あんまり誰も指摘しない鬼滅のすごいところ
FirstUPDATE2021.10.29
@Scribble #Scribble2021 #アニメ・漫画 @戦前 #ことば 単ページ 鬼滅の刃

まァね、そこまで熱心じゃなかったけど、テレビでやってた「鬼滅の刃」を見るとはなしに見てたんだけどね。感想をひと言で言えば「これはウケるわ」ってことです。

というのも、何度もしつこく書いてる「王道」の大切さをよくわかってて、キチンと守ってるからで、ここまでてらいもなく王道をやったらいい意味で浮きますよ。
あとはキャラクターの描き分けがちゃんとしている。こういう作品の場合、どれだけ魅力的なキャラクターを創造出来るかが勝負なんだけど、<絵>ではなく<生い立ち>や<性格>で表現出来てる。
そこは本当にたいしたものだと思うわけで。

しかしアタシが感心したのは別の箇所です。
「鬼滅の刃」の時代設定は大正時代ということになっていますが、正直、この設定に意味があるのかな、と思っていた。
何度も言いますようにアタシは昭和、とくに戦前期についてはかなりうるさい。逆に言えば本当に興味があるのは昭和に入ってからなんだけど、付随してどうしても大正時代のことも調べるハメになるわけで。
だからまァ、そこまで興味があるわけじゃないんだけど、そこそこは知ってる。知ってるからこそ、意味がないんじゃないかと。

大正時代の面白さを「少年漫画雑誌で」表現するのは難しいんですよ。入り組みすぎているし、裏を描こうにもあまりにもドス黒過ぎて少年漫画雑誌向きじゃない。
となると、たぶん、すごく表層的なね、以前tumblrでも書いたけど「大正時代=袴」くらいの感じでやってるんだろ、と見る前(読む前)は思っていたのです。
しかしそれは間違いだった。何故大正時代か、その答えは「カタカナ語の排除」だったのではないか、と思ったのです。

「鬼滅の刃」と言えば「○○の型」とか「○○の呼吸」とか、後は「柱」とかね、なんてワードが出てくるけど、もし「現代=カタカナ語アリ」ならば、メチャクチャ安っぽくなったと思う。
もちろん、実際の大正時代にはそれなりにカタカナ語はありました。たぶん作者はそんなことは百も承知だと思う。でも「必殺技!ファイヤーナンチャラ!」とかにするよりも日本語でやった方が重みと新鮮味が出る。

そして、これがすごいんだけど、カタカナ語は徹底的に排除するけど、それ以外の言葉遣いなどは現代のソレなんです。
先ほどアタシは『なんてワードが出てくるけど』とあえて書いたけど、別に「ワード」が「単語」もしくは「固有名詞」になったところで違和感はない。実際問題、カタカナ語を使わなくても「そんなに違和感のない会話劇」にすることは可能なんです。
これが江戸時代になると、どうしても「でござる」って言わさなきゃいけないような気になるけど、大正時代はそんなイメージがないのも都合がいい。

探偵小説(今でいうミステリ)の名を借りた怪奇小説が流行ったのは、本当は昭和10年前後で、実はちょっと時代がズレるんだけど、それでも「大正時代=怪奇物=鬼がいてもおかしくない」という設定にしたのは慧眼だと思う。むしろ小栗虫太郎作品とか「ドグラマグラ」とか、何となく大正時代の作品と思ってる人も多そうだし。
「本当は違うんだけど世間のイメージに合わせる」ってのは少年漫画の方向性としては正しいのです。たぶんこの作者なら、もし大人向けならば徹底的にディテールにこだわった、歴史的事実から導き出したフィクションも作れたと思う。
それを、言葉遣いやカタカナ語は使わないことを含めて<あえて>やってる感じがするのがすごいな、と。

ただ、まァ、ギャグにかんしては完全に子供向けなのがオッサンからしたら少々キツいけどね。ああいう<ノリ>最優先のギャグがウケてるんだから、それもしょうがないんだけどさ。







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