もう、後戻りは出来ない
FirstUPDATE2022.4.24
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 技術というのは無限に進化する。
 何となく、みんな、そういうものだと思ってるんじゃないでしょうか。かく言うアタシだって、どこか、100年後200年後にはとてつもなく技術が上がって、とてつもないものが登場している、と信じているところがあるわけで。

 ま、技術ったっていろいろあるし、もちろん工芸品には「ロストテクノロジー」つまり「失われた技術」なんてのもあります。
 さらに一般の人があまり知ることがない医療関係の技術もいっぱいある。ま、技術というよりは研究ですし、厳密にはバイオテクノロジーの話ですが、ココに「ぜんぜんわかってないのに」遺伝子の話を書いたことがあります。
 とにかく共通して言えるのは、歓迎されない技術というのはほとんどない、ということです。
 ただ、もしかしたら、ここまでの技術の発展ってホントに必要だったのか、と思うことはわりとあるんです。
 とくに感じるのは文化と密接に絡んでいることでして、これからそういうことを書いていきたいと。

 さて、もうどれだけいるのかわからないくらい、ユーチューバーがいる時代になりましたが、ユーチューバーはユーチューバーなりに、というかユーチューバーの動画は時代によって進化を続けています。
 技術的なことで言えば、ある時期からフルHD解像度が当たり前になり、今では4K60fpsの動画をアップしている人も少なくない。YouTubeの仕様としては2022年現在8K60fpsまで対応しているので、今後カメラや編集のためのパソコンが進化し、さらにストレージの値段が下がれば、つまりいずれは8K60fpsも当たり前になるだろうし、その頃にはYouTube側も12K240fps対応くらいにはなっていることでしょう。
 でもこれは別にたいした変化ではないと思う。
 何故ならこれらの問題は機材の性能が上がり、またどんどん安価になれば簡単に解決するからで、また現今でも「フルHDの動画なんて汚くて見れられない」とはなってないわけで、ユーチューバーに及ぼす影響はきわめて限定的だと思う。

 アタシが思う、ユーチューバーの最大の転機は「ワンオペで作った動画では視聴者から相手にされづらい状況になった」ことだと思う。
 初期のユーチューバー動画はあくまでワンオペが基本だった。チームを組んで複数の出演者がいるユーチューバーもいましたが、撮影や編集は基本的にひとりでやる、というかやれる程度だったと思う。
 でもそれでは追っつかなくなってきた。人気ユーチューバーが出演もしながらクオリティの高い編集をする、というのがどんどん時間的に不可能になった。それほど求められるクオリティが高くなったからです。
 となると、かつてはワンオペでやってたユーチューバーは、さすがに出演者として自分自身は外せないけど、編集なら他人に任せることは可能です。なので別途、編集スタッフを雇うことになる。もちろん編集スタッフが雇えるだけの「ユーチューバーとしての収入」があればこそなのですが、もう、こうなると新規参入が難しいのですよ。
 YouTubeを開設してすぐは、とにかくどんどん動画を上げろ、可能な限り毎日上げろ、というのは登録者数を増やす必須テクニックのように言われていましたが、今のユーチューバー動画レベルのクオリティの動画を毎日、ワンオペでやるなんて無理に決まってる。それこそ編集スタッフがいないと不可能で、でもYouTubeでの収入がない時点で編集スタッフなんか雇えるわけがない。

 こうなると、もう普通の企業と変わらなくなる。つまりすでに自己資金があって、それを投資出来る人だけが新規参入出来る=将来的な収益化が可能、というふうになっていっているのです。
 もちろんアイデアひとつで、自己資金などほとんどなしに人気ユーチューバーになった人もいますが、アイデアと言っても生半可なものでは無理で、となると必然的に「何でもいいからとにかく目立つもの」というふうになり、つまりはそれこそ、いわゆる<炎上系>に他ならない。
 本当に今思えばですが、面白い面白くないとは別のクオリティという面で、どこかで歯止めをかけた方が良かったと思う。
 アタシの考えとして「自己資金の少ない個人や企業がアイデアとヤル気だけで参入出来る」メディアは絶対に面白いし、いつまでも新鮮味を保つことが出来ると思っているのです。
 YouTubeは他の職種や業種に比べると、それでもまだ自己資金を必要とせずに気軽に参入出来るとは思う。ただ、この状態がエスカレートすれば、いずれは資金力の豊富な大企業しか参入出来なくなる。
 それでは先細りになるような気がするんですよ。

 もうひとつ、アタシが感じるのはコンシューマゲーム業界です。
 個人的にゲーム業界が一番面白かったのは、ファミコン時代でもスーファミ時代でもなく、はたまたStorm、PS5、Switchの時代でもなく、プレステ時代なんですよ。あ、プレステってのは初代のプレイステーション、今ではPS1って言われてるヤツね。
 あの頃はいろんな意味で、奇跡的にバランスが取れてた。いやプレステが特別ってよりはプレステが発売された1994年12月からPS2が発売される2000年3月まで、つまり1990年代後半は神がかっていたんじゃないかと思えるほど、技術力のバランスが良い時代だったとつくづく思うわけで。

 結局、アタシの中での結論として、コンシューマゲーム機って、開発費が<すべて>だと思っているのです。
 面白さ云々は関係なく、どれだけ<すご>いゲームでも、中小のゲームメーカーがかけられないような開発費(≒人材や開発期間を含む)がかかるのでは、その<すご>さはきわめて限定的だと思うんです。
 例えばね、それこそYouTubeで例えるのがわかりやすいんです。
 テレビ番組どころか一本の映画を作るのと同等レベルの制作費をかけてね、出演者も超一流の俳優を使って、CGとかにもアホほどカネをかけてね、そうしたら間違いなくとんでもない話題になるとは思うし再生回数も回ると思う。
 でも、そんなの、普通のユーチューバーには何の関係もないんですよ。もし関係が出てくるとするなら、それは「それだけのクオリティがあるもの(=潤沢な制作費を使って制作された動画)しかYouTube側が受け付けなくなった時」です。

 スマホゲーがそれなりに活況なのに、据え置き型コンシューマゲーム機がいろいろ苦しくなった原因はここだと思う。
 マクロ視点で言うなら、その業界全体が面白そう、魅力的に思える理由は「名前も知らない新興、もしくは中小のメーカーがアイデアひとつで大ヒットを生み出した」場合なんです。
 大資本の企業がスケールの大きな大ヒットを生み出すなんて当たり前。でも、資金力に乏しい中小メーカーや個人が、あそこにカネの成る木があるぞ!と群がってるってのは、やっぱりね、面白いことなんですよ。
 ファミコン時代は一見、たしかにそんな状況になっていました。
 え?何でファミコンに?なんてゲームとは縁もゆかりもなさそうな企業が続々とファミコンに参入してきた。ゲームの<ゲ>の字も本業とは関係ないのに。
 でもこれはあまりにも<商い>が勝ちすぎていた。企業は制作費を出して、せいぜい版権を取ってくるだけ。実制作は下請け(その代表がトーセ)に任せる。つまり本腰を入れてゲーム業界に参入してきた、というよりは「出せば売れる(=儲かる)んだからとりあえず参入しとけ」って感じだったんです。

 何故ファミコンが「企業ありき」なのかの説明は不要、と言いたいけど、やはりアタリショックの影響は間違いなくある。
 任天堂はファミコンにおいて、おそらく日本初のサードパーティー制を導入し(ま、当初はかなりなし崩しだけど)、初期に参入したサードパーティーメーカーを除いてカセットの自社生産を認めなかった。ということは自動的に「任天堂にカセットの製造を発注する」ことが必要になり、もちろん本数に応じた前金が必要ですから「ソフトウェアの開発自体にはさしてカネがかからない」としても、結果一時的な立替に近いとしても「カセットの生産にカネがかかる」のには変わりがない。
 しかも普通の商品のように「売上を見ながら小ロット生産を繰り返す」というのが事実上不可能で(任天堂お抱えのカセット生産工場の能力に限界があるため)、もちろん数が少なすぎたら生産に時間がかかるため<売り時>を逃してしまう。
 つまりは、そうしたリスクを含めて「資金力のある企業しか参入出来なかった」のです。
 もちろん、このシステムのおかげである程度は粗製乱造を防げたとは思いますが、自由な空気はまったくなかった。
 アタシはね、せめてディスクシステムだけでも自由市場にするべきだったというのが持論ですが、ディスクシステムの頃にはファミコンに参入したメーカーの思惑がグチャグチャに入れ乱れていて、もうどうしようもなかったんだろうな、とは思う。

 プレステの最大の特徴は「物理メディアとしてCDを採用した」ことにあります。
 CD(正確にはCD-ROM)は読み込みが遅い、また頻繁に読み込みが発生する=ゲームが中断されるなど、必ずしもユーザーフレンドリーではないのですが、それでも再生産が速い→小ロットで生産しても売れたらまた再生産をかけることが可能、というのは資金力のないメーカーにはきわめて大きな魅力になったと思う。
 そしてもうひとつ、ソニーは開発機材にカネがかからないことに相当気を配った。またライブラリも作りまくった。
 これはプレステの性能が「良い意味で中途半端だった」ことも大きい。
 プレステくらいの規模になると、もっとも開発費を圧迫するのはグラフィックと音楽です。とくにグラフィックにかんしては性能が上がれば上がるほど高騰するわけですが、そういう観点からもプレステは実に絶妙な性能だったと思う。
 もちろん凝れることは凝れるんだけど、凝れるといっても性能面からして<ある程度>までしか無理で、つまりは多少グラフィックに凝っても制作費も<ある程度>で抑えられる。
 ところが今は違う。もう、凝ろうと思えば無限に凝ることが可能で、もちろん何も凝ってないと「初代プレステレベル」と叩かれることになるので、凝らざるを得ない。
 するとどうなるか。つまりは開発費がとんでもなく莫大な金額になるわけで。

 きわめて残念なことに、それこそ現今のユーチューバーレベルで「気軽に参入出来る」ことを標榜したコンシューマゲーム機はその後現れていません。
 そこを補っていたのがゲームボーイアドバンスやPSPなどの携帯ゲーム機、そしてガラケー時代から現今のスマホまでの、いわば携帯電話ゲームです。
 しかし、それすら、もはや性能が上がりすぎた。据え置き兼用のSwitchはともかく、スマホですら初代プレステの性能をとっくに凌駕しており、実際参入がどんどん難しくなっている。
 カネがカネを呼ぶ、とは言いますが、カネがなければカネが生めないこの状況を何とかしようと思う企業はないものか、とは本気で思う。
 だからといって、今のコンシューマゲーム機はさすがに性能を上げすぎた。やっぱり、もう一回、プレステ程度に立ち返ります、なんて不可能なんですよ。
 一度進化してしまうと、もう二度と後戻りは出来ません。たんなる<技術>ならば、もしかしたら後戻りは可能かもしれないけど、<文化>が絡んだ瞬間、もうどう足掻いても後戻りは無理です。
 例えば「インターネットはヘイトを生み出すだけのメディアだった。やっぱりインターネットは研究用と軍事用だけの利用に限定します」なんて100%不可能です。

 もう一度ユーチューバーの話に戻します。
 たしかにYouTubeは視聴者が求める<質>は上がったと思う。それでも完全ワンオペで、iPhoneで撮影して、iPhoneで編集したものがすごい視聴回数を得ることも、可能性はゼロではない。
 アタシはね、せめて、ゲームもこのレベルまで出来ないか、と思うんです。
 最後に、ぼくがかんがえたさいきょうの、ではないけど、もしこんなマシンがあれば、というものを書いておきます。
 ベースはファミコンです。ま、大雑把に言えば「ファミコンにWi-Fiと開発環境を内蔵したもの」とお考えいただきたい。
 たしかに実機で開発は大変すぎるので、あくまで開発のため(つまりゲーム上では使えない)だけに若干機能を足す。とくにグラフィックはファミコンのグラフィックでは文字がデカくなりすぎるので何とかする必要があります。
 まァね、別に完全にファミコンと同じ性能にする必要もないので、スプライトの制限はなくしちゃって構わないと思うし、メモリ(RAM)も2kじゃなくて1Mでもいい。ま、つまり「異様に開発がしやすい性能のファミコン」というか。

 有料配布、つまり販売したければ任天堂を通してニンテンドーダイレクトで販売する。無料配布、つまりフリーならばインターネットで自由に配布してもいいと思うけど、その代わり著作権を放棄させる。いやこれじゃ変に取られそうだけど、要はパブリックドメイン扱いにする、と。
 目的は「参入の敷居の低さ」と「如何にゲーム開発者を増やすことが出来るか」なんだから有料無料のルールは明確に分けておくべきですし、開発者の底上げを目指すならば「自由にプログラムの改変が可能なパブリックドメインソフトウェア」の存在は不可欠です。

 もちろん生半可な企業ではそれは無理だし、可能なのは任天堂くらいだと思う。
 任天堂も「開発者の新規開拓」の重要性をわかっているからこそ「ナビつき!つくってわかる はじめてゲームプログラミング」なんてソフトを発売したんだと思う。

 でもアタシはたんに「プログラムを作る楽しさ」から踏み出して、まずハードウェアの性能を把握して、ハードウェアの限界を見極めた上でプログラミングをさせる方が絶対に能力が上がると思う。
 となるとファミコンという素体は実にいい。しかもファミコンならば「オッサンホイホイ」の役割も果たせるし、より「売りやすい」と思うのです。

 というかね、ファミコンこそ「コンシューマゲーム界のRaspberry Pi」になれる唯一の存在です。
 もういい加減、ファミコンを「懐かしい」というフィルタから外してみてもいいんじゃないかなぁ、そのタイミングはまさに今なんじゃないかと思っておるわけで。

ハードウェアの性能が上がる→開発費が莫大になる→資金が潤沢な大企業しか参入出来なくなる、というのは意外と言及されてないので書いてみたのですが、これ、VRにもまったく当てはまると思うんですよ。
アタシがVRがダメだと思う理由のひとつが(あくまでひとつでしかないけど)「まともなユーザー体験をVRて実現しようと思うなら、今のゲームの比じゃないほどのとんでもない開発費がかかってしまう」というのがあります。
というか本当にすごいVRコンテンツを作ろうと思うのであれば、最低でも「テーマパークのひとつのアトラクションを作るのと同等」くらいに考えなきゃいけないと思う。
結局いくらVRゴーグルの性能が上がろうが「開発が大変すぎる」のと「身体的に合わない人が多すぎる」ことの解決はほとんど不可能だと思うからで、百歩譲って、メチャクチャ技術が上がって「VR酔いもなければ視力的に問題がある人でも問題なく使える」ようになっても、開発費の問題はちょっと、解決の術がないんじゃないの?と。
というかさ、カネをかけたらそれでオッケーなんてね、少なくとも<文化>としての軒並みつまらないですよ。思いませんか?美味いもんは美味い




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