先日も書いたように、手持ちの音楽ファイルを徹底的に見直している最中でして。っても<音質>なんかは完全に蚊帳の外です。つかそれはね、もうジジイになって耳が劣化してるんでどうでもいいと。
いやさ、音楽を語る!なんて大上段に振りかぶると、どうしてもピュアオーディオレベルの<音質>の話とか、あとはジャンルとか特定のアーティストの話になっちゃうのですが、最近目覚めてきたのが「意外な関係性」です。
これ、マニア的な視点とも違う。つか深追いしたわけじゃないからマニアックな視点とは言いづらい。
そうじゃなくて完全に「目の付け所」ですよね。
これが映画なんかだと「映画会社という枠組みで縦に割る」なんて視点はあるんですよ。
アタシは邦画のが詳しいので邦画の話になるけど、とくにアタシが好きな東宝に絞って、さらには人的なつながりなんかも検証してね、あ、これ、東宝の伝統だ、みたいなことを見出して行こう、なんて人はいます。
ところが音楽になるとあまり聞かない。
ま、音楽の場合、スタッフがほとんど表に出てこないので検証が難しいってのはあります。
もちろん作詞者、作曲者、編曲者なんかは当然のようにクレジットされてるけど、それ以外、となると、とくに古いものになればなるほどベールに包まれている。
でも、それこそ戦前期からディレクターもミキサーもプロデューサーもいたはずだし、当時はレコード会社の意向ですべてが決められていたってのを考えたら、下手したら作詞者や作曲者よりも重要度が高いのかもしれない。
なのに、わからないことが多すぎる。せめて今で言えばスタジオミュージシャンというか、レコーディングの時の演奏者を知りたい、なんて思っても、せいぜい「ビクターオーケストラ」なんて表記があるだけで、具体的にはわからない。
これを精査してね、あ、このトランペットの<音>は間違いなく○○だろ!ってことはこの<音>を気に入ったプロデューサーの△△が次の新譜にも同じトランペッターを使ったんだな、とかわかったら絶対に面白いはずなんです。
でも残念ながら、戦前期のものにそこまで求めるのは酷な話でね、おそらくレコーディングプロデューサーが前面に出始めたのはせいぜい60年前とかその程度だと思う。
ただそれでも、レーベル毎に傾向は見えてくるし、あ、ビクターのコレがアタったからコロムビアはアレを出したんだ、とかね、そういうふうに見ていくとかなり面白いんです。
今でこそクリスマスソングの新譜ってあんまりなくなったけど、1960年代とか毎年必ずクリスマスソングの新譜を、それも大半が「ジングルベル」とか「ホワイトクリスマス」とかの既存曲ですよ、を旬の歌手にレコーディングさせてましたからね。
それこそキングレコードとかなら、クリスマスソングの新譜が江利チエミ→ザ・ピーナッツって感じでバトンタッチしたんだな、とか。
つかマジで、レーベルってのを意識すると途端にいろんなものが見えてくる。
ミュージシャンがレーベルを移籍してね、どう<音>の傾向が変わったのか、あるいはほとんど変わらなかったのかなどの検証も相当面白いです。
あと、これも現今なくなったとおぼしいけど、レーベル毎の委託盤の違いの研究も面白そうだな、と。というか民俗学的にはもしかしたら委託盤こそ研究価値があるのかも、とかね。
ま、最後のはコレクター的な話だからズレちゃってるけど、とにかく「レーベルで音楽を<聴く>というよりは<見る>」ってのはこれからどんどんやりたい。つか「ないモノを調べる」のも面白いんだけど「手元にあるモノを視点を変えながら徹底的に精査して新しい発見をする」っての、いいなぁ。