ある程度のトシになったからこそ許されることってね、やっぱりあると思うんですよ。っても特権とかそういうんじゃなくて。
2005年2月8日にアタシは「夢路いとし・喜味こいしのこと」というエントリを書いています。
その中で
アタシの記憶がはっきりし始める6、7歳、昭和50年ごろの話ですね。(中略)いとし・こいしが出てくると「うわぁ、えらいおじいさんが出てきたな」と思ったものです。
でもね、調べてみると
・夢路いとし 大正14年生まれ
・喜味こいし 昭和2年生まれ
ですから、昭和50年前後といえば、まだ50歳前後だったわけです
正直ここを読んで戦慄した。ちょっと待てよ。アタシが子供の頃に『えらいおじいさん』と思っていた「いとこい」先生の年齢を、アタシはすでに超えているのか!
うーん、ちょっと寝込むわ。
起きた。続き。
上記のエントリの中でアタシはこんなことを書いています。
(現注・いとし・こいしは)ホントはすごい老練なんだけど、顔とかで笑わしたりとか平気でするでしょ。よく聴くとギャグもわかりづらいマニアックなことをやってるし。こんなじいさんが、こんなギャグをやってる!これだけで最高にシビれてしまったんです
「顔で笑わせる」ってのは一般には「幼稚な芸」と言われているのですが、幼稚な芸はね、なるべく若いうちはやらない方がいいんです。だって<幼稚>と思われるから。
他にも下品なネタとか、あとくだらなすぎる、いわば超ナンセンスと言うのか、そういうのも幼稚の中に含まれるわけですが、やればやるほどその芸人は「安易に幼稚な笑いに走ってる」と批判される。つまり良いことが何もない。
ところがね、ある程度年齢を重ねると変わってくる。本人が、というよりは、受取手の受け取り方が変わるのですよ。
先のいとこい先生なんか最たるものだけど、見た目如何にもおじいさんのベテランが「顔で笑わせる」なんてやったら、このトシになってもここまで貪欲に笑いを取りにいくのか、カッコいいな!ってことになるんです。
前も書いたように、トシをとったからといって笑いの感覚なんか変わるわけがなく、下品なネタでも笑えるものは笑える。「トシをとったら笑えなくなった」なんて、少なくともアタシは「嘘つけ」と思う。
例えば、ボケてのネタで一番好きなのは↓コレだったりします。
もちろん↑は2コマ目(こっちは改変されてない)があるのがミソなんだけど、それでも下品なネタであることには変わりがありません。
自分で発信すること、それは直接的な笑いであろうが、笑いとは違う「面白い」であろうが、自分の中で心の底から「イイ!」って思うことだけなんですよ。
オッサンになってね、こんな下品ネタとか超ナンセンスなのを面白がってるとか恥ずかしい、なんて変な抑制を掛けるから「つまらない発信」になる。
だったらさ、むしろ「オッサンだからこそ許される」と思って積極的に下品ネタとか超ナンセンスを発信していくべきなんじゃないの?と。
てなわけで、Scribbleを立ち上げてから、かなり意識的に「むしろ、なるべくオゲレツにしよう」と思ってる。いやオゲレツってよりは「幼稚にしよう」って方が近いか。
オッサンになったからって、ふんぞり返って、真面目なこととか世を憂うことしか言わなかったり、和ませるにしても小粋なジョークみたいなのしか言わないって、そりゃ違うわ。少なくともアタシはそうはなりたくない。
もちろん真面目なことも書くけど、なるべく同じくらいの比率で「コイツ、イカれてるんじゃないの?」ってことを書いていきたい。そう思っています。
だってそっちが本当の自分だもん。Twitterにも書いたけど、世の中を憂いだり政治に怒ったり、そんなの絶対したくない。本当は書きたいのに我慢してるんじゃなくて、マジで心底どうでもいい。
そんなことより猫デレしたり、下品ネタとか超ナンセンスなことをやりたいって方がよっぽど<本心>だわ。
え?正直になれって?我慢するなって?だから自分をさらけ出すよ。せーの
ウ○コ!