まァハッシュタグに後藤田正晴って入れてもしょうがないんだけどね。てなわけで先日発表されたBALMUDAPhoneの話をば。
ま、どこのサイトかにかかわらず、賛か否かで言えばもう圧倒的に否が多いのはあきらかで、どうでもいいことを除けば結局「価格とスペックがまったく釣り合ってない」ってことです。
たしかに、同社のオンラインサイトでの価格が10万ちょい、ソフトバンク専売モデルの価格が14万ちょいで、スペックがローエンドよりのミドルレンジなんだから、その意見は間違っていません。
高価格になった理由として「基本ソフトから(Android純正のを使わずに)作り直したら、その開発費が高くなってしまった」らしいけど、これもネットにあるように、それはメーカーの都合ですからね。
つまり、総じて言えば「そりゃあ評判が良くないのも当然だな」としか言えないわけで。
さて、アタシはというと、別に逆張りするつもりはまったくないんだけど、考え方自体は面白いと思うんですよ。
バルミューダが何をしたかったか、それはバルミューダ流のユーザー体験をスマホでも実現することだったと。
新たなユーザー体験の創造、となると、早い話が「ユーザーインターフェースを再発明する」ことに他ならない。たしかにそれならソフトウェア開発に費用がかかるのはわかるし、そのチャレンジ精神は大いに理解出来るんです。
ただ、実際問題、それを本当に実現するには、少なくともふたりの天才が必要になる。つまり天才的なコンセプターと天才的なデザイナーです。とくに天才的コンセプターの存在だけは絶対に欠かせません。
天才と書くといろいろ語弊が生まれそうなんで、ここからは<異能>と書くけど、やっぱね、<異能>と、如何に超絶優秀であっても<凡人>とは発想そのものが異なってるんですよ。
<異能>の人が作るものってね、論理的、理論的な否定はいくらでも出来るんです。でも<脳>ではなく<肌感覚>で物事を理解するタイプの人にとっては、そんな否定は否定にもならない。その魅力に打ちのめされて、ひたすら魅入られてしまう。
正直、新しいユーザー体験、なんて上段に振りかぶったことをするのであれば<肌感覚>に訴えるってのは絶対に必要なんですよ。
あのBALMUDAPhoneね、アタシの正直すぎる感想を言えば、優秀なデザイナーであるが凡人の作った傑作止まり、と言うことになります。
つまり、脳では否定の言葉しか出てこないのに何だか頭から離れない、みたいな中毒性がまったくない。それは筐体、つまりプロダクトデザインもだし、今回のために作り直したっていうUIもです。
アタシみたいな場末の三流デザイナーが言うのもアレだけど、この壁って異様に高いのよ。んなもん努力とか熱量とか知識とか仕事量で乗り越えられることではない。
ま、はっきり言えば、そういうことへの考え方が甘すぎた。デザイン面で突出しようという競争相手の少ないコーヒーメーカーとかトースターならそれなりに目立てたかもしれないけど、異能がコンセプトを考えた製品がすでにあるスマホ業界に殴り込むには考え方も準備も人材も足りなさすぎた、というか。
価格とスペックのバランスが悪いのは事実だけど、何でバランスが悪いと叩かれるか、そこをもう一度考え直した方がいい。
その結論が「バランスを良くする」では話にならない。そうじゃなくて「こんなバランスが悪いのに・・・なんか魅入られてしまう」ってほどになってないことが問題なんです。
でもね、アタシは、やっぱ、このチャレンジ精神は評価したい。デザイン重視なんてコスパコスパとうるさい日本では一番やりづらいことにチャレンジしたって意味でね。