サブエンターテイメントってことでいい?
FirstUPDATE2022.1.29
@Scribble #Scribble2022 #エンターテイメント #フィクション 単ページ @ファミコン 技術 メタルスレイダーグローリー 目に見える技術の発展

よくわかんないエントリタイトルですが、これ、ずっと思ってることで、似たようなことを書いたこともあるんだけどね。


↑の記事を見てあらためて言語化衝動が触発されたのですが、要するに「ファミコンの全盛期、開発者たちは「ドット絵最高!」とか「このチープな音がいいんだよね!」と思っていたわけではない。むしろもっと高性能なマシンで開発したかったはず」って話でして。
それをずっと後年になって「ドット絵だから、チープな音だから想像力をかき立てられるって持ち上げ方は違うだろ」と。

これねぇ、わりとどんなジャンルにも当てはまる話で、アタシは以前より「戦前の日本のジャズとか、技能もグルーブ感も今より数段劣る」と書いてきました。
しかし、だから良いんだよね、という結論にしてしまいがちで、これも以前に書いたことなんですが、当時のジャズメンも「これ以上上手くなったら良さが死ぬ。だから技量を上げるのは止めておこう」なんて思ってたわけではないですから。あくまで、頑張って頑張って、でも今の水準で測れば「その程度」レベルでしかない、というだけです。

それでも、アタシは思うわけです。
そもそも人間ってのは<キワ>まで発展したものにたいしては愛情を注ぎづらいのではないかと。
例えば、何百年、下手したら何千年単位でほとんど発展していないものに<傘>なんてものがあります。
そりゃあ、まったく発展しなかったわけじゃない。折り畳み可能なタイプが登場したり、ワンタッチで閉じられたりね、あと生地に撥水性のある素材が使われるようになったり。
でも結局、手に持つか、帽子のように被るか、くらいしか持ち方がないし、あの形状にとらわれない防雨用具はレインコートくらいしかない。
つまり発展が限定的すぎて、過程の面白さがほとんどないんです。もちろん今後発展する可能性はゼロではないけど、回顧的な興味を惹く存在に傘がなれるか、というと、たぶんなれないと思う。

そこにいくとファミコンは、初期のソフトと末期の「メタルスレイダーグローリー」では同じハードを作られたとは思えないほどの<発展>があるし、戦前期のジャズも、1920年代後半と1940年頃ではそのスウィング感は雲泥と言ってもいい。
たった10年ほどで、さほど詳しくない人でも違いが解るってのはそれだけ技量が進化したからで、目に見えて進化がわかる時代が面白くないわけないと思うんです。
たぶんだけど、単体でファミコンソフトとか戦前ジャズとかって、つまんないと思うのです。しかしそこに「時代の面白さ」がプラスされたらニュアンスが変わる、というか。

<過程>というのは言い換えれば<歴史>と言ってもいい。仮に「なんとなく」レベルでも歴史を知ってるか知らないかで受動する面白さは絶対に変わります。
娯楽ってのは本来、知識量に左右されないものなんだけど、逆に言えばファミコンとか戦前ジャズは、いやおそらく古い特撮、アニメ、映画なんかを含めて「知識量が必要とされる娯楽」とも言えるわけでね。
ただ、現今、良い言葉がない。オタクカルチャーってのも違うし、サブカルチャーもやっぱり違うし。

個人的には「サブカルチャー」ならぬ「サブエンターテイメント」なんてどうかな?と思うのですが、何かもっとありそうなんだけどなぁ。何かない?







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