これ、本当に、書くかどうか迷って、いやいずれはもっとちゃんとした文章にしたいとはずっと思っていたのですが、やっぱり気持ちの整理がつかなくて。だからまずは、短めで書いてみようと。
とにかく、昨年末にジャズ評論家の瀬川昌久さんがお亡くなりになって、もう、何でこんなにってほどショックが大きくて、自分でもどうしようもない。
つかアタシの中で、大きな存在、というよりはある種の「心の支え」でもあったんだな、と。
最初に瀬川先生にお会いしたのはたしか2006年だったと思う。
アタシは瀬川先生に手紙を書いて、返事をいただいた。一度遊びにいらっしゃい、と。
ただこの時からしばらく時間が空いた。次にお会いしたのは2015年でした。この時もご自宅にお邪魔させていただいたのですが、ここから、ほぼ、半年に一度のペースで訪問させていただくことになります。
訪問すれば5時間はお話しさせてもらった。もちろん、ただ会話するだけでなく、貴重きわまる資料や映像も見せていただいた。
ただ、今となってはものすごく悔いが残っているのですが、一度も先生との会話を録音をしてないのです。もう、ただ、お話しさせていただいただけ。だから戴いた言葉はアタシの記憶の中にしかないし、当然正確な発言は消えてしまいました。
具体的にどんなことをお話しさせてもらったかは、まだ書ける心境にはならない。
個人的に、瀬川先生に託されたと思えることがいっぱいあるのですが、これも具体的に何についてかは書ける余裕がありません。
ひとつだけ、ものすごくざっくりした言い方になってしまいますが、戦前の日本の音楽文化について、貴方なりに後世に伝えていって欲しい、というようなことは言われたことがあります。
実際、戦前モダニズムとアタシが勝手に言ってる、戦前期の音楽文化、映画文化ってのは想像以上に人々の関心を惹かない。
それはわかっている。つか痛感している。マニア向けなら何とでもなるけど、アタシが託されたのはそこじゃないとずっと思っていた。
どうやったら少しでも裾野が広がるんだろ。そればっかりを考えてね、ま、入口を探して、んでそこから後はアタシなんかよりもずっと詳しいマニアの方がおられるから、と。
でも本当に難しい。マジで、こんな難しいこともない。今までやったどんな仕事よりも難しい。
あともうひとつ、瀬川先生から託された魂とでも言うのでしょうか、それは「けしてビギナーを馬鹿にしない」ってことです。
今考えればですが、アタシが戦前モダニズムという<沼>に肩まで浸かったのは、間違いなく瀬川先生の<せい>です。あえて<せい>という言葉を使わせてもらったけど、それまで「ただ好き」ってレベルだったのが、瀬川先生とお話しさせてもらうほどに興味が加速した。
資料も映像も快くお貸ししてもらって、せっかくお借りしたのだからそれらを噛み砕こうと。そしたら知らない間に<沼>に浸かっていたのです。
つまり瀬川先生の姿勢がひとりのマニア(アタシなんかまだまだ似非マニアだけど)を生んだ。ビギナーをマニアまで昇格させたのは瀬川先生です。
これは本当に、心から見習いたい。
正直、もう2ヶ月ほど経つのに、まだぜんぜん気持ちの整理がついてないのがモロに出た、甚だまとまりの悪い、自分でも何を書いてるのかよくわからない文章になってしまいました。
それほどショックが深いのだな、とご理解してもらえれば幸いです。