笠置シズ子のことも書けない
FirstUPDATE2022.3.29
@Scribble #Scribble2022 #ブギウギ @戦前 単ページ @瀬川昌久 評伝 サイト 色川武大

先日ったってだいぶ前ですが「書きたいんだけどどう書いていいかわからない人たち」の名前を挙げました。で、その時はあえて外したんだけど、本当、笠置シズ子なんかマジでそういう人なんですよ。

笠置シズ子は近年(っても何年も前だけど)伝記が発売されましたが、正直やや薄味で、著者は一面識もない人ですが、言ってくれたら資料を貸したのに、と思ったくらいです。
というか笠置シズ子の活動は大阪松竹少女歌劇時代、松竹楽劇団時代、戦中、戦後の混乱期(いわば世間的な全盛期)、さらに歌を一切歌わなくなって女優になってから、んで晩年と、全部切り分けなきゃいけないんですよ。
これが結構大変で、ちゃんと精査しないと「ただ彼女の人生を<なぞる>」みたいになってしまう。
つまり、キチンとした文章にするための<芯>みたいなのをね、作りづらいというか。

そう言えば2005年頃に、クレージーキャッツファンサイト「CrazyBeats」のような感じの「笠置シズ子のファンサイトを作ります!」って宣言したんだけど、いまだに実現出来ていない。
その時はかなりボカして書いたのですが、昨年逝去されたジャズ評論家の瀬川昌久氏に全面的に協力していただける約束になっていたんです。
その後、いろいろあって完全にペンディングになってしまい、それでも瀬川昌久氏から私的にいろいろなお話しを聞かせていただいたんだけど、これも形に出来ていない。

というか、瀬川昌久氏とは計10回以上はみっちり話をさせてもらったのですが、そのほとんどは「笠置シズ子と服部良一の話」で、もちろんエノケンやハットボンボンズの話も聞かせていただいたけど、やっぱり、どうしても笠置シズ子関連の話になってしまいました。
とくに松竹楽劇団の頃のことは(当たり前だけど)一切映像に残っておらず、音源すらも現存しない。わずかに舞台写真があるだけです。だから口伝という形と、あとは当時の文献からしか内容がつかめない。
文献は時間をかけて調べりゃいいんだけど、それだけではどうしようもなく、ナマの印象を瀬川昌久氏からお聞かせいただいていたことは本当に感謝しています。

本当はすべて録音しておいて、書き起こしをすれば良かったんだけど、先日も書いたように瀬川昌久氏との会話はただの一回も録音していない。
だから全部、記憶に頼るしかなく、今からやるとなっても、どうも中途半端になるとしか思えないんです。

ひとつだけ、もう、個人的には絶対と思っているのは、笠置シズ子の全盛期は紛れもなく1930年代後半から1940年代に差し掛かった頃です。
「ラッパと娘」の、アウトテンポすれすれにさえ思う自在なリズムの取り方は日本人離れしているとしか言いようがない。
また「センチメンタルダイナ」のようなスローなナンバーでさえ、同時代のジャズボーカリストがけしてなし得なかったようなリズムで遊んでるような感覚がある。
スタジオ録音にして「これ」です。てことはライブなんか、いったいどんなレベルだったんだ、今でさえ真似出来る人がいないんじゃないかと。

1950年代前半にも面白い楽曲はあるんだけど、戦前期ほどはリズムで遊んでる感じがしない。
だからね、アタシは歌手を廃業したのはわかるんです。それは色川武大が指摘するように全盛期を大切にしたいってのも皆無じゃないんだろうけど、それよりも、もう、戦前期のようなあんなリズムと遊ぶ感じでは歌えない、と思ったんじゃないか。
そう考えれば「東京ブギウギ」の頃って、実は晩年なんですよ。
実際、レコードテイクの「東京ブギウギ」は(あくまで「笠置シズ子にしては」という注釈が付くけど)かなり出来が悪い。服部良一の仕事という面から見ても、そんな上出来じゃないと思う。

でもさ、これまた逆説的だけど「笠置シズ子にしても服部良一にしても突出した仕事じゃない」のに「東京ブギウギ」は突出した社会現象にまでなったわけで、そういうのもね、ちゃんと書くのは、やっぱ相当ムズいわ。







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