何だか「Web2.0」なんて言うと「懐かしい」というよりも一種のギャグにしか思えない人も多いかもしれません。
実際問題、いまだにこのWeb2.0が何だったのかよくわからない。インターネットの双方向性を活かした、それこそTwitterとかInstagramとかそういうのが結果的にWeb2.0ってことになるのかもしれないけど、そもそも提唱者からして定義が曖昧で、今となっては「ま、何だっていいんだよ」みたいになってるというか。
しかし当時は大真面目にWeb2.0にたいしての議論があった。「Web2.0」で検索すれば今から15年ほど前に書かれた「今さら人に聞けないWeb2.0」みたいなページが山のようにヒットします。
それがいつしか、「○○2.0」って造語が次々と作られるほどにギャグになっていった。そしてその決定打が「Docomo2.0」でしょう。
有名俳優を山ほど使ったCMは話題にはなりましたが契約者数を伸ばすことにはつながらず、結果、「Docomoに移転ゼロ」(にいてんぜろ→に移転ゼロ)というモジリまで出来たわけで。
というかさ、コンマゼロまで表現するのは当時新しい感じだったのか?あんまり憶えてないんだけど、最初に提唱者が言い出した20世紀末には新しい感じだったかもしれないけど、言葉が流行った2000年代なかばには別に新しくもなかったような。
にもかかわらず、令和になって今度は「Web3.0」なんて言い始めてる人がいる。
アタシもWeb3.0の記事をいくつか読んだけど、相変わらずよくわからない。つかさ、2.0の時と同じで「理解出来ないヤツは馬鹿」という風潮にしたいのか?と思うほど、要領を得ない説明しかないのはどういうことだ。
ま、それはアタシの理解力が極端に欠如しているだけかもしれないのでアレですが、無理矢理理解するなら「セキュリティ」がキーワードになっているみたいで。
どうもね、この空虚な騒ぎを見ると反射的に「オヤジロック」を思い出すんです。
「オヤジロック」とは藤子・F・不二雄のSF短編ですが、こんなにわかりやすく経済を説明したものはないと思ってしまう。口を開けば電通ガーとか言えない人よりははるかに実際的です。
ま、要するに「モノが流行る仕組み」を作中で説明してんだけど、このコマを見れば本当によくわかる。
主人公はもっともらしく「スタンビート」だの「なだれ現象」だのと言っていますが、要するに「普及率が50%を超えれば」「あとはほっておいても売れる=限りなく100%に近づく」ってだけです。
スマホなんかまさにそうで、一回火がついて以降普及は止まらなくなったし、インターネットも当然然りです。
Web2.0だの3.0だのは要するに概念でしかないから後付けで「無事、普及が進んだもの」を「実はあれこそ私たちが提唱していた概念」だったと言い張ることは出来る。というかTwitterとかFacebookも実は2.0の範疇だったって、そりゃないよ、と思う。というかそんなの概念でも予測でもないし、実体がないものを「今さら聞けない」もクソもないと思うんですよね。
今後、インターネットがよりセキュアになるのは当然だし、それは3.0でもなんでもない。セキュアな通信を司る具体的な技術があるならその技術名を堂々と名乗るべきで、Web3.0なんてマヤカシの言葉は使っちゃいけない。
何だか「今流行りのアレ、実はもともとは我々が提唱してたものなんですよ」と言われてる気がする。んでんなもんは詐欺に決まってる。
「オヤジロック」の主人公もたいがいインチキなやり方で「普及してる」ように見せかけていたけど、それでも努力とアイデアはあったもん。でもWebナンチャラはただの背乗りだからね。
ま、あんまり酷いと時間を巻き戻すよ。いいの?