えと、昨日、ざっくりとした順番で言えば「好き→嫌い→興味ない」というね、自分以外の人やモノについての仕分けを書いたのですが、今日は「好き」のさらに上の感情についての話です。
ま、SMAPの「たいせつ」ですが、やっぱね、人間の感情が本当に揺らぐのは<大切>な何かに何かがあった時だと思うんですよ。
正直、好き、だけではそこまではいかない。当然同じ「好き」でも最上位も最下位もあるわけで、でも「好き」で感情を揺さぶられるのは「好き」の最上位に入るモノで、なおかつ最上位の出来事が起こった時だけです。
しかし「大切」は違う。
ほんの些細なことでも、感情が揺れまくる。となれば怒りも悲しみも喜びも、万事、平時よりも高くなるわけです。
大切だからこそ、大切な人やモノに何かあった時には本気で怒りが湧いてくるし、本気で悲しんだりもするっていうか。
今回の話は、正直書こうかどうか悩みました。
でも、ま、一種の景気づけというか、こうやって書くことで<流れ>が変わってくれたらいいなと。
2月の下旬、愛猫の「ぽんぽこ」は誕生日を迎え14歳になりました。
とくに老いた雰囲気もなく、ごく当たり前のように生活していたのですが、本当、ちょうど誕生日のあたりから体調を崩した。
現在はほほ毎日動物病院に通院する日々で、血液検査、レントゲン、CT検査の結果、やや腎臓が弱っているとはいえ、特別内臓に致命的な何かがあるわけではない。
しかし、あの食いしん坊の<ぽんぽこ>が、まったく何も食べない。どころか大好きな水さえ飲まない状態で、さすがに今は眠れるようにはなったけど一時期は眠ることさえ無理だった。
これは人間も同じなのですが、結局ね、食べることと寝ることは病気云々よりもはるかに大切なことで、つまり致命的な病気があるわけではないのに栄養不足と脱水症状からみるみる身体が弱ってきているのです。
もう、だから、今は<ぽんぽこ>が心配すぎて、何も手につかない。
もうこうなった以上、つか何度も言うように致命的な病気はないから余計に、長期戦を覚悟しているというかね、少しずつ回復の方向に向かってくれることを願うしかない。
何度か、いやScribbleには書いたことはないか。アタシにとって<ぽんぽこ>はペットではない。相棒です。どんな時でも、マジで死ぬほど苦しい時も<ぽんぽこ>はアタシを助けてくれた。
だからアタシも出来る限りのことをしたい。っても結局は「カネに糸目をつけずに動物病院に連れて行く」ことくらいしかすることがない。
それがね、ものすごく悔しいんです。何かしてあげたいけど何も出来ない。ま、これは人間でも一緒だけど、あまりにも心配されると余計にうっとおしくなるので、極端に注目しすぎないように、というか外出を控えるということもやらないようにしています。
それが本当に<ぽんぽこ>にとっていいのかわからないけど、なるべくプレッシャーを与えたくないと。
そう言えば明石家さんまが息子の喘息を<念>だけで治してしまったって話があります。
冒頭の方にSMAPの歌を貼っつけましたが、あれ、最後の歌詞が沁みる。つか泣ける。
もしアタシがスーパーマンのような能力があれば、さんまのような<念>があれば、と思ってしまう。
命には終わりがあるのはわかっている。でもそれは、しつこいけど「致命的な病気」があるとわかってた場合の話で、ぽんぽこのようにただ食べない、飲まない、眠れないで衰弱している場合には当てはまらないと思う。
このエントリは願掛けです。後で振り返った時に「あの時は大変だったんだぞ、ぽんぽこ!」って言えることを願ってね、いやそうなるよ。だからお前さんも、辛いかもしれないけどせめて水だけでも飲んでくれ。