藤子不二雄のひとりの死
FirstUPDATE2022.4.7
@Scribble #Scribble2022 #藤子不二雄 #追悼 単ページ 安孫子素雄 再掲 藤子・F・不二雄展 刺身のツマ 肖像画 #ドラえもん #著作権 #1980年代 #2010年代 #大阪 #施設 #雑誌

何度も書いてますように、アタシは「藤子不二雄」という漫画家コンビの作品が好きなわけで、1987年に解散するまでに発表された作品は現今の名義が何であれ「藤子不二雄」の作品ってことでいいと思うんですよ。

今現在、それぞれ別名義になっているのはあくまで著作権上の話であって、嫌な言い方をするなら「カネの分配」の話でね、そんなことはいちファンの気にすることではない。
というか解散以降に発表した作品は「藤子・F・不二雄著」「藤子不二雄A著」でいいんだけど、残念ながらソロになってからの作品で個人的にコレってのがない。アタシが好きなのはすべて「藤子不二雄」名義で発表された作品です。
だから、あくまでアタシ的にはって断っておくけど、あえてこう書きます。

漫画家コンビ・藤子不二雄の安孫子素雄先生が本日逝去されました。
もう、マジで、何と言っていいのかわからない。というか突発的に安孫子先生のことを書かなきゃと思ったけど、頭が真っ白で何を書いていいのかわからないのです。
なので今日は2014年に書いた文章を一部割愛しつつ転載したい。で、出来れば明日以降に、もうちょっと頭を整理して何か書ければと思います。
それではどうぞ。

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こないだ藤子・F・不二雄展に行ってきたわけです。といっても東京のはだいぶ前に終わったわけで、何故か大阪会場に。まあたまたま会期中に大阪に行く用事があったから、ついでっちゃついでなんですけどね。(現注・当時アタシは関東在住だった)

まずはプロジェクションマッピングを使った映像上映。プロジェクションマッピングってのは一度ちゃんと見たかったから、それはいいんだけど・・・、いや最初にF先生の画像が出てきて(吹き出しとはいえ)挨拶ってのは卑怯でしょ。あんなことされたら、もうそれだけで涙腺が緩んでしまうわ。

展示内容は「ドラえもん」や「オバQ」第一話の生原稿などですが、雑誌再掲載用に切り貼りされたものです。つまり初出のまんまじゃない。ああやって見ると、特にドラえもんは相当描き直されてるね。つかほぼまるまる1ページ直してあるページもある。絵をちゃんと見れば余裕で気づくレベルなんだけど(のび太の鼻が尖ってない)、全然意識したことなかったわ。
でも生原稿を見ると、「すすめロボケット」の時点で「線」が完成されたのがよくわかるね。無機質なんだけど柔らかい線。あの線は、やっぱいいなぁ。

それよりもですね。
ゆかりの人や有名漫画家のサイン色紙がズラッと飾ってあるコーナーがあって、もちろんF先生に宛ててですよ。こうなるとまずA先生のを探してしまうのですが、まあさすがにないかなぁと思ったのですが、ちゃんとありました。
FキャラをバックにF先生の肖像画を描いておられたのですが、これが本当にリキの入った絵で。もうね、人目もはばからず、というか、周りに誰かいるかとか一切関係なく、ボロボロ泣いてしまいました。
いうちゃなんですが、A先生も大作家なのにF関連事業では徹底的に「刺身のつま」扱いじゃないですか。オバQにしたところで、F全集でも今回のエキシビションでも、たぶんミュージアムでもでしょう。申し訳程度に小さい小さい字で「※この作品は藤子不二雄A氏との共著です」とあるだけ。
アタシはね、冒頭でも書いた通り、吹き出しという形でさえF先生が喋ってるのを見るだけで涙が出てくるほどF先生を敬愛している。
でも同時にA先生もF先生と同じくらい敬愛している。そのA先生が刺身のつま扱いなのは、あまりにもさみしかった。もうちょっと、なんというか、リスペクトの姿勢があってもいいんじゃないかってずっと思ってたんです。

でもアタシなんかが考えるより、A先生はずっと大きな人だった。名誉とかソロバン勘定とか関係なく、F先生との友情のが大事だとわかっていた。
邪推して悲しんでるアタシに、A先生はリキの入った肖像画ですべてを教えてくれた。
「そんなことどうだっていいじゃん。それより藤本は天才なんだよ」と語りかけてくれた気がしたんです。

たぶん藤子プロにとっても藤子スタジオにとっても、喜ばしい表現じゃないのかもしれない。
でもアタシは改めて思いました。
「藤本弘と安孫子素雄、併せて『藤子不二雄』というひとつの漫画家」だとね。