えと、エントリタイトルの「何のために」はフォーククルセダーズの優れた反戦歌ですが、この曲がすごいのは単純な反戦思想になってないところだと思うわけで。
ま、基本的には今回の紛争について書きたいのですが、まず、思いっきり話を矮小化します。
もう、本当、人間ってのは完全にふたつのタイプに分かれると思う。
ひとつは「自分のことなら大努力するけど、他人のために何かしようという発想がない」タイプと、もうひとつが「自分のことになるとどうしても後回し、面倒になってやらずに済ますことが多いのに、他人のためなら死にものぐるいで頑張る」というタイプです。
一般には前者は利己主義というか、子育てをするにあたり、前者のような人間になる教えをする親はまずいないと言っていい。一方後者は、少なくとも「人間として正しい」とされているはずです。
さあ、ここで、上記のタイプを戦争に当てはめてみます。
どう考えても戦争という事態が起こった時、非協力的なのは前者であり、後者のが協力的ってことになってしまう。
「他人のため」を拡大すれば「母国のため」にもなるわけで、自分に何の得もなくても、母国を守るためであれば死をも厭わない、という考えになっても何ら不思議ではありません。
太平洋戦争時の「お国のため」ってのは、ま、<お国>ってところがクサく感じてしまうんだけど、これが「母国のため」ならば、今でも十分通用するのではないか、と。もちろん先程の例の後者に限ってですが。
今回の紛争やオリンピックを見ててつくづく思ったのは、<戦い>というもので一番大切なのはモチベーションだな、と。
モチベーションが高ければ高いほど勝つ確率が上がるとは言わない。それこそ精神論以外の何物でもない。
しかしモチベーションが低いと勝てるものも勝てない。どれだけ能力差があってもモチベーションがゼロに近ければ勝つ確率もゼロに近くなる。
今回ね、侵略側を見てて、あ、あの国、マジでモチベーションってのを蔑ろにしてるな、と。
それは被侵略側の国を見ればよくわかる。あの大統領は市民のモチベーション維持が実に上手い。いや上手い下手だけではなく腹が座っている。腹が座っているから余計に市民もモチベーションが上がる。
一方、侵略側の大統領はとにかく兵士のモチベーション維持が下手クソだし、腹も座ってないように見える。
ましてやこの紛争は侵略側には「母国を<守る>ため」と言い難いので、つまりただでさえモチベーションを維持させづらいんです。
これ、太平洋戦争時の日本もそうで、前者にはとにかくニンジンをブラ下げて、後者にはなるべくノンストレスでやらせたら良かったのに、十把一絡げにして縛り上げたでしょ。
これでは前者も後者もモチベーションが上がりようがない。つまり、そりゃ負けるわ、と。
最後までモチベーションが保持出来ればね、仮に負けても、というか<戦死>という形になろうとも、やりきった満足感は得られる。
冒頭にフォークルの「何のために」という歌について書いたけど、重要なのは歌の最後にこうあることです。
♪ よごれた顔に ほほえェみィうゥかべェ
男ォはやァがてェ息絶ァえた~
これでもう、この歌が単純な反戦歌ではないとわかる。
つまり、この<男>は別に「戦争の被害者」でもなんでもない。自主的な行動をし、死の直前までモチベーションを保つことが出来た。だから最後の最後に「ほほえみを浮かべる」ことが出来たのです。
てことは、ある意味幸福な人生を送った男なんです。
つかあといっこ、ついでに書いてしまう。
戦時になると、あとはロールプレイなんだなぁってのも思った。
大統領は大統領という役割を全うする、兵士は兵士の役割を全うする。これがどれだけ出来るかなんじゃないかと。
つまり、それぞれの役割をこなしているだけで、大統領と兵士、そして一般市民の誰が偉いかなんか関係ない。つかそこに上下関係を持ち出した途端、モチベーションが落ちる。
「オレは母国を守るためによ、いち兵士として頑張っからよ!テメエは大統領として大統領の役割をしっかりコナしてくれよ!その代わりトボけたことしてるとハッ倒すぞ!」
って言えるくらいでないと。つか被侵略側の大統領はそれが出来てるからね。