二種類の恐怖心
FirstUPDATE2022.2.10
@Scribble #Scribble2022 #恐怖 #メンタル #コロナ 単ページ ワクチン

えと、イギリスに住む12歳の、今年中学生になった(イギリスは10月はじまりなので<なった>で正しい)姪っ子がコロナ陽性になったようでして。

今まで身近にっつーか血縁関係で陽性者がひとりもいなかったので、やっぱりビックリしたのはビックリしたんだけど、まァオミクロン株なんでね、姪っ子も2、3日熱が高かったくらいで今はピンピンしています。
本当は陽性者がどういうものかいろいろ聞きたかったんだけど、姪っ子も「軽い風邪レベル」以外の感想がないようで、味覚や嗅覚もとくに異常は見られなかったらしい。
何だったら姪っ子のお母さん=アタシの妹のワクチン副反応のが大変そうだったらしく、実際アタシも二回目のワクチン副反応にはほとほとまいったからね。

さて、アタシは「ノーマスク、ノーワクチン」主義でもなければ「不要不急の外出を一切するな!家に閉じこもっていろ!」主義でもない。
何でアタシはどちらでもないんだろ、んで何でこんな極端に走る人がいるんだろ、と思っていろいろ考えたんですよ。
でもね、どう考えても答えはひとつしかない。つまりは「恐怖心」です。
結局「ワクチンが怖い」か「感染が怖い」だけの違いで、どちらも同じ心理から発したものなんじゃないかと。
「怖い」から「避けたい」、しかし世の中の流れが「避けられない」になっている。世の中の流れを世論と言い換えてもいいんだけど、何でああまで他人さんにまで「ワクチン打つな!」とか「外出するな!店閉めろ!」とか言い出すのか、それは「世論に押し潰されそうになってるから」じゃないかと。
それにしてもさ、世論を変えようなんて、ましてやその根本になってるのが「恐怖心」からなんだから、そんなの無理に決まってるのに。

何故ならそれほど恐怖心というのは千差万別なのです。
何にたいして恐怖心をおぼえるか、それこそこのコロナ騒動で露呈した感がありますが、大別くらいは出来ないことはありません。
ひとつは<死>にたいする恐怖、もうひとつが<苦行>にたいする恐怖です。
アタシ自身の話をすれば、何度も書いてるように、本来のアタシはきわめて気が小さい人間です。つまり人より恐怖心をおぼえる瞬間が多い人間だった。
過去形なのは、いろいろあった末に「やけっぱち」になったからだけど、相当、恐怖心をおぼえる瞬間が減った。ま、当然ゼロではないけど、人並み程度にはなった。

ただね、どうも、アタシはやけっぱちになる前から<死>への恐怖心は薄い方だったと思う。
人間いつか死ぬんじゃん。それは自分自身だけでなく周りの人たちも。それはしょうがないし、怖がってもどうしようもないよね、という感覚がずっとあった。
もちろん、だからといっていつ死んでもいいとは違って、今死んだらアレも出来ないまま死ぬって、それは嫌だと。だからもうちょっと生きてはいたいと。ひらたく言えば「<生>への執着心はそれなりにあるけど<死>への恐怖心はあまりなかった」って感じですか。
それは今もです。変わったのは<苦行>への恐怖心です。
もし、今のように<やけっぱち>になる前だったら、<苦行>への恐怖心が強かったアタシは「ノーマスク、ノーワクチン」主義になっていたかもしれない。主義とまではいかなくてもマスクもワクチンももっと「嫌々」だったような気がする。

そうは言ってもね、根がどうしようもない面倒くさがりなんで、でもコロナなんてもんがある限り、面倒なことをやんなきゃいけないわけで、そんなアタシは「何でもいいからとっとと終わらせてくれよ」主義かもね。







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