根性論は<備え>
FirstUPDATE2021.11.28
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 何度見ても泣ける野球の動画があります。
 しかしそれは一軍の試合ではない。もう二軍の優勝チームも決まっており、いや二軍の優勝はさほど重要ではないのでどうでもいいんだけど、一軍も、セ・リーグもパ・リーグも優勝チームが決定した後の試合です。
 つまり、どっからどうみても消化試合以外の何物でもない。

 2016年、この年より新監督に就任した金本知憲は「超変革」をかかげ、その象徴として開幕スタメンにこの年ルーキーだった髙山俊を一番打者に、高卒3年目の横田慎太郎を二番打者に抜擢したのです。

 正直金本も最初、横田を使う気はあんまりなかったと思う。ところがオープン戦で打ちまくり、といっても俊足を活かしまくった内野安打ばっかりだったんだけど、何とオープン戦打率.393を記録したんです。
 まァね、所詮はオープン戦の成績だから公式戦に入ってそのまま打てるわけもなく、結局5月には二軍落ちしてしまいます。
 それでも阪神贔屓のアタシは横田に大いなる期待を抱いた。一軍で打てなかったからといってまだ高卒3年目じゃないか。必ず、近い将来、とんでもない選手になる。そう信じたんです。

 どこのチームかにかかわらず、高校から入団してレギュラーを獲るような選手は必ず4年目以内に頭角を表す、と言われています。
 翌2017年はまさに横田にとって勝負の年であり、前年の序盤だけとはいえ一軍のスタメンで出ていたことが必ず活きてくるに違いない。いやもう、横田がレギュラー争いに加わらなきゃ嘘だろ、とさえ、思っていた。
 ところがキャンプ中盤に、横田は、突然、消えた。もちろん無断欠勤とかでないのはあきらかでしたが、怪我をしたというような情報も一切出回らず、いったい横田はどうなったんだ、と阪神贔屓から心配する声が挙がりはじめます。

 まったく情報が漏れないまま、9月になった。
 そして、実は「脳腫瘍を患って入院しており、このほど寛解した」と発表されたんです。
 寝耳に水とはこのことで、そんな馬鹿な、あの健康優良児そのものの横田がそんなことになるわけがない。
 脳腫瘍、となると、仮に寛解していてもプロのスポーツ選手としてやっていくには難しすぎる話なのですが、それでも横田は復帰を目指し、また球団も復帰の後押しとして育成契約を結ぶことになるのです。

 しかし、予想されていたこともはいえ、コトは簡単ではなかった。
 体力こそ徐々に元に戻りつつありましたが、どうしても視力が戻らない。「球が二重に見える」というのは野球選手にとっては致命的で、2019年、ついに横田も復帰を諦め現役引退を決意します。
 脳腫瘍を患って以降の横田はリハビリと基本練習に明け暮れ、まったく実戦には出場していませんでした。そりゃあ「球が二重に見える」なら怖くて試合なんかに出られるわけがない。
 しかし試合終了後に引退セレモニーが予定された日のソフトバンク戦に、横田は8回途中からセンターの守備で出場した。
 何のことか、いきなり、横田のはるか頭上を超えていく打球が放たれた。クッションボールを無難に処理した横田でしたが、打者走者は悠々二塁へ到達した。この時点でランナーがセカンドにいたので、そして阪神が1点勝ち越している場面だったので、つまり同点タイムリー二塁打です。
 そして次の打者の打球は再びセンターに飛んだ。会心のセンター前ヒット。二塁ランナーは三塁を回る。このランナーが帰ればソフトバンクの勝ち越しになる。

 もう一度言います。横田はまともに打球が見えないのです。なのに、猛ダッシュで打球を素早く捌き、力いっぱいホームに向かって投げ込んだ。
 まるで神の手が介在したかのよう、ややスライス回転した送球がノーバウンドでキャッチャーのミットに吸い込まれた。ストライク返球。もちろん走者はアウトになった。
 もともと横田は強肩として知られていましたが、ここまで見事なストライク返球は練習でもほとんどなかったらしい。それが、まさに、人生最後のプレーで、やってのけたのです。

 このタイミングでこんな、いくら形容を付けても付け足らないビッグプレーが出来る横田は野球選手にとってもっとも必要な「何かを持ってる男」だということが、はっきりした。
 間違いなく、やっぱり、もし病気さえなければ、とんでもないスーパースターになっていたんだ。
 それをこんな形で引退しなきゃいけないとか、何て、ムゴいんだ・・・。

 奇跡のバックホーム、それは横田慎太郎の著書のタイトルにもなった。
 その後も、つまり現役引退後もまだ本当に病気が治まったわけではなく、何度も何度も入退院を繰り返しているそうで、それでも横田は前を向いている。もう野球は出来ないけど、それでも必死に<今>を生きているのです。
 正直、アタシに出来ることは何もない。しかし、これはアタシだけではなく全阪神贔屓が同じことを思っていると信じているんだけど、これからどんなことがあっても、横田慎太郎という男を応援し続けるはずです。

 著書を読むと横田は何度も何度も気持ちが折れそうになったと告白しています。
 金本知憲やチームメイトが何度も見舞いに訪れ、ファンからの熱いメッセージによって「頑張らないと」と励まされたそうだけど、そうは言っても最終的に頑張る、乗り越えるのは自分自身です。そこだけは誰も助けてくれない。
 よく「病は気から」と言いますが、この言葉は実に勘違いされやすい。気持ちさえあれば医者にかからなくても、薬なんか飲まなくても病気が治るのかよ、と。
 もちろんそういう意味ではありません。
 病気ってのは周りがどれだけ支えても、最高峰の治療を受けても、本人に「何がなんでも治りたい」という気持ちがないと治らないのです。つまり「別に死んでもいいし」と思っている人はどんな名医でも治すことは出来ない、という意味なのです。

 病気の治療は自分では何も出来ないことが多い。「治す!」という気をもって、ただ歯を食いしばって耐え凌ぐ、なんてことがいっぱいあるわけです。
 これは一部の人が虫酸が走るほど嫌いな「根性」ということに他なりません。
 もう、何がそんなに「根性」という言葉が嫌いなのかわかりませんが、ま、それでも「他動的な」根性論が嫌いってのは、百歩譲って理解は出来る。
 横田の場合はいわば自発的な根性です。だから、先生から、上司から、親から「押し付けられた根性論」とは根本的に異なるのかもしれない。

 というかね、他人から押し付けられるなんて、根性論だろうが、如何に科学的に正しいことであろうが、どれだけ正論だろうが反発を覚えてしまうものなんですよ。
 たぶんこれはナニ人だろうがナニ時代だろうが関係ない。人類というものが生まれて以来、ごく一部の「他人の押し付けを受け入れて生きていった方がラク」という奇特な人を除いて、この世に生を受けた人間のほとんどは「押し付け」にたいして嫌悪感をもよおすものなんです。
 つまりは根性論かどうかなんか何の関係もない。押し付けられたのが根性論だった人が多くてそこから派生したのかもしれないけど、やっぱり、関係があるとは思えないんです。

 アタシがここでいう根性とは、横田の話と同様、あくまで「自発的な話」です。
 もし自発的な根性そのものを馬鹿にする人がいれば、少なくともアタシはそんな人間と関わり合いたくない。というかさっきも言ったように時代も関係ないし、日本だろう海外だろうが一緒です。「根性なんて言い出すのは日本だけ」と言いますが、じゃあ「ガッツ」ってどういう意味なんだろうね。
 要するに根性なんてどこの国でも該当する言葉はあるし、それを求められるタイミングはあるんです。それも等しく皆に、根性が求められる事態がおとずれる。

 もちろん横田のように生死の境に立たされた時はそうなんでしょうが、実はね、ある程度の年齢になると「もうこれ、根性で<やりすごす>しかないだろ」なんてことが、わりと頻繁にあったりする。
 若いうちはね、実は根性なんてたいして必要ないんですよ。
 根性なんてなくても基礎体力が高いから、そんなに馬力を入れなくても普通にコナせたりする。たとえば、えと、たしか30歳手前くらいだったかな、アタシは一週間ほど<ほぼ>寝ない、なんてことがありました。
 もちろん一睡もしないわけじゃないよ。でもせいぜい電車の中で10分寝たとかその程度でね、だいたい当時のアタシは昼間はドカタ、夜はクラブで働いていたから寝る暇なんてない。ましてやその頃はもっとも遊びが激しい時期だったので、クラブの営業が終わってからドカタが始まるまでのわずかな時間も女の子と遊ぶのに必死だったし。

 ところがフシギと疲れとかなかったんです。
 いくら若くてもそんだけ無茶してたら眠い云々の前に体力が保たなそうだけど、意外もそうでもなかった。
 これが「若さ」というヤツです。
 こんな無茶しても大丈夫なんだから根性なんか必要ない。根性を発揮する前に休息のタイミングが必ずおとずれるんだから。
 ところがトシを重ねるとこうはいかない。
 とくに根性なんか必要ない若い人と一緒に仕事をする時なんかはそれを痛感するんです。
 年齢を重ねるというのは、こちらの方が立場が上だったりするわけですが、そういう場合、若い人と同じことをコナそうと思えば、もう「根性」で<やりすごす>しか手がないんですよ。

 もし若い人に「根性とは何か」と聞かれるなら、アタシは<備え>だと言いたい。
 たしかに今は、その年齢では根性なんて必要ないのかもしれない。しかし近い将来、必ず、根性以外に乗り切る術がない、という事態がおとずれる。
 そんな時のために、いざとなったら根性を出す訓練をしておきましょうや、と。せめて根性を馬鹿にするような幼稚な真似はやめませんか、と。
 そんなのまだまだ先の話じゃないか、と思われるかもしれないけど、ここで冒頭の横田慎太郎の話を思い出していただきたい。
 横田が脳腫瘍になったのは高卒4年目、20歳をすぎてわずかの頃です。
 彼は純朴で、天真爛漫で、斜に構えることがカッコいいと思っている根性論を莫迦にする連中とはある意味真逆の人間でした。
 だからこそ、辛いリハビリにも耐えることが出来たし、素直に支えてくれた人に感謝の言葉を口にすることも出来る。

 根性論を馬鹿にする人。横田のようにいつ何時、根性以外では耐え忍ぶことが出来ない事態がおとずれるかわからないんだよ。もしそうなって、横田のように根性で乗り切ることが出来るの?と言いたいわけで。

このネタ、本来ならばもっと早い時期にカタチにする予定でいたのですが、どうにも膨らませようがなかったというか、膨らませるアイデアをまったく思いつかなかったというかね。
だから一旦ペンディングしてたんだけど、ふと、横田慎太郎の話を<軸>にすることを思いついて、それなりの長さのエントリに仕立て直すことが出来ました。
ま、その代わり、半分、いやほぼ野球絡みのエントリになっちゃったけど、横田慎太郎への熱い思いを語るエントリになるならなるでいいかなと。
※2023年7月22日追記
2023年7月18日5時42分、横田慎太郎は28年間という短い人生の幕を閉じました。
本当はScribbleの方に追悼文を書くつもりで、というかちゃんと最後まで書き切ったんだけど、ボツにしました。
何というか、あまりにもショックというか喪失感というかが大きすぎて、何をどう書いても、みたいな虚無感に襲われたのでアップ出来なかったのです。
横田慎太郎を応援する、というのは横田慎太郎という<選手>を応援するということではなく、横田慎太郎の<人生>を応援する、いや、ひとりの人間としてひとりの人間を応援する、というのに近かった。
こうした感情は身内でもなかなか生まれないもので、まァ多少低く見積もっても「身内の死」なんてそう早急に受け入れられるものではないし、ましてやこういう形で何か書こうとなっても、感情の整理が出来てないからどうしてもメチャクチャな文章になる。
だからScribbleにアップするのは諦めたんだけど、メチャクチャでもいいから、何か、ほんの少しでも書き残したいと思ってここに追記という形で記しました。




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