先日、通常の「ドラえもん」の枠で、藤子・F・不二雄ミュージアムでの上映用の「ドラえもん&パーマン危機一髪!?」が放送されたので見たのですが、うーん、やっぱ、これは合わん、と思ったって話でして。
そもそもアタシが2005年に行われたリニューアル後の「ドラえもん」を見なくなったのは、「いいトシして」とか「声優に違和感がある」とか「キャラクターデザインが」とかじゃないんですよ。
もう、ひと言で言えば「ノリが合わない」としか言いようがない。それはどれだけ原作に忠実だろうが、ハナシとして面白かろうがね、ノリが合わないとなった時点で「自分にとって関係がないもの」として認識してしまう。だから見なくなったのです。
この<ノリ>ってのは殊の外大きい問題で、それこそアタシが深夜アニメなんかを見ないのは<ノリ>が合わないってことに尽きる。
逆に、1960年代の東宝映画なんかは、どれだけくだらない内容だろうが<ノリ>が合うので、最後まで見てられるのです。
ってさっきから<ノリ>がどうとか書いてるけど、実際<ノリ>の説明は非常に難しい。
ものすごくわかりやすい例で言えば福田雄一監督作品なんか最たる例で、福田雄一の作るものってどれも独特のノリがあって、爆笑出来る人とまったく付いていけない人にキレイに分かれる。しかもそれは「面白いか面白くないか」とはまったく別次元の話なんです。
アタシで言えばEテレでやってる「オトッペ」ってのが、どうもノリが合わない。何だか、別に熱心に見ていなくても、チャンネルが合ってるだけで妙にムカムカする。
もちろん、わさび版「ドラえもん」はムカムカまではいきませんよ。でも、気分がノッてないから「楽しく」ないんです。
思えばアタシが原作の「ドラえもん」に魅入られた最大の要因は、藤子Fの紡ぎ出す「落語的なノリ」だった気がする。いや、あんまりそう指摘されることのない藤子Aでさえ、細部に落語的なノリを感じ取ることが出来ます。
少なくとも、のぶ代版(ま、最末期は別として)はちゃんと落語的なノリになっていた。とくにパイロットフィルムとして作られた「勉強べやのつりぼり」は恐ろしいまでに落語的ノリが再現出来ていました。
それが、わさび版では消えた。たしかに展開やキャラクターデザインは原作に近づいたかもしれませんが(キャラクターデザインはそもそも頭身が違うので<近づいた>ってほどでもないけど)、こと<ノリ>にかんしてだけは原作とはまるで別モノになった。
いやね、前にも書いたように、わさび版がこの<ノリ>で今の子供に受け入れられているのであれば、それはそれでいいんですよ。本来ターゲットではないオッサンのアタシがケチをつけるところではありません。
でもさ、この「ドラえもん&パーマン危機一髪!?」って藤子・F・不二雄ミュージアムで上映されるためだけに作られたものなんですよね。ということは本来「藤子Fのアニメファン」ではなく「藤子Fの原作ファン」がターゲットのはずなんですよ。なのに、原作にはまったくない<ノリ>が支配する作風の作品に仕上げるって、これはどういうことなんだ、と思う。
ここまで書いてきてあらためて思ったことですが、好き嫌い、と書いてしまうと語弊が生まれそうなので<相性>ってことにしておくけど、相性の良し悪しって<ノリ>が合うかどうかがすべてな気がするんです。
もしかしたら体内リズムなんかとも関係しているかもしれない。もちろんこの場合に限っては多少は世代論のようなものも成り立つかもしれない。
ま、今回はアニメの話なのでアニメに限定するけど、「アクション」とか「ギャグ」とか、そういうジャンル分けじゃなくて「ノリ別」みたいな感じの分け方が欲しいな、と思う。
ジャンル関係なく、この<ノリ>が好きならばこの作品も好きだよね、くらいのキュレーションをしてくれるのであれば「まだ見ぬオススメ」の精度がもっと上がるような。
つかまだ誰もフィクションの<ノリ>について本気で研究してないよな。これ、余裕で研究に値することだと思うからマジで誰か突き詰めて欲しいわ。
アタシ?まァ、暇があれば。