自己評価
FirstUPDATE2022.3.8
@Scribble #Scribble2022 #物申す 単ページ 自己評価 ブーメラン 正当化 他人の過小評価 #人間関係

もうね、世界情勢とか、インターネットの書き込みとかすべてに言えると思うのですが、何でああ「私は正しい」とか「私は賢い」とか「私は優しい」とか思えるんだろうって。

私は正しいにしろ賢いにしろ優しいにしろ、全部相対的なものでしかないわけですよ。
でもね、相対評価ってメチャクチャ難しい。
基準をどこに置くかも難しいし、百歩譲って<賢い>は学力ではかれるとしても(それもどうかと思うんだけど)、<正しい>とか<優しい>とかなんて他人と、それも出来るだけ偏ってない人間関係があるかが重要なんです。
いやね、ぶっちゃけ、どれだけ幅広い交友関係があろうが、正しい自己評価が出来る人なんてほぼいない。大抵の人は自分を過大評価して、他人を過小評価するのが普通だと思う。

アタシはね、最初、自己評価の過大さに様々な問題の原因がある、と考えていました。
しかし少し考えを改めた。そうじゃない。むしろ「他人さんを異様に過小評価している」ことこそ最大の問題なんじゃないかと。
つまり「私は正しい」と思っているかどうかはさして問題ではない。それよりも「他人なんて莫迦ばっかり。何が正しいのかもわかってない。しかし自分は「正しくない人」をほっておける冷たい人間ではない。つまり自分は<優しい>から他人を正してやるんだ」という。
言うまでもなくこれは詭弁です。実態のほとんどはストレスの発散でしょうし、そもそも<正しい>とか<賢い>といった自己評価が間違ってる、早い話がスタートラインからしてズレてるんだから結果としてもメチャクチャなことを言ったりしたりしてるだけです。

よく「自分は正しいことをしてる、と思っている人間ほど狂暴なものはない」と言いますが、そんなの、某大統領を見て何とも思わないんだろうか、と思う。
間違ってもあの某大統領は「自分のやってることは悪いことかもしれない。でもしかたがないんだ」とは思ってないですよ。
ほんの少しでも罪の意識を持った状態でやると、やっぱね、わかるんですよ。例えるなら常にサイドブレーキに手がかかった状態とでもいうのか。
でも「自分は正しい」と心底思い込んでいる、いや正確には先ほど書いたように「他人は莫迦ばっか、間違ったことを平気でする輩ばかり」なんて思い込んだ状態ならば、ブレーキなんかかけるわけがない。

というか、それ、誰の教えなの?どこでそんなこと学んだの?自分が正しい、他人が間違ってると思えばソイツに何をやってもいい、そんなことを子供に教え込んでる親や学校があるのか?
だいたいさ、その「自分が正しい、他人が間違ってる」ってのは絶対的評価なの?いや相対的でさえないんじゃないの?絶対的も相対的もなくて、ただ自分でそう思い込んでるだけなんじゃないの?と。
もう、何度も何度も書いたけど、これ、誰かの言葉なのか、いつしか自分でヒネり出したのかさえ憶えてないんだけど、しつこく書いておくわ。

自分は自分が思ってるよりも賢くない
他人は自分が思ってるほど莫迦じゃない







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