしか聴こえないではないか」みたいなことを書いててね。
ま、この文章のオチは「東京ビートルズは当時は雑音にしか聴こえなかったが、今聴いても雑音だ」ってところなんだけど、それはまァいい。
つまりね、流行なんてそんなもんなんですよ。
オッサンのアタシでさえそうなんだから、そこまで流行に身構える必要がない。というか過剰に拒絶反応を持つ必要もない。何故なら今流行ってるものは遠からず自分が好きな昔のものと同列になるんだから。
ま、それがわからないのは良いとして、今の事象にたいして過剰に反応する人って一種の逃避だと思うんですよ。
すでに評価の定まったものについて論じるのは簡単なんです。しかし、まだどんな評価に落ち着くか見当もつかない<今>のことや、昔のことでもマイナーすぎてまともな評価がないことに言及するのは非常にコワい。
それでも、何か、そういった評価がないものにたいして物申そうと思えば、どうしても罵倒になりやすい。とりあえず罵倒の方が安全だからです。
でも「わからないからとりあえず罵倒」も、やっぱり逃げの一種だと思う。
いやさ、わかんないなら何にも言わなきゃいいじゃん。
ネット社会になって「一億総評論家時代」とか言うけど、正確には「一億総ご意見番時代」だよね。ご意見番扱いされる和田アキ子や坂上忍はネットで叩かれてるのに、自分はさもご意見番になった気分で「ここは私がひと言発しなければ」みたいに書き込んでる。
あの、何か、ご意見番ぶってますけどね、逃げてるだけでしょ。それも非常に中途半端な逃げ方してるだけ。
逃げるならとことん逃げ切れよ。最後まで逃げ切った方がカッコいいから。マジで。