ま、エントリタイトルでわかるように下ネタには違いないんだけど、いわばマジメな下ネタです。下ネタにマジメもクソもないけどね。
目下、今年54歳になるアタシが一番気になっているのは「いったい、あと何年で性欲が完全にゼロになるんだろ」ってことです。
いやそもそも、90歳になろうが100歳になろうが、完全にゼロにはならないんじゃないの?とも思ってる。
これは生殖器が、もっとはっきり言えば男性器が云々、てことでもないと思うんです。
実際、谷崎潤一郎はある意味男性器の存在さえ超越した性欲を描くことに執着していました。
これ、「フェティシズム」的な観点で語られることが多いけど、どうもそうじゃない。つか性欲と男性器の機能は分離してるんじゃないか。
アタシは何もね、自慰行為での精子の量を厳密に計って、一滴も出なくなるその日まで記録しよう、とかは思ってないんです。
まさに男性器的な性欲の話ですが、そういうことじゃない。どちらかと言えば、ギリギリ、パンティが見えそうで見えないことに関心がいくかどうかのが重要だと思う。
しかしよほどの変人でもない限り、この手の話はしない。それこそアタシより10歳とか20歳上の人に聞いてみたいけど、聞く勇気がない。
60を過ぎてパンチラに関心があるなんて、間違いなく女性から白い目で見られる。もっとはっきり言えば「気持ち悪いジジイ」と思われる。
だから酒の席でさえそういう話題はしない。当然のことながら「実はまだ自慰行為をやってて。これがホントの爺の自慰。なんつって」なんて衝撃のダジャレを放つわけがない。
つまりこれは、ある意味ものすごくベールに包まれているというか、その年齢にならないとわからないのです。
もちろん前述の通り、谷崎潤一郎のように己の性欲を文学として消化した人もいるけど、いくら谷崎潤一郎がド変態だったとしても文学という体裁があったからこそ開陳出来たんじゃないか。
ましてや性欲というのは本当に個人差が激しい。40くらいで、つまり男性器自体はぜんぜん現役なのに、もうそんなことに関心がなくなっちゃったよ、なんて強がり抜きで本心から思ってる人もいるし、紀州のドンファンみたいに性豪であり続けようとした人もいたし。
つまり、一般論みたいなのが成立しづらいのですよ。だから個人的な経験談は「所詮個人的な事情」で終わってしまう。
もしかしたら「老いてからの性欲」は「中高生の性欲」よりも悩み深いものなのかもしれない。
中高生の性欲にかんしてはモノの本がいっぱいあるし、世間からも「当たり前だ」と思われている。
しかし「老いてからの性欲」はみな語りたがらない上に「気持ち悪いもの」とさえ思われる。だからどうやって気持ちのケリをつければいいのかが難しいと思うんです。
マジでキレイさっぱり、性欲が消滅してくれたら本当にラクだけど、たぶん違うと思うし、もしアタシ自身が70になってもまだ性欲をおぼえるとなったら、かなり悩むんじゃないか。
すんげえ変な話だけど、性欲ってのは好奇心の源みたいなところがあって、アタシで言えば性欲がまだあるからこうやってネットに駄文を書いてられるのかもしれないなと。
だからね、いつまでYabuniraとしてネットに駄文を書き続けるのか、と聞かれるならば、性欲が完全にゼロになるまで、と答えるかな。
つまりこうやって駄文を書いてるってことは、少なくとも今のアタシは性欲はゼロではない。そしてそれはぜんぜん恥ずかしいことじゃないと思うし、そういうものなんだ、となってね、ひとりでも「老いた人間の性欲=気持ち悪い」って感情がなくなればいいなと。
つかさ、個人差があるものにたいして「まだ○○なの?」って見下してくるのはおかしいよ。そんなこと言い出したら「もう○○なの?」って言い返すしかなくなるじゃん。ねぇ。