向いてないっていう自覚
FirstUPDATE2021.11.17
@Scribble #Scribble2021 #笑い #テレビ #世間の話題 #インターネット 単ページ 陣内智則 #ネタ 炎上 テレビを見る向き不向き

アタシは子供の頃から本当に乗り物酔いしやすいタチでしてね、そういうのは体質というか「克服してやっと並」ってのを自覚してるかどうか、という話です。

それこそ3D酔いなんかまさにそうで、いくらゲームとして面白くても3D酔いする人は5分でも酔う。それは結局は向いてないってことなんじゃないかと思うんですよ。
もう一度言いますが、向いてないことは「克服してやっと並」なんです。向いてないことを「得意、もしくはやや得意」に持っていくなんて並大抵のことじゃない。もうそれしか生きる道がない場合は別だろうけど、VRとかそういうね、たかだかエンターテイメントでそこまで努力する意味がないっつーかね。

さて、先日の「エンタの神様」で陣内智則のやった郵便局のネタが軽く炎上したみたいだけど、もう、この手の「笑いやフィクションに何を求めているんだ」=「叩く側の方が狂ってる」=「叩いてる側を叩く」ってのは散々やったので、もうやらない。
それよりも、もう、フィクションを楽しむ文化が出来て数百年経ってるのに現実とフィクションをゴッチャにして考える人がこれだけ多いってのは何かあると思う。
昔から新聞の投書欄に「現実とフィクションをゴッチャにした」意見が掲載されてたけど、今は舞台を新聞からインターネット上のコメント欄に移しただけで、やってることは何も変わってないのです。
つまり、これでよく文化が成熟してきた、なんて言えるな、と。

陣内智則のネタは、まァ実際にそのネタをエンタの神様では見てないのですが(公式チャンネルで配信されてる同じネタは見た)、郵便局員が勝手に封書の中身を見るってネタなんだけど、このネタを見て即座に「法律に違反している!」と考えるのはね、やっぱりちょっと、オカシイと思うのです。
そりゃ、何ともいえない不快感があった、くらいならアタシも理解出来る。とくに笑いってのは「どこかの誰かを傷つける」ことで成立するものだと思っているので、その「どこかの誰か」にアタシが当て嵌まって不快になった、ということはあります。
でもそれは「法律が」とか「モラルが」とかとは根本的に異なる話です。法律に準拠してようがモラル的に正しかろうが不快になることはある。もちろん逆も然りです。

アタシはね、不快なものを目にした時、法律が、モラルが、とすぐに頭に浮かぶタイプの人はエンターテイメントを見ることが向いてない人だと思うのですよ。
テレビはお茶の間に飛び込んでくる、と言いますが、スイッチを切ることも「部屋にテレビを置かない」ことも可能で、別に強制的に見せられているわけではない。
本当に「向いてない」と自覚があるのなら、生活からテレビを排除するなんて当たり前なんですよ。当然これはインターネットにも、そして映画にもラジオにも言えることです。
「向いてない」という自覚がないまま、自分の価値観は正しいと信じてるからこそ炎上が起こる。

エンターテイメントってのは「向いてない」人向けに作りだすと途端に「向いてる」人にとってつまらないものになる。
というかさ、向いてない人相手の商売って先細りになるだけなんですよ。こんな駄文だって同じで、老若男女どなた様も楽しめます、なんて書き方しなきゃならない、なんてことになったら、まず書いてるアタシがつまらなくなってしまう。つか辞めてしまうと思う。

向いてる人もさ、向いてない人を攻撃するのは止めて、もちろん向いてない人は向いてないモノにケチを付けない。つまりお互い一切干渉しない。でないと<文化>ってモンがなくなってしまうと思うわけで。







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