かなりしつこく書いてるけど、マジでスタバのどこが意識高い系=<オシャレ>なのか、さっぱり理解出来ないって話でして。
ロンドンに在住している当時、もっとも<気安く>入れるカフェがスタバで、だから店員に顔を覚えられるくらい贔屓にしていました。
もう、こっちはイエスしか言うことがない。だって何を注文するかわかってくれてて、勝手に話を進めてくる。
「ラテ?」
「イエス」
「パニーニ?」
「イエス」
これだけ。しかもパニーニは「ウォームプリーズ」なんて言わなくても勝手にあっためてくれる。あとは席に座って待ってると持ってきてくれるし。感覚としては「馴染みの居酒屋」に近い。
日本のスタバは仮に馴染みになってもここまで行かないだろうけど、間違っても意識高い系の店だとはまったく思わないわけで。
いや、そもそも、ロンドンで~なんて書くと自動思考で「ロンドン→ヨーロッパ→意識高い系」なんて思われるかもしれない。
英国紳士なんて言うけど、それはごく一部の階級に限った話でね、アタシなんかどっちかって言うと、ロンドンに行ったら意識高い系どころか意識が低くなる。オシャレだとかマジでどうでもよくなって、意識低いどころか肩の力が抜けすぎて意識がフニャフニャになるんです。
何つーか、ロンドンってモラルとかが昔の日本に近いんですよ。だからオッサンの自分にはとてつもなく心地良いわけでして。
結局ね、オシャレって肩の力の入り具合だと思うんですよね。
もちろん美的感覚というかセンスも関係はしてくるんだろうけと、それよりも「自分がどれだけラクでいられるか」だと思う。
例えば傍から見てものすごくオシャレな生活をしている人だって、それがその人にとってリラックス出来るのであれば、それはもうオシャレではない。たぶん当人はオシャレだとかそういう感覚がまったくなくて、ただの日常って感覚だと思う。
そういう意味で、関西弁で言うところの「緊張しぃ」や、ちょっとでも意のままにならないと不快になる「わがままな人」は、人よりも「意識高い系」と感じる場所やシュチエーションが多くて大変だろうな、と。
そう考えるならば、まァ、自分にとって徹底的に居心地が良い=意識低いを求めるってのは悪いことではありません。とくにセンシティブな人はリラックス出来る空間を確保するのは重要だと思うしね。
ただし、しつこいですが、リラックス出来る空間ってのは人によって違うのですよ。そこは誰も弄っちゃいけない、いわば不可侵領域と言える場所なんです。
だからこそ、意識高い系が意識低い系を、その反対、意識低い系が意識高い系を馬鹿にしちゃいけないと思う。
アタシは本当に、スタバでMacってだけで気持ち良さそうにしてる人を見たことがないので(もちろんスタバでMacを使ってる人はいるけど同じくらいの数をWindowsでも見る)アレですが、もし、その人にとって「スタバでMac=最高に気持ちいい」ってなら、それはほっておいてあげようよ。
てかそれ以前に、オシャレなんて意識がまるでなく、馴染みの居酒屋感覚で「スタバでMac」、それもロンドンで、なんてアタシみたいな人間もいるんだしさ。
いやさ、生理的に気持ち悪いってのは声高に叫んじゃいけないわ。それは心の中で思っていれば十分です。つかそれはホンネとは関係のない話だから。