これ、最近つくづく思うことなんですけどね。いやこういうことを書くとお叱りを受けるかもしれないってのはわかってるのですが、ま、アタシはそう思ってしまうって話でして。
最近、アタシが、というよりは<こちら側>という表現が適切なんですが、とにかく<こちら側>が「加害者側か被害者側か」で言えばあきらかに被害者側と言えるようなことがありまして。
もちろんこっちが「被害を受けた」と感じられるようなことが起きたんだから、メチャクチャ腹がたったし、イライラもしましたよ。
でもね、こういうの、比べるべきこっちゃないとわかってはいるけど、自分が被害者的立場になるのと加害者的立場になるのとでは、被害者側になった方が圧倒的に気分がラクだな、と。
しつこく、2018年、つまり今から3年前の話をします。
何度も「人生で最悪の年」と書いてきたけど、まァね、大雑把に言うならアタシは被害者側なんですよ。
ただ、被害者側であると同時に、その<歪み>のせいで加害者にもならざるを得なくなってしまった。しかも立場上、自分に加害を加えた者を庇護しなければならず、つまり世間的に見ればアタシは「本当は被害者なのに一方的な加害者」となってしまったのです。
自分は加害者である。それは事実かもしれないけど、まずは「実は被害者である」ということにたいして気持ちの折り合いを付けるのが大変だった。そこへの折り合いをつけないと、こちら側が加害を加えた被害者に謝罪は出来ませんから。
次に襲ってきたのは加害者意識とでもいうのか、とんでもないことをやらかしてしまった、という、いわば「罪の意識」なんです。
当然だけど、愚痴の吐き出し場なんか、ない。んなもん、いくら同情の余地はあったとしても「それはテメエが自分で解決しなきゃいけないことだろ」で話が終わってしまう。そんなことはわかってるから相談すればするだけ辛い気持ちになる。だから誰にも相談もしなくなり、どんどん自分の殻に閉じこもってしまうようになった。
たしかにこれは当たり前で、こちらが加害者である場合、誰も味方になんてなってくれないのですよ。その時はそんなことにさえ気づけなかった。ま、気づけたとしても「だからなんだ」って話ですがね。
そこへ行くと、今回の出来事は「こちら側に加害者要素なんか微塵もない、純然たる被害者」です。
だから強い口調で相手を責め立てることも可能だし、誰かに愚痴っても大抵の人は同情もしてくれる。
酷いことをされたのは事実かもしれないけど、それでもこちらが加害者にならないってのは何とラクなのか、と。とにかく日々の精神的負担がぜんぜん違う。いくら「思い出し怒り」をおぼえたとしても、罪の意識からまったく夜眠れないのとは雲泥の差です。
ただ、だからこそ「加害者と被害者ならば被害者の方がラク」というのを常に留意しておかないと、とんでもないことになると思う。
自分は被害者だ、だから何を言ってもやってもいい、なんて発想に至ると最悪です。いや、むしろ被害者だからこそ<節操>というものが求められる気がする。
別にアタシの体験がすべて当てはまるなんて思っちゃいないけど、もうひとつ、被害者もちょっとしたことで加害者側に転じてしまうって留意も必要です。
ま、アレですよ。被害者意識も行き過ぎるとただの加害者でしかなくなるという話でして。