ハッピーニューイヤー!法被を着てハッピッピー!!・・・ま、とにかく今年もよろしくってことで始めますので是非御一読をば。
萩本欽一はかつて「今の視聴者はバカが嫌いなの」という発言をしていました。なんてことは散々擦り倒してきましたが、どうも、昨年あたりから本格的に、萩本欽一の発言と逆の流れに変わってきたのではないか、と思わなくもないわけで。
昨年のM-1で錦鯉が優勝してね、寸評で松本人志が「ぼく今までで決勝、こんなに悩んだことなかったですね。本当に僅差でしたけど、最後の最後はもうバカに入れようと思って錦鯉にしました」という発言を含めてですが、「バカが嫌い」の時代を通り過ぎて、ついに「全身バカ」の時代がきたな、とね。
何でこういう風潮になってきたか、再び全身バカが脚光を浴びるようになったか、それはあまりにも世間に「小賢しいバカ」が増えすぎたからだと思う。
ネットを見れば、ものすごく立派なこと、もしくは冷徹に分析したふうのことを書いてるのに、そもそも根本が間違ってる、みたいなね、小賢しいバカだらけの世の中になってしまいました。ま、例えるなら、人がウ○コしている横で延々とカレーにかんする講釈を垂れている、というか。つまり「そのカレーの講釈が正しいかどうかはどうでもいいんだよ!ここはウ○コする場所なんだよ!」ってのがわかっていない。
たぶんだけど、もう、かなりの人がこういう「小賢しいバカ」に心底うんざりしてるんじゃないかとね。
阿波踊りじゃないけど、小賢しいバカと全身バカなら全身バカの方が見ててよほど気持ちいいぞってのに気づいてきたと思うんです。
自分を太夫(賢者)と思い込む才蔵(愚者)については↓にたっぷり書きました。
昔、つまり萩本欽一が「バカが嫌い」と提議した1970年代後半からここ2、3年前までは、ここまで極端に「小賢しいバカ」はいなかったと思う。ところが本当に、うんざりするほど増えてしまった。いや増えたってより露呈してきたって感じか。
つまり全身バカはマイノリティになったことで逆に復権したのです。
詳しくはまた今度書きますが、アタシも今年はこの潮流に乗ろうと思います。
毎年、年始めは「今年の抱負」を書いてきたのですが、2022年の抱負、とくに「インターネットで何か発信する」ことに絞れば「全身隙だらけ人間」になろうと思います。
さすがにね、極端なキャラ変は難しい。それでもScribbleではなるべくウ○コ!と書いてきたし、冒頭でもつまらなすぎるボケを書いたりは今後もしていく予定ですが、全身バカでは書けるネタが限られすぎる。
そこで、せめて隙だらけ、つまり「ツッコミどころ満載」の人間になろうと。
実は技術も知識もあるんだけど、本番になると思考停止して本能のまま動く人間が一番強い。もちろん思考停止してるんだから、破綻も破綻なことしか言えない出来ない書けないけど、その方がね、トータルで結果オーライになるんじゃないかと。
野村克也は「考える野球」を提唱したけど、アタシは「考えないインターネット発信」を提唱したい。
考えに考えるのは本番の直前まで。んで実際に本番が始まったら計算ゼロでやろうと。それが今年の目標だわ。
ま、本サイトでもScribbleでも分析系はさすがにそこまでは出来ないけど、他はね、理に落ちるようなものになったら容赦なく全改稿、もしくはボツにします。
小賢しい講釈を垂れるくらいなら、マジでウ○コ連呼のが「ひとりの人間として」はるかにマシだもん。