先日、アタシ自身は人見知りが激しいにもかかわらず、ADHDやLDなどの人と接するのが(はからずも)得意だ、と書きました。が、これ、逆の意味にもとれるな、と。
その時も書いたけど、アタシがそういう人が負担にならない接し方を身に着けたのは、たまたま身の回りにそういう人が多く、自分なりに勉強しなければいけない環境にあったからです。
当たり前だけど、こんなの自慢でもなんでもない。ただ、もう、そうするしかなかっただけの話で。
だからもうね、わかるんですよ。あ、ちょっと、この話の持って行き方は辛いだろうな、とか、ここは話を中断させて脳の休息時間を作ってあげた方がいいな、とか。
そんなの面倒?いや、極度の面倒くさがりのアタシですが、これはまったく面倒じゃない。やっぱそこは<知識>と<慣れ>で自然とわかるから自然に出来るんです。
だったら、そういう人にとっては良いことづくめっぽいんだけど、たぶんそうでもないと思う。
アタシが見てきてきた限り、そういう人ってアタシ以上の面倒くさがりがすごく多い。当たり前というかしょうがないことではあるんだけど「今、自分はすごく頑張ってる、無理している」と感じるハードルが普通の人に比べたらメチャクチャ低いんです。
いやね、それはそれでぜんぜんいいんですよ。何も無理することなんかない。だからもう、正直に「ちょっと疲れました」って言ってくれたら、話の途中だろうが休息するなり、その日はそれで終わりにしたりします。
ところがね、ま、アタシの知ってる範疇っていう狭い中ではあるんだけど、わりとこういう人ってつまらない嘘をつくんです。
これがものすごく悲しい。いや、嘘をつかなきゃこの場から逃れられないって経験をいっぱいしてきたってのはわかるんだけど、もう、きわめて残念なことに、そういう経験値だけは高いアタシにはすぐに見破れてしまう。本当に用事があるのか、疲れて逃げたいだけなのか。
ま、かなり親しくなったら、言いますよ。
アンタ今、しんどくなっただけだよね?用事があるなんて嘘だよね?と。
言われたくないのは百も承知だけど、この手の嘘は結局自分が損をするだけなので、やらないに越したことはないんです。だから「正直に言おうよ」と言う。もし正直に言った上で怒る人がいれば、それはその人の人間性の問題だから、と。
ただもちろん、親しくない人には言わない。言わないけど、心の中では、まァいや、かなり辛辣なことを考えてるには違いない。
でね、やっぱ相手も悟るんですよ。この人、一見わかってくれてそうだけど、自分のすべてを受け入れてくれているわけではない。どころか結構辛辣なことを考えてると。
ま、悟られてる時点でアタシが未熟なんだけど、結局アタシの根本的な考え方として「本当の愛情ほど厳しいものはない」と思っている。
コイツがどうなろうと知ったこっちゃない、と思っているのなら、いくらでも表面的にも心の中でも優しい気持ちでいられます。
しかし、辛かっただろうなぁ、これから先の人生、少しでも気分をラクに生きていって欲しいなぁ、と、いわば感情移入してしまったら話が変わってくる。
ADHDだろうがLDだろうが自閉症スペクトラムだろうが、何もかもすべて許される、みたいな考えを捨てなきゃいけない。でないと、トシをとるにしたがって、さらに数倍の苦労をしないといけなくなるから。つかトシをとったADHDやLDの人が如何に大変か、嫌ってほどわかっているから。
「今のままでいいんだよ」
アタシはこの言葉ほど残酷なものはないと思っている。はっきり言えばマヤカシというか、そりゃあ、こんなことばっかり言ってりゃ嫌われないけど、自分が嫌われたくないってなってる時点で、それは本当の優しさとは違うだろうとしか思えないんですよ。