何とも軽いエントリタイトルですが、これだけの大御所に「くん」付けなのは上岡龍太郎の呼び方に倣っただけに過ぎません。てな話で。
いやね、もう、本当に「文珍くんセレナーデ」ってタイトルを思いついただけの話で中身は何でもいいんですが、桂文珍ってどういう立ち位置なんだろ、とは思う。
今でこそほぼ本業、つまり落語に専念していますが、それこそ今から40年ほど前は見事なテレビタレントでもあったわけです。
数々の番組で司会をやってたし、ひと頃は「ビートたけしと萩本欽一の中間のようなタレントになる」とまで言われていたくらいです。
つまり、桂文珍の「テレビタレント」としての存在感はけして低くなかった。ま、当時を知っておられる方でも「ああ、そういやそうだったな」くらいでしょうが。
そしてもうひとつ、これも当時を憶えておられる方なら、まことしやかに「桂文珍は楽屋裏でものすごい嫌われている」と言われていたのも承知かもしれません。
とくに西川のりおとは犬猿の仲と言われており、でもこのふたり「金鳥どんと」のCMで共演しているんですよね。(「ちゃっぷいちゃっぷい、どんとぽっちぃ」ってヤツね)
ま、実際、のりおは文珍の悪口をテレビでも言いまくってたけど、プロレスなのかセメントなのかは知らない。でも、何となく、一般人も「文珍は嫌われ者キャラ」みたいになっていった。
「さんまの名探偵」っていうファミコンのゲームで被害者、つまり殺されたのは桂文珍で、当時の世間の風評からすると非常に説得力のある<配役>だった。ま、吉本のタレントで誰かひとり殺されたって設定にするなら、桂文珍が適役だよね、みたいな。
さらに言えば文珍は「マイコンマニア」みたいな顔もあった。
実際、シャープの「MZ-2000」のCMにも出ていましたし、同じくマイコンマニアとしての顔を持ち富士通のFM-7ユーザーとしても知られた三遊亭円丈は噺家としてのライバルでもあったらしい。
だからアタシは面白がって「シャープと富士通の代理戦争」と言ってたんだけど、あんまり同調してくれる人がいなかった。ま、しょーがねーけど。
そして、テレビタレント時代の桂文珍を語る上で欠かせないのが創作落語です。
アタシにとっては桂文珍の創作落語が「落語の入口」で、個人的には桂三枝(現・桂文枝)の創作落語よりも面白かった。
だから文珍が新作の創作落語をテレビで演る、となったら、その時間を待ちわびてテレビの前に座っていました。
憶えているものだけでも(タイトルは忘れたけど)「大阪のヤクザが東京に乗り込む話」、「秋元康を彷彿とさせる人物が<無毛>が売りのアイドルを作る話」、「小錦が強くて強くて、周りが何とか策をこうじる話」とかは印象が強い。
最初のヤクザの話はひとつギャグも憶えている。
「おい、ぜんぜん電車が来ぉへんやないか!」
「そらナンボ東京でもそんなすぐには来まへんで」
「せやかて表に「もう乗れる」って書いてあったやないか!」
「あれは「もう乗れる」やのうて「モノレール」って書いてますんや」
まったく正確ではないけど、たしかにこんなギャグがあった。40年ほどまったく見返したわけではないのに憶えてるって、相当インパクトがあったんだろうね、当時のアタシには。
これもリアルタイムで味わってないとわかりづらいと思うけど、桂文珍の創作落語は本当に<今>っぽさがあった。ま、<ナウ>か。
私見では桂三枝の創作落語は普遍性が強く、桂文珍の創作落語は即時性が強かったと思ってるんだけど、あれだけ世相を創作<落語>という形に落とし込めたのは本当にすごいし、ちょっと、今でも真似手がないと思う。というかあれこそ「テレビタレント兼噺家がやるベストな<芸>」じゃないか。
ま、エントリタイトルありきで書き始めた割には結構書くことあったな。それだけでも勝利!