スーダラ節から60年、スーダラ伝説から31年
FirstUPDATE2021.11.25
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 えと、今日で「スーダラ伝説」の発売からちょうど31年が経ちましたってエラく中途半端だけど、発売日は違う(8月)とはいえ、今年は「スーダラ節」からちょうど60年目でもあるわけでして。

 「スーダラ伝説」はアタシが「初めて体験したクレージーキャッツにかんするムーブメント」でして、とにかく印象深い。
 当時アタシは大学生だったけど、まさか、あの植木等(個人名義ですが)が新曲を出すなんて信じられない、ただそれだけでした。
 もちろんそれには理由はあるのですが(理由は以前書いたから割愛)、それにしても、その前の「実年行進曲」が1986年だからたった4年前ですよ。もう一個前の「毎度毎度のおさそいに」が1983年、さらに一個前の「これで日本も安心だ!」が1979年ですからそんなに間隔は空いておらず、信じられない、というほど奇跡的なことではない。
 つまり1990年というのは現役バリバリではないってだけで「完全に一線を退いた」って感じではなかったわけで。

 もっと言えば、「スーダラ伝説」のリリースはデビューシングル「スーダラ節」から29年しか経ってない。で、今年が「スーダラ伝説」から31年ですから、もう「スーダラ節」→「スーダラ伝説」よりも「スーダラ伝説」→今現在、の方が長くなってしまった。
 それだけ植木等をはじめとするクレージーキャッツの活動時期は遠くになりにけり、という話ですが、勘所は「スーダラ伝説」はアタシにとって「初めて体験したクレージーキャッツにかんするムーブメント」ってことなんですよ。

 それこそね、戦前モダニズムの方に関心が行ってしまったといっても、アタシがロッパは生まれた時点で亡くなってるし、エノケンは2歳の時、笠置シズ子は高2の時に亡くなってる。タアキイは比較的長寿だったけど、タアキイにしろ笠置シズ子にしろもうダンサーでもシンガーでもなかった。
 つまりアタシが大人の年齢になったっつーか大学生の時点で、すでに戦前モダニズムなんてカケラもなかったんです。
 でもクレージーキャッツは違う。「スーダラ伝説」の時点、つまり大学生の頃まではメンバー全員存命だったし、「スーダラ伝説」の翌年には退団していた石橋エータローを除く全員が特番で集結している。
 もちろん全盛期のクレージーキャッツにはまったく間に合ってはいないんだけど、彼らの活動とアタシの興味が重なる期間はわずかとはいえ「あったのはあった」のです。

 そんなクレージーキャッツも、存命なのは犬塚弘ただひとり。当たり前だけど、もうグループとしての活動なんか出来るわけがない。
 もう一度言いますが、「スーダラ節」から「スーダラ伝説」までが29年、「スーダラ伝説」から今現在までが31年です。どちらも30年前後と言えばそうだけど、前者が「全盛期から老いるまで」の期間とするなら後者は「老いて、ついにほぼ存命者がいなくなるまで」の期間です。
 そしてその中間の時点で(実際はもう1、2年早いけど)アタシはクレージーキャッツに興味を持った。当然のことながら「今、ちょうど、全盛期から存命者がいなくなるまでの中間地点だな」なんて意識することなく、です。

 ここまで書いたのは、もう、見事なまでに「だから何なんだ」という話です。
 しかしこの、何とも言えない切ない気持ちを、ひとりでもわかってもらえたら、と思ってここまで書いてきた。
 さらに、これからの30年は「存命者がいなくなって、もう誰もクレージーキャッツなんて存在を忘れる」期間になると思う。
 悲しいけどさ、そういうもんなんだよな。というかトシを取る哀しさってこういうことなのかもしれないと。

 30年後、アタシが生きてるかはわからない。でもこうなったら、せめて、死ぬまで彼らを敬愛し続けようと思う。犬塚弘の著書じゃないけどそれが「最後のクレージー<ファン>」の務めだと思うから。

犬塚弘さんもさすがに表舞台に出てこれる状況ではないのでしょうが、だからこそ、もう、本当に怖い。いやアレが。現実になったら嫌すぎるからアレは何か書かないけど。




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