どう考えてもアタシはオタクじゃないな
FirstUPDATE2021.10.23
@Scribble #Scribble2021 #オタク #マイブーム @戦前 単ページ 榎本健太 クレージーキャット ウルトラマンセブン

オタクかオタクでないかの峻別の方法については何度か書いてきました。例えば蒐集癖の有無とか。でも、今回は「怒り」をテーマに書きたいなと。

それこそ、メチャクチャわかりやすい例で言えば、もしウルトラマンオタクの前で「ウルトラ<マン>セブン」ってワードを使ったら、やっぱね、怒ると思うのですよ。同じく「ウルトラタロウ」でも怒ると思う。
何で怒るか、馬鹿にされたと思うから?違うな、そうじゃない。
オタクでない人からしたら「どうでもいい」ことこそオタクのアイデンティティなんですよ。そこに<こだわる>からオタクだと。逆に言えばそこにこだわりがなければ、もうオタクじゃない、と。それはものすごくよくわかるんです。

ではアタシの場合は、ですね。
敬愛する植木等を「植木均」と書かれたからといって怒るか、というと、そりゃあ、ちゃんとしたメディアならば「おいおい(苦笑)」くらいはあるかもしれないけど、インターネットで書かれるくらいなら、マジで何とも思わない。もちろん「植木等とクレージーキャッツ」なんて言われても怒らない。
いやもう、怒るかどうかですらない。むしろ「ああ、興味を持ち始めてるんだな」と嬉しくなるくらいなんですよ。

記憶があやふやだけど、昔はもうちょっとはムカつきがあった気がする。
それが完全になくなって、むしろ喜ばしいこと、くらいに思うようになったのは間違いなく戦前モダニズムに興味を持ってからです。
それこそ、特撮とか鉄道とかね、そういうメジャー界隈のオタクならば<怒り>もわかるんですよ。何故なら余裕があるから。ひとりくらい初心者を排除しても次から次へと興味を持つ人が現れる。
でも、クレージーキャッツもそうだけど、戦前モダニズムなんかもっとですよ。とてもじゃないけど初心者を見下して排除する余裕なんかない。貴重な興味を持ってくれた人をもり立てていかないと数年後にはゼロになってしまう危険性がある。
だからもし「榎本健太、いいですね!」なんて言われても「榎本健太って誰だよw もしかして榎本健一のことか?(嘲笑)」なんて絶対言っちゃいけない。さらに上手く誘導してもっと興味を持つように仕向けないとダメなんです。もう、見下すなんてとんでもない、と。

もしかしたら「貧すれば鈍する」ってことかもしれない。自尊心なんかよりも「何でもいいから絶やさないこと」を絶対視してるんだから。
思えば、アタシがクレージーキャッツのファンサイトを始めた頃「○○のビデオをお持ちでないですか?」みたいなメールがいっぱい来た。
正直その時は「ああ?せっかく苦労して手に入れたビデオを何で見ず知らずの人間に貸さなきゃいけないんだよ」と思っていた。
しかし今は違う。
さすがに一面識もない人間にビデオを貸すってのはあり得ないけど、戦前モダニズムについて話したい、なんて人がいれば喜んで会う。で、会った前提であれば、ビデオでもなんでも貸す。

つまり、対象があまりにもマニアックすぎると、オタクから研究者に近くなるのです。
出来るだけ知識を共有し合って、研究結果が散逸しないようにひとりでも興味を持つ人を増やさなければと<無意識に>そうしてしまう、と。
まァ、さらにマイナーになると、ある日突然精神崩壊して、開き直ったりする人も出てくるんだけどね。何年、下手したら何十年かけて集めたものを全部ゴミに出したりさ。

「別にいいよ。ハナから価値なんかなかったんだから」

と薄ら笑いを浮かべながらね。

何が言いたいのかというと「ウルトラマンセブンに怒ったり見下したり出来るなんて幸せなことなんだよ!」という。
こちとらそんなの絶対無理だから。最後に待ち受けてるのは精神崩壊だけなんだから!!







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