「パーマンってオモロないなぁ。あれやったら、あさりちゃんの方がよっぽどオモロいわ」
アタシが藤子不二雄作品を見始めたきっかけはココでも書いたように「ドラえもん」のアニメ(1979年版)が始まったからなのですが、この辺の話をもう少し詳細に語りたいと思います。
「ドラえもん」という作品にハマると同時に読み出したのが「ドラえもん」をはじめ「オバケのQ太郎」や「パーマン」、「ミラ・クル1」が掲載されていたコロコロコミックです。つまり、かなり早い段階で「ドラえもん以外の藤子作品」にも馴染んでいたと言える。いやコロコロコミックによって「馴染まされた」と言うべきか。
しかし当時のコロコロコミックは他にも面白い漫画がいっぱい載っていました。
コロコロコミックは後に「児童向け漫画雑誌」というよりは、ラジコン、ミニ四駆、ファミコンなどのホビー関係を積極的に扱うことで「児童向け総合雑誌」になるのですが、まだアタシがコロコロコミックを読み始めた頃は完全な漫画雑誌だったんです。
たしかに「ゲームセンターあらし」は「コロコロコミックホビー化」の嚆矢となったのですが、あれは作者のすがやみつるの趣味と当時流行りだった「リングにかけろ」などの派手な格闘物との<掛け合わせ>で、たまたまああいう路線になっただけだと思う。つまり編集部からは「ゲーム漫画を」という要望の元に描かれたものではないと。
話が逸れましたが、つまり、コロコロコミックを読んでたイコール藤子不二雄物なら何でもござれ、となるわけではない。ま、せいぜい入口程度です。
しかしアタシの場合、ある友人の存在が藤子不二雄への認識を変えた。
仮にHとしましょう。Hは小学生としては十分な藤子不二雄<シンパ>で、アタシに藤子不二雄作品の面白さを説き、またコロコロコミックには掲載されてない単行本も積極的に貸してくれたんです。
その中に「21エモン」も入ってたのですが、正直ね、パラパラっと読ませてもらった段階で「21エモンはいいや」ってなってたんです。
「カタカナが多いから」というね、しょうもないけど小学生ならわかる理由なんですが(そりゃゴンスケのセリフは全部カタカナだもの)、Hの「絶対オモロいから!ドラえもんよりもオモロいくらいやから!」との力説に負けて借りて読んでみると、これが本当に面白かった。
つまり、アタシが藤子不二雄好きになったのは完全にHの影響です。その後、本当に些細なことでモメて一切交流がなくなったんだけど、今でも感謝の気持ちがある。だって藤子不二雄に目覚めさせてくれたおかげでずいぶん面白い人生になったって思ってるからね。
で、冒頭のセリフです。
もちろんこれは仲違いする前なのですが、あれだけ藤子不二雄作品の面白さ、藤子不二雄の凄さをアタシに熱く語っていたHは何故か「パーマン」だけはまったく買ってなかった。だからといって「あさりちゃんの方がオモロい」ってのは突飛なのですが、まァ、コロコロコミック掲載作品からたまたま「あさりちゃん」を思いついただけなんだろうね。
で、アタシは「パーマン」をどう思ってたかですが。
子供の頃の意見で言えば「Hが言うほどつまらなくはないけど、メチャクチャハマってるかと言うと、そうでもない」と言うことになる。
大人になった今、いやこの表現は公平じゃないな。オッサンになった今、冷静にパーマンを語れば「壮大なプロトタイプ」のような気がする。藤子不二雄(というか藤子・F・不二雄)にとってターニングポイントと言えるほどきわめて重要な作品であるとともに、設定そのものが中途半端にならざるを得ないところがあるのも事実で、間違っても最高傑作ではありません。
しかし、リアルタイムでの評価(というのは1967年の雑誌初掲載時ということではなく、あくまでアタシが読んでた小学生時代の評価)ではなく、後年になって、ノスタルジックな想いを含めてしまうと、評価云々というよりは「好き嫌い」というところで大きく変わってしまうのです。
というわけで今回の主題は「パーマン」です。
前置きの段階で結論めいたことが書いてありますが「壮大なプロトタイプ」という観点から「パーマン」を眺めると、何故パーマンが「傑作」でありながら「大傑作」や「最高傑作」になれないのかがよくわかる。
もちろんこんな評価は個人によって変わります。だから「パーマン」こそ藤子・F・不二雄の最高傑作という人がいても何の反論もない。ただ、アタシの中では「藤子・F・不二雄の最高傑作ではないが、藤子・F・不二雄作品の中でもっとも好ましい作品」です。
最高傑作ではない作品を「もっとも好き」と言うのは考えようによってはイビツなのですが、何故そういうことになるのかを書いていきます。
まずは「壮大なプロトタイプ」という、わけのわからない評価から書いていかなきゃしょうがないのですが、パーマンで用いられたエピソードが後々モチーフになって「ドラえもん」本編や「大長編ドラえもん」、「エスパー魔美」「中年スーパーマン左江内氏」「ウルトラスーパーデラックスマン」などで昇華されたのは周知の通りです。
で、ですね。ここから少し「作家のタイプ」みたいな話をしたいと思います。
上手い名称が思いつかないのですが、アタシはざっくり、ふた通りのタイプがあると思っている。
ひとつは「風呂敷広げる系」とでも言いますか、とにかく最初の段階で大風呂敷を広げて、上手く畳めれば傑作に、畳み方を失敗すれば駄作になる、というタイプです。
もうひとつがその反対、つまり「風呂敷広げない系」で、最初は可能な限り「こじんまり」させて、そこから徐々に物語を広げていく、というタイプ。
藤子・F・不二雄はあきらかに後者で、どれだけ風呂敷が広げられる要素があっても、最初は主人公の男の子とその家族や友人たちの中に留めている。「大長編ドラえもん」なんか一番わかりやすいけど、出だしは必ず「夏休みの自由研究」のような、身近なところからスタートします。
「パーマン」も一応はそうはなっているのですが、必ずしも上手くいってないと思うんです。
「パーマン」のプロトタイプとして藤子不二雄Aの「マスクのXくん」が挙げられますが、まァ、作者が違うと考えたら発想のプロトタイプではない。
発想のプロトタイプ、つまり日常と非日常の一体化としては「すすめロボケット」の方がよりプロトタイプと言え、もちろん「すすめロボケット」のさらにプロトタイプは小室、いや「海の王子」です。
あくまで個人的な意見ですが、藤子・F・不二雄はSFよりも冒険ロマンをやりたかったのは間違いなく、それもジュブナイル的な冒険ロマン。例えるなら「宝島」や「十五少年漂流記」のような、と言えばわかるか。
ただし作家としての資質から、出だしは出来るだけ「こじんまり」やりたい、となるのは当然で、それが結実したのが「大長編ドラえもん」や「T・Pぼん」です。
もうひとつ、藤子・F・不二雄がどうしてもやりたかったと思われる要素が「パーマン」に入っている。それはラブロマンスです。
でもこれはきわめて難しい。何しろ藤子・F・不二雄が描く世界は主人公が小学生です。いや仮に中学生だったとしても濃厚なラブロマンスは不可能です。
1967年版「パーマン」(厳密には1966年連載開始だけど、まァいいでショ)には、その下地のようなものを散りばめているにもかかわらず、一切はっきり描いていない。再アニメ化された際に描かれた1983年版は1967年版の設定の下地を活かして、ラブロマンスの要素を出してはいましたが、それでも主人公が小学生である限りは限界がある。
そうした「子供にラブロマンスをやらせるにはどうするべきか」の答えが「ドラえもん」や「エスパー魔美」や「チンプイ」であり、つまり、やはり「パーマン」はプロトタイプと言えてしまうんです。
あともうひとつ、これはざっくり書きますが、市井の人がスーパーマン的な能力を手に入れたらどうするか、の解答は「中年スーパーマン左江内氏」に託されており、ラストで「パーマン」の登場人物であるパーやんが登場するのは世界観が地続きであることを提示するとともに、本当は「パーマン」でやりたかったのはこれなんだ、という作者のメッセージでもあると思う。
こうして見れば「パーマン」は成功作でありながら「壮大なプロトタイプ」であり、いわば「実験作」とも言えるのがわかっていただけると思うのですが、逆に言えば「藤子・F・不二雄の資質が詰め込まれた作品」とも言え、であるからに「最高傑作ではないが、個人的にもっとも好ましい作品」として成立しているのではないかと。
こうしたことを子供が、つまり「パーマン」のメインターゲットである小学生が噛み砕けるわけがない。
だから冒頭で書いたように、藤子シンパだったHが「パーマン」の面白さを理解出来なかった、というのも、当然っちゃ当然なのです。
要するに「パーマン」は子供向けではないのですよ。いやもちろん子供向けには描かれてはいるんだけど、子供向けと言うのが足枷になってしまっているんです。
もし、仮に「パーマン」を大人向けにしたら、というか大人ったってドロドロさせる必要はまったくないわけで、つまり「ドラえもん」や「エスパー魔美」「中年スーパーマン左江内氏」などに活かされた要素をもう一度「パーマン」に還元したような「大人をメインターゲットにした」作品が作られたならば、間違いなく「パーマン」は大傑作になったと思う。
「ドラえもん」の中に大人になった星野スミレが何度か登場し、「パーマン」のその後の世界を予感させますが、アタシはね、「ドラえもん」から離れて、あれをちゃんとした形で発表して欲しかったと。
つまり登場人物が大人になった後の「パーマン」です。
ひたすらミツ夫の帰りを待つ、大スターになった星野スミレ、老齢になったブービー、パーマンの能力を活かして自営業に精を出すパーやん、というバラバラになったパーマンたちのところに、ミツ夫が勉強を終えてついに地球に帰ってくるまでの数日間を描く、みたいな。
もちろんカバ夫やサブ、みっちゃんも大人になってるわけで、彼らがどんな大人になったか、というか、どう現実との折り合いをつけて生きているのかも描くとさらに「パーマン」のテーマが露出すると思う。もっと言うなら「10年以上ミツ夫役をやってきた」コピーロボットがどうなるのかも気になるし。
大人になった後の世界としては「劇画・オバQ」がありますが、ああいう寂しいものではなく、ある意味本編以上に「パーマン」らしい内容になったはずです。
でも実際は描かれなかった。もし藤子・F・不二雄がもっと長く生きていれば可能性はあったと思うけど、<下地>を山のように残しながら早逝されたわけです。
だからこそ、残された読者は思い思いの「パーマンのその後」を想像出来る。
スミレも散々待たされたのに、たぶん実際にミツ夫にあったら憎まれ口を叩くだろうし、ミツ夫も素直になれないだろうからいきなり痴話喧嘩が始まるだろうな、とかね。
だから、まァ、そういう想像が出来るってのは楽しいことではあるのですが、それでも藤子・F・不二雄が本当に描いた「帰ってきたパーマン」(って短編があるからややこしいけど)があるなら、もうそりゃ、ノー文句でそっちが読みたいもん。
アタシに藤子不二雄の魅力を教えてくれた小学生時代の友人H、もう今はどうしてるかまったくわからないけど、今、Hは「パーマン」のことをどう思ってるんだろ。
相変わらず「あさりちゃんの方がオモロい」と思っているのか、それとも・・・。
そういうね、想いを馳せさせてくれるってだけでも「パーマン」は偉大だと思うわけで。
この手のエントリってオタク界隈では嫌われやすいんですがね。 いや嫌われるは言い過ぎにしても、もっとオタク的な視点から書いたような、例えば旧デザインのパーマンとその違い、みたいなのとか、ひとつひとつのコマの深読みとか、そういうのが喜ばれるのはわかっているんですよ。 ただ、自分が書くのであれば、個人的な忌み嫌われる体験談と混ぜて書かないと意味がないと思っている。 そういや豊福きこうって人が書いた「水原勇気0勝3敗11S」って分析本で、オタク界隈から「個人的な主観が邪魔」という話をよく耳にしました。ま、言いたいことはわかるし<個>を出すか出さないかは極端に好き嫌いが分かれるところだとは思いますよ。ただ「水原勇気0勝3敗11S」が発行されたのは1992年らしいので、この時点ですでに著者が前面に出てくるものに拒絶反応があったってのは注目に値します。 まァね、思い入れをねじ込むってテクニック的に難しいことなんだけどね。そういやアタシも中山千夏著「タアキイ ~水の江瀧子伝~」で「<個>が邪魔だなぁ」と思ったりしたんだから、あんまり人のことは言えんのだけどさ。 |
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