ふたりの美人女優
FirstUPDATE2022.1.16
@戦前 #東宝 #松竹 #映画 #顔 単ページ @原節子 入江たか子 小津安二郎 腐りかけ @東京の女性 江波和子 山口小夜子 アジアンビューティー @水の江瀧子 @タアキイ 個性的 色川武大 グランドショウ1946年 色気 中山千夏 @瀬川昌久

 <美人>って何なんだろ?と思うことがあります。
 井上章一は「美人論」という書物を書いてますし、「美人の定義の<変遷>」みたいな書物もいっぱいある。例えば平安時代と現代では美人の定義が違うとかね。

 昭和に入って以降、たかだか100年ほどですが、ま、さすがに昭和に入った以降になると女優のポートレートは多数、いやそれなりの知名度がある人ならほぼ確実に存在します。
 もちろん大正時代には写真機はあった。ただ、時代が時代だからか、とんでもない<写り>のが多いのですが、さすがに昭和期になるとそこまでの<写り>のはなくなる。美人女優と言われる人は昨今のポートレートと比較しても、そりゃあ超高画質とかじゃないけど、十二分にブロマイドとして通用するレベルです。

 さてアタシはかつて、戦前期の女優には「バタくさ系」(代表は原節子)か「純和風系」(代表は田中絹代)のどちらかしかいない、と書いたことがあります。
 戦後にメジャーな存在になった「ファニーフェイス系」は高峰秀子や堤眞佐子など数えるほどしかいない、と。(詳しくはココ参照)
 どちらにせよ、つまりバタくさ系であろうが純和風系であろうが、ファニーフェイス系であろうが、やっぱ、現代の<美人>とは違うんです。

 それこそ原節子や入江たか子が現代に生きていて、美人<スター>女優になれたか、というと、かなり怪しいと思う。
 もちろん彼女たちも現代でも売れることは売れるとは思う。
 しかし現代ならば絶対役柄が限られる。今は女優の数も多いし、いろんな意味でいろんなことにチャレンジさせるだけの余裕がエンターテイメント業界にない、と見るのが妥当でしょう。
 つまりラッキーパンチ的に当たり役に巡り会えた場合を除いて<スター>になれるかと言えば難しい。
 何より彼女たちはいくら美人でも「如何にも<現代の>一般大衆が」好みそうな美人じゃないと思うのです。
 それこそ新垣結衣とか石原さとみ、北川景子、綾瀬はるか、米倉涼子、本田翼、浜辺美波あたりはまさしく「現代の」美人女優であり、やっぱり原節子や入江たか子とは根本的に<何か>が違う。いやもっと単純に「新垣結衣と原節子が同年代として、現代においてどっちが<売れる>か」となったら、残念ながら原節子と答えるのは難しいなと。

 もう少し原節子の話を続けます。
 原節子、と聞いて一般的に思い浮かべるのは小津安二郎映画での原節子かもしれませんが、小津安二郎映画に出ていたのは美人女優としては<トウのたった>30代以降で(「晩春」はギリギリ20代か)、いわば「小津安二郎は黄昏時の、もっとはっきり言うなら往年の面影を残しながらも<腐りきる寸前>の原節子を上手く使った」ということになります。
 よく言われることですが、本来なら美人女優としてもっとも輝かしい時である20代前半がモロ太平洋戦争と被っており、彼女を活かした役がある映画なんか作れない時でした。それがこの女優の不幸であり、逆説的ではありますが<神話化>された理由でもあると思う。

 それでもまったく、原節子のパーソナリティを活かした映画が<美しい盛り>に作られなかったのかというと、そうじゃない。
 たとえば1939年、つまり彼女が19歳の時に「東京の女性」という作品が作られていますが、映画の出来云々関係なく、もっとも彼女の良さが活かされた、また「主役が原節子でなければ成立しない」貴重な作品です。

 これ、設定をほとんど変えなくてもリメイク出来るんじゃないかと思えるくらいの徹底的なモダニズム劇で、主人公はクルマのディーラーでキーパンチャー(タイピスト)をつとめた後、有能な営業ウーマンに育っていく。
 ま、いわゆる「キャリアウーマン物」のきわめて初期の例、というか。


 しかし、この映画を観るとよくわかるのですが、原節子ってのは幅の狭い人だなぁと。
 何というか、こんなに生活臭が似合わない人もいない。入江たか子も生活臭が似合わないけど、このふたりは双璧です。
 「東京の女性」でも、オフィスのシーンは良いのに家族の話になると違和感が強烈で、寝間着を着て寝っ転がる姿を見せても親近感のようなものがまるで湧かない。
 もちろん小津安二郎映画での彼女は、そうした違和感と親近感のなさを逆手にとったというか活かした役柄になっているのですが、いくら小津安二郎でも、では若い盛りの原節子を上手く使えたかというと疑問が残る。あれはあくまで<腐りきる寸前>だからこそ、ああいうふうに使えたと思うわけですが、それでも小津安二郎であればこそ活かせた、というのは疑いようがない。
 小津安二郎X原節子コンビの頃、同時代の他の作品、例えば「ノンちゃん雲に乗る」(1955年)での平凡なお母さん役なんか、何で原節子なんだ、という違和感が拭えないからね。(ま、クレジットを見れば何で原節子が起用されたかは一目瞭然だけど)

 ここで、そもそも、の話をしたい。つまり<そもそも>原節子は美人なのか、という話です。
 原節子は先ほどから書いているよう、如何にも現実感、生活臭のない女優ですが、では現実感、生活臭がなければイコール美人なのか、というと、また違うと思うのです。
 アタシは美人論のようなものを考える時、いつも山口小夜子のことを思い出す。この名前を聞いてピンとくる人がどれだけいるかわかりませんが、パリコレクションにも出演経験があるモデルで、主に1970年代に活躍しました。

 山口小夜子は諸外国で「エキゾチックな顔立ち」を評価されたらしい。言い換えるなら「アジアンビューティー」として見られてた、ということか。たしかに切れ長の目が特徴的で、あきらかに白人とは違うオリジナリティはあります。

 ただですね、正直、山口小夜子が美人なのか、というと、わからなくなる。間違いなく、下手したら原節子や入江たか子よりも現実感も生活臭もないのが山口小夜子なわけで、でも、無条件で美人と言い切る自信がない。
 というか山口小夜子を見るたびに「いったい美人の基準って何なんだ」と思ってしまうのです。
 好き嫌いを一切抜きにして、山口小夜子を美人として数えるなら原節子も美人にしてもいいと思う。はっきり言えば片岡義男が言うところの「原節子は完全無欠の美人ではない」からで、美しさよりも個性的な顔、という印象が強いのです。

 スタイルにかんして言えば原節子は間違いなく日本人離れがしていました。肩幅が広く、足がスラッと伸びている。当時の基準で言えば胸もかなり大きい。(当時の女優の大半がAAカップくらいだったと思われる)
 顔にかんしても典型的な「大作りな顔」で、顔とスタイルを併せて考えると「欧米的な美人」と言えないこともない。
 しかし日本人っぽさもそこかしこにあり、ざっくり見れば欧米的なのに細かいところが日本人的、という、奇妙さがある。
 だからアタシ的には、まァ美人は美人でもいいけど、先の山口小夜子や、最近の江口のりこのような「個性派美人」という言い方がピッタリに感じるのです。

 だからと言って「もし原節子が現代にいたとして、米倉涼子的ポジションではなく江口のりこ的ポジションだったに違いない」と受け取られても困るのですが、現実問題、原節子の幅の狭さを考えるなら、もし現代に原節子がいたとして、彼女のパーソナリティを活かした役柄に巡り会える確率は限りなく低く、それならまだ、「東京の女性」で原節子の妹役を演じていた江波和子(江波杏子の母)の方が新垣結衣的ポジションを担えたかもしれないと思う。
 さらにそもそもの話ですが、原節子を含めた戦前の美人女優で、今生きていたとして<スター>になれるかどうか以前に、上手く活かした役柄が充てがわれる人自体が非常に少ないと思う。フィクションの傾向もまったく違うし、大衆の好みもあきらかに変化している。
 入江たか子が戦後、美人女優をかなぐり捨てて「化け猫」女優になったことからしても、やはり戦前と戦後を境に、大幅な価値観の変化があったとみるのが妥当のような気がします。

 しかし、戦前期に登場した人で、先に挙げた現代の美人女優にヒケを取らない、もし彼女が現代に生きていたとしたら、ひょっとしたら戦前期と同程度の人気を獲得出来るのではないか、と思える人がたったひとりだけいます。
 タアキイ、つまり水の江瀧子その人です。
 とにかく以下の画像をマジマジと見て欲しい。どれも彼女の全盛期の頃の写真です。



 全盛期のタアキイの舞台を生で見た作家の色川武大は、タアキイはけして「美人ではない」と記しています。
 もちろん他人の審美眼をとやかく言うつもりはない。色川武大にしたところで「美人ではない」けど「容姿100」(当然100点満点で)って書いてるくらいだから悪く言ってるわけではない。
 それにしてもです。実際タアキイの写真を見てもらって、これ、美人か?と疑問符を浮かべる人が今どれくらいいるか。それくらい、文句なしの美人だとアタシは思うんですよ。
 しかもきわめて現代的な美人。逆に言うなら戦前期の美人じゃない。だってさ、似てる似てないの話じゃなくてね、では他に戦前期の女優で、タアキイ的な容姿の人とかぜんぜんいないから。
 だから色川武大の言ってることも正しいんです。少なくともリアルタイムの感想ならたしかに「タアキイは美人ではない」ってことになるんだろうな、とね。
 何より肝心なのは、タアキイは原節子のような「個性的な顔立ち」ではないのです。
 むしろ徹底的にクセのない顔で、色川武大はまた、こんなふうにも書いている。

美人じゃないし、色っぽくもない。ただ、実にどうも、好感度が満点で、世の中にこれほど嫌みのない顔というものがほかにあろうか。
(色川武大著「なつかしい芸人たち」)


 晩年になるにつれタアキイの顔立ちは個性が出てきましたが、全盛期=男役時代のタアキイは「個性的美人」ならぬ「無個性美人」だったと思う。
 顔立ち自体は無個性なのに「華と愛嬌」があるというのは無敵で、こうなると時代は関係ない。好きな顔立ちは時代で変化しても、「華と愛嬌」だけはどんな時代だろうと、芸能という文化が存在する限り、もっとも求められるものです。

 では現代に、タアキイほどの無個性美人がいるか、というと、ま、アタシが疎いのもあると思うけど、少なくとも<スター>レベルで売れてる人では思いつかない。
 ここまで名前を出した新垣結衣、石原さとみ、北川景子、綾瀬はるか、米倉涼子、本田翼も、少なくとも<無個性>な顔立ちではない。
 もう、しいてレベルですが、木村文乃、あと浜辺美波あたりは無個性と言えるかもしれませんが、では彼女たちがタアキイほどの「華と愛嬌」があるかと言うと、甚だ疑わしい。と言うかふたりとも、「地味な美人」として扱われることが多いしね。
 はっきり言えば、基本的に「売れるを超えた絶大レベルで人気を得る美人女優」は軒並み個性的な顔立ちをしている。
 それこそ原節子は言うに及ばず、吉永小百合も間違っても完全無欠の美人ではない。
 そう考えるなら「個性的」というのは武器でしかなく、その武器が皆無で、いや個性という武器がないからこそ圧倒的に売れたタアキイのすごさは際立っています。

 タアキイは色川武大の意見を聞くまでもなく、一般には「色気皆無」と言われていました。
 何しろ一人称は「アチシ」だし、うどんが大の好物で、典型的な「色気よりも食い気」タイプだった。性格もサバサバを超えたノンシャランとした人柄で、ある意味「男性的」と言えるものでした。
 また彼女が所属していたのが松竹歌劇団、つまり少女だけの劇団だった、さらに彼女が断髪姿の「男装の麗人」だったこともあり、レズの噂が絶えなかった。
 ま、余談ですが、タアキイは性的には完全にノーマルで、正式に結婚こそしなかったものの長く男性と同棲していました。

 だから、というのも変ですが、ちゃんと女性的な部分もあり、それは終戦直後に公開された「グランドショウ1946年」という映画を観れば嫌でもわかります。
 この「グランドショウ1946年」は映画と言っても筋らしい筋はなく、ショウシーンがオムニバスのように連なっている完全な見世物映画なのですが、うちの一景に登場するタアキイのダンスを観れば、男装の麗人というイメージが覆るはずです。


 この時タアキイは31歳ですから、レビュウガアルとしてはトウが経った頃です。しかし、そんな実年齢も忘れるほど、華麗に踊るその姿は美しいのひと言で、ただ細いだけ、それこそ原節子のように胸があるわけではないのに(ま、ぶっちゃけまったくない)、女性的な色気が濃厚なのです。
 この映画のことは彼女を丹念に取材・調査した中山千夏著「タアキイ 水の江瀧子伝」でも触れておらず、アタシも瀬川昌久氏からお借りするまで存在も知らなかったマイナーな作品ですが、この映画を観たことがあるかないかでタアキイの評価がまるっきり変わってしまう、とさえ言える重要な作品です。(瀬川昌久氏も(歌はともかく)タアキイのダンスはすごいんですよ、と力説されていました)

 何が言いたいのかというと、タアキイには「女性的色気が内包されている」という、全盛期には隠し持っていた奥義というか奥の手というか裏ワザというか、そういうのがあったんです。
 では、今の女優の中で、世間の評価をいっぺんにひっくり返せる「隠し持った技」がある人がどれだけいるか、というと、皆無としか思えないんです。
 そうしたことを加味すれば、むしろ、タアキイが現代に生きていたとして、売れないわけがない、と思うんですよ。

 今回は原節子と水の江瀧子のふたりを通して美人女優というものを考えてきたのですが、「令和からの目」というフィルター越しに見れば、こんな面白い対比はない。
 ま、基本的にアタシは原節子にたいしては辛辣な方なんですが、戦後の小津安二郎映画を除いて完全に「戦前期の活動」に絞ってもタアキイと比類出来るのは、高峰秀子でも高峰三枝子でも田中絹代でも、そして入江たか子でもなく、やっぱり原節子しかいない。しかもそれは現今の知名度とは関係ない。
 結果としては活かされることがほとんどなかったとはいえ、スケール感とでもいうのか、時代が時代なら、とこれほど思わされるのは原節子くらいだから。

 ま、今の時代の女優で、ずっと後年になってね、それこそ2100年頃に「2020年代の女優で突出しているのは」なんて話が出来るような人が出てきたら、とは思うのですが。

途中まではわりと良い感じに書けたのですが、どうやっても起承転結の<結>、つまり「締める」ってのが上手くいかなくてだいぶ苦労しました。
もちろん、こうやって書けば異論が出るのはわかっている。戦前期に絞っても「李香蘭が入ってない」とか「英百合子とか高峰三枝子は?」とかね。あと高峰秀子は美人女優として原節子と入江たか子とともに山田五十鈴の名前を挙げています。と言うか高峰秀子自身も入れてもいいレベルだしさ。
ま、そこんところはね、いろいろと勘弁してもらって、ということで。




@戦前 #東宝 #松竹 #映画 #顔 単ページ @原節子 入江たか子 小津安二郎 腐りかけ @東京の女性 江波和子 山口小夜子 アジアンビューティー @水の江瀧子 @タアキイ 個性的 色川武大 グランドショウ1946年 色気 中山千夏 @瀬川昌久







Copyright © 2003 yabunira. All rights reserved.