例の、知床の沈没事故のね、当該会社の社長の謝罪会見を見て、何でこの手の謝罪会見がこんな違和感があるのかがわかったんで。
そもそもアタシは「謝罪のための記者会見」について何度も違和感を書いてきました。あれ、いったい何のためにやるのか、正直まったく意味がわからないんですよ。
被害者及び直接迷惑をかけた関係者に謝罪する場を設ける。これは理解出来ますし、またやらなきゃいけないでしょう。
しかし記者会見ってのは根本的に「誰に謝ってるかわからない」んです。とにかく、不特定多数の、今回て言えば事故とは何の関係もない人と、目の前にいる記者連中に謝るしかない。
しかしどちらも、本当はまったく謝罪対象ではない。だからどうしても割り切れない感情が露呈しやすい。んで今回のように薄ら笑いを浮かべたりして余計に世間から睨まれるという。
そもそも誰にたいしての謝罪なのか、それが曖昧なまま進められていく「謝罪のための記者会見」なんて本当はやる必要はまったくないんですよ。
だから本当は、先ほども書きましたように、記者など呼ばず、被害者や関係者のみにたいして徹底的に謝罪する場を何度も設けた方が絶対にいいし、もっと言えば記者会見なんて時間の無駄です。
それでも、加害者や当事者が何故、割り切れない気持ちのまま記者会見を開くのか、アタシはここにポイントがあるような気がしたわけで。
例の社長の会見を見てね、あ、これ、形勢逆転を狙ってるな、と思った。
当たり前だけど、この某社長は現在世間から袋叩きにあっている。この状況を何とか打破したい。となると会見を開いて矛先を逸らすのが良いのではないか、と考えたんじゃないか。
たまたま某社長を例にしたけど、多かれ少なかれ謝罪のための記者会見をする側の心理は似たりよったりだと思う。それこそ某渡部建とかね。
謝罪会見で形勢逆転出来た極めて稀有な例が狩野英孝のケースでしょう。
しかし、そもそも狩野英孝はそこまでの悪事を働いたわけでもないし、あの会見で微塵も形勢逆転を狙う素振りはなかった。つまり、偶然、形勢逆転だけの話です。
ましてや今回の沈没事故のような死者を多数出したケースで形勢逆転なんて出来るわけがないし、矛先が逸れるなんてこともあり得ない。
今回の沈没事故は「コンサルタントの手引で極端なコストカットをした結果」と言われていますが、しちゃいけないコストカットをして見かけ上の数字を良くすることしか頭にないコンサルタントを雇うくらいなら、マジで謝罪コンサルタントでも雇えば良かったのに。謝罪コンサルタントなんているか知らないけど。
ま、もしアタシが謝罪コンサルタントならば「謝罪会見は形勢逆転のための場じゃないから」ってことだけははっきり伝える。そんな気持ちで記者会見に臨んだら余計事態は悪化するし、だったら記者会見なんかしない方がはるかにマシだよ、と。
そう考えると狩野英孝のケースは異端も異端だわ。
あれだけ謝罪会見に無私無欲で臨める人はいないし、そんな無私無欲の人が謝罪しなきゃいけないようなことをやらかしたってのが、もうね。