最近、自分で、あ、これはこういうことじゃないか、と思うことがありまして。っても世の中の道理とかそんな話じゃなくて、あくまで「自分の思考回路」のことなんですが。
しつこく書いてますように、アタシはイギリス好きです。
もちろんイギリスって国は無条件で礼賛出来るほど正しいわけでも優しいわけでもないけど、それでもあの空気は本当に好きで、実際に住んでみて嫌いになるどころか本気で「日本に帰りたくない」と思ったくらいで。
だから「行きたい国は?」となると何度も行ってるにもかかわらずイギリスになってしまうんだけど、もちろん他にも行きたい国はあります。
ヨーロッパで言えば、まずイタリア。んでオランダ。あとスペインもいいな。この3つはいつか絶対に行ってみようと思っています。
微妙にヨーロッパから外れるけど、やっぱトルコは面白そうです。イギリスで出会ったトルコ人がみな感じが良かったのも印象がいい。
あとは、もう、やっぱりアメリカですよ。
何のかんの言いながらアメリカは外せない。とくにベースボールのスタジアムですね。には是非とも、死ぬまでに一度は行きたい。
出来るならフェンウェイパークかリグレーフィールドに行きたい。ま、そのふたつならどっちでもいいです。
では反対に「行きたくない国は?」となるとね、「行きたくない」ってくらいだから言葉を変えれば「嫌いな国」ってことになるのかもしれないけど、どこだろう、と考えた時に、そういうことか、と。
思えばアタシには「嫌い」な国はない。というか、これが気づいたことなんだけど「あ、嫌だな」と思った瞬間、即時に「嫌い」を「興味ない」に変換してしまうのです。
もちろん、何も知らない状態の興味ないとは少し違うんだけど、あえてゴッチャにしてしまう。無意識に。
アタシはマジで、かなり昔からアジアの各国には一切興味がなかった。んで、今回のことまったく関係なくロシアにも興味ゼロでした。
「好きの反対は嫌いではなく興味がない」と言いますが、ま、この言葉が正しいとするならアタシは「嫌い」と思った瞬間に「興味ない」に強制的にランクダウンさせている、ということになります。
もちろん「興味ない」から「好き」にランクアップした例は数少ないとは言えある。それこそイギリスなんてまさにそうです。
しかしイギリスにかんしては条件が整いすぎていたし、そもそも「嫌い」から転換された「興味ない」ではなかった。もうこんなケースはほぼないと思っています。
つまり、今の時点で「興味ない」ことの大多数は「好き」には昇格しないだろうと。ましてや、たとえ一瞬でも「嫌い」経由で「興味ない」になったものにかんしては、100%ないと言い切れます。
ただね、これ、わりと精神衛生上にはいいんですよ。
「嫌い」というモノにたいしては基本的にネガティブな感情しか生まれない。つか絶対、結論ありきの確証バイアスで見てしまう。
でも「興味ない」場合、そもそもそのモノについて考えることがない。だって興味がないんだもん。
アタシはアジア諸国には興味がない。政治にも興味がない。アニメにも興味がない。興味がないから「何がいいのか悪いのか」さえどっちだっていい。どっちだっていいから称賛も罵倒もするわけがない。
つかさ、罵詈雑言を並べなきゃいけないほど「嫌い」なら、さっさとソイツを「興味ない」に降格させろよ、と思う。
○○とか△△とかについて、嫌いとかダメとか騒いでるけど、興味のないアタシからすれば少なくともアタシよりもアンタらの方が○○や△△のことが好きだわ。ましてや芸能人とかならなおさらでしょ。
そういや昔、熱心なアンチ巨人は巨人ファンと変わらないと言われてましたが、そりゃそうですよ。スポンサーからすればどっちだっていい。見てる(好き&嫌い)か見てない(興味ない)かのどちらかでしかないんだから。