最初ね、「金本知憲監督の三年間」というタイトルで書こうと思ったけど、やめた。
あ、これ、たったひと言で終わっちゃうわと気づいたから。下手したらTwitterに書ける長さで済むなと。
ただ、さすがにそれでは説明不足になりすぎるんで、ちょっと視点を変えてやってみます。
監督にとって必要な能力について勘違いなさっている方が多いのが実情で、正直、一番こと上げされやすい<采配>なんて、枝葉も枝葉なんですよ。
というかアタシは、名目上だけでもいいから、いわばスケープゴートとして「作戦コーチ」という役職を作って誰か置くべきだとずっと思っている。
もちろんね、作戦コーチがいたところで最終判断というかグラウンド上での最高責任者は監督なんです。そこは作戦コーチがいたところで変わりがない。
というか、何となく察してもらえるかもしれませんが、本来、最高責任者が<采配>を振るうなんて、おかしいんですよ。
たとえば一般企業でね、何かのプロジェクトがあったとして、最高責任者が細かい指示を与えなきゃいけないプロジェクトが成功するとはとても思えない。んなことをしたら死角が増えるだけで、全部を、隅から隅まで見渡せて、なおかつどの立場の人間にも的確なアドバイスを与えることが出来る超人なんていないですよ。
結局、日本の監督システムの問題はここなんです。
プロ野球に限らずJリーグでもそうだけど、監督が細かい指示を出すのが当たり前になってるわけで、こんなことをしてたら「監督に向く人材」なんて、それこそ10年にひとりレベルでしかいない。
かといってアタシはGM制度も基本的には反対している。
正確には「日本では」ってことになるんだけど、GM制度ってのは如何にも日本人に合わないというか、どうしてもGMの下に監督がいるって構造自体が馴染めないと思うんですよ。
楽天が石井一久がGMになって以降、監督がどんどん交代し、結局自らが監督にならざるを得なかったのは、この制度と日本人の相性が悪い最たる例でしょう。
GMに力があればあるほど、どうしても監督にたいして<お飾り>感がついて回る。お飾り監督ではどうしても選手のモチベーションを上げさせるのが難しい。
だからアタシはね、オーナーを頂点にして、その直接の配下に球団社長と編成部長と一軍監督がいるって構図が一番シンプルで一番理解されやすいと思っているのです。
つまり球団社長と編成部長と一軍監督の3人は対等。誰が偉いわけでもない。ここまでしないと監督の存在感なんて出ないと思うんです。
当然、監督のやることは増えます。トップである以上、金銭面や編成面も、少なくとも<把握>はしておく必要があるんだから当然です。
その代わり、現場レベルでの負担を減らす。
実際、打順を决めたり代打を決めるのは打撃コーチ、継投を決めるのは投手コーチ、というふうに役割分担をしているチームがほとんどだと思うけど、細かい采配は、やっぱり監督に委ねられている場合が多い。そこもヘッドコーチに委ねているチームもあるけど、少なくとも外部からはなかなかうかがい知れないわけで。
投壊になれば投手コーチが、貧打で苦しめば打撃コーチが、必ずやり玉に挙がる。信じられないような罵声を浴びることになるし、インターネット上でこれでもかというほど叩かれる。
こうして見れば判るように、コーチというのは多分にスケープゴートの役割もあるのです。
もしかしたら、選手を教える能力と同等にサンドバッグ状態になっても耐えられる、もしくはスルー出来るスキルが求められる。
実は采配も同じなのですよ。
監督が全采配をやってると思われているから、作戦が失敗した時は監督が叩かれるわけですが、ではもし作戦コーチがいて、あらかじめ「細かい采配はすべて作戦コーチがやります」と公表すれば、今度は叩かれる対象が作戦コーチに変わるのです。
つまり、こうなると表層では監督の仕事が見えなくなるので「監督のどこを叩いていいのかわからなくなる」のです。
同時に監督の評価は勝敗だけ、順位だけ、になる。これはわかりやすい。
監督としても連敗が続いて叩かれても、別にどおってことはない。そのための監督だし、そこまで連敗が続けば「叩かれている」ことよりも「連敗している」ことの方が頭の中を占める。もちろん在任期間の順位が思わしくなくて解任されても納得出来る。
先ほど一般企業のプロジェクトの話をしましたが、最高責任者に求められるのはただひとつ<結果>だけです。細かい采配ややり口に問題があっても結果さえ出ていれば、そのプロジェクトは成功ということになる。
こうして見ていけば、監督の仕事として采配が枝葉なのかは明白です。
もちろん、どうしても自ら采配を振るいたい監督もいるとは思うけど、任せようと思えば任せることは出来るわけで、つまりは「代替可能」な仕事に過ぎない。
では監督の仕事でもっとも重要なのは何なのか、それもここまで書いたことを留意してもらえれば簡単ですが、もちろん組織作りです。
とくにコーチ陣にかんしては監督の意向通りになるケースが多いことを鑑みれば、正確には「組閣作り」である、とも言える。
もう、極端に言えば、組閣が終わった時点で監督の仕事は半分終わってる。言い方を変えれば監督の仕事のうち半分はコーチ集めと言ってもいい。
その球団一筋のスター選手が監督に就任しても上手くいかないケースが大半なのは、組閣作りが難しいからだと考えています。
ひとつの球団で、入団から引退まで過ごす。これは選手としてはカッコいいことですが、どうしても人脈が弱くなる。かつてのチームメイトか、自分が選手だった時のコーチくらいしか人脈がない。
もちろん人脈内に優秀な人が揃っていればいいけど、そんな都合の良い話はないわけで、しかも<能力>ではなく<親しさ>を優先しているので簡単に切りにくい。
結果、いわゆる<お友達内閣>と揶揄されるメンツになってしまうし、たとえ問題があったとしてもなかなかコーチ陣の入れ替えが出来ないから、在任中、弱点が解消されないまま過ぎてしまう。
これが人脈が豊富な人ならこんな問題は起こらない。
まず<親しさ>で選ぶ必要がない。純粋に<能力>で選べる。しかも<仲間>というよりはあくまで<プロジェクトの一員>でしかないので、問題があれば取り替えることも躊躇なく出来る。つまりチームが停滞しづらいのです。
それほど人脈は監督にとって重要なのですが、所詮監督が出来るのは、後はせいぜいモチベーターとしての役割くらいで、結局、結果を出せるかどうかは選手の能力次第です。
笛吹けど踊らずと言いますが、いくら良いコーチを揃えても選手の能力が著しく低ければ監督が多少頑張ったところで結果は変わらないのです。
ここで野村克也を例に出してみます。
南海ホークス時代は(ギリギリ記憶にあるとはいえ)わからないことが多いので割愛しますが、ヤクルトの監督に就任したのは幸運だったとしか言いようがない。
野村の前の関根潤三はいわば「育成全振り監督」で、優勝を期待されて監督をやっていたというよりは「順位はいいから期待の若手を一人前にすることを期待された」監督でした。
野村がヤクルトの監督に就任した当時、選手の能力はそこそこあるが勝ち方を知らない、という典型的なチームだった。が、こんなチームで監督を引き受けたのは、アタシは<運>以外何もなかったと思う。
ずっと、野村克也は監督をやりたがっている、と言われていましたが、南海退団の経緯があまりにもスキャンダラスだったためか、なかなかお呼びがかからなかった。
たまたま、伸び盛りの選手を抱えたヤクルトからお呼びがかかったのですが、野村は監督さえ出来ればどこでもいい、と考えていたのに違いない。でなければ、というかもし引く手あまたなら、縁もゆかりもない、ましてや一度も経験したことがないセ・リーグの、しかも在京チームの監督を引き受けるわけがない。
まァ、悪く言えば飛びついたチームが野村にとって<偶然>もっとも向いていたチーム構成だったんです。
こうなると阪神で失敗したのは当然で、そもそも当時の阪神はあまりにも選手のレベルが低すぎた。ひたすら弱者の野球をするしかなかった。
野村は間違っても育成型の監督ではない。
潜在能力は高いのに殻を破れない、そうした選手を一流まで引き上げることは上手かったけど、関根潤三が得意とした我慢を重ねて起用し、一人前に育て上げるのは苦手だった。
つまり、ヤクルトと正反対で「もっとも向いてないチームの監督になってしまった」ということになります。
余談だけど、野村克也が就任した1999年当時の阪神の監督に向いていたのは、それこそ関根潤三のような育成全振りの人だったとつくづく思う。阪神OBで言えば、過去に失敗していたからあり得ないけど安藤統男のようなタイプだった。
野村阪神は、メチャクチャ長いスパンで見れば成功と言えんこともないけど、成功か失敗かで言えば、失敗でしょうね。
野村克也は一般には名将ということになるし、アタシも愚将か名将かで言えば文句なしの名将だと思う。
でも、たまたまヤクルトで<運>があっただけで、以降は阪神にしろ楽天にしろ運がなかった。とにかく阪神も楽天も、さすがに選手が足りなさすぎた。
監督にとって、選手に恵まれるかどうかは本当に<運>がすべてなのです。
選手が揃っている、とまで言わなくても、殻を破れてないにしろ潜在能力が高い選手がいっぱいいる、たぶん「監督をやりたいチーム」はそんな状態でしょう。
しかし、世の中そんな上手くはいかない。監督を要請されるタイミングにそんなチーム状態になってるなんて奇跡に近い。「いや、このタイミングで監督を引き受けるのは損だから断る」となったら、もう二度と監督要請がないかもしれない。
冒頭で金本知憲監督時代のことを書こうとしたけどやめた、というようなことを書きました。
アタシはね、金本はとことん運がなかったと思う。こんなツイてない人も珍しいと思うくらい運がなかった。
とくに2018年はこれでもかというほど運に見放された。
大枚を叩いたロサリオが大外れ、前半は雨に祟られローテーションがグチャグチャになって、後半は雨天中止の余波がモロに出てあり得ないレベルの過密日程。しかも打線の中で数少ない頼りになる打者だった糸井と北條が過密日程前に怪我で離脱した。
追い打ちをかけたのが、ファンに暴言を吐かれ言い返したところを<たまたま>ビデオに撮られるといった有り様。
それでもギリギリ踏ん張っていたんだけど、最後に中日に差されて、わずか1ゲーム差で最下位に転落。
もう、ここまで不幸が連続する?まるで花登筺のど根性ドラマじゃん、と思えるほど、不運が重なった。
そしてもうひとつ、この人は人脈もあまりなかった。
言っても金本は生え抜きではないから、広島と阪神、まァふたつは所属球団があったんだけど、広島人脈で引っ張れたのは高橋建だけ。西山秀二の招聘を計画するもギリギリで頓挫している。
後は全員、阪神時代のチームメイトで固めた。いや、固めるしかなかった、というのが本当のところでしょう。
その上、赤星憲広を招聘しようとするも体調を理由に断られ(これはしょうがないし、本当に無理なんだけど)、次期監督とさえ目されたていた今岡誠はロッテに取られた。
また「OBの抑え役」の意味を込めて三顧の礼で迎え入れた掛布雅之との仲が険悪になり、掛布自身の体調もあって2年で退団。実際これでOBによる金本叩きが苛烈になってしまった。
ここらへんでまとめに入りますが、アタシが思う「監督に必要なこと」の順位をつければ
1.運
2.人脈
3.見極め能力
4.モチベーター能力
5.育成能力
6.采配
になります。
まことに残念なことに、金本は一番大事な「運」と二番目に大事な「人脈」が極端になかった。
枝葉としか思っていない采配はともかくとして、「見極め能力」と「モチベーター能力」、「育成能力」といった<能力>と名のつくことはすべてクリアしていたと思う。
でも、いくら<能力>はあっても「運」と「人脈」がなけりゃ、そりゃどうしようもないわな、というのがアタシの中での結論です。
一方、金本知憲の後任の矢野燿大はまったく違う。
矢野の場合、とにかく「運」が恐ろしくある。とくに2020年に行われたドラフトでの強運はすごい。何しろ佐藤、伊藤、中野とルーキー時点でレギュラー、もしくはローテーション投手になれる選手を一気に3人も獲得出来たんだから。
正直人脈は金本とそんなに差があるわけでもないのに、キャンプで山本昌や川相を臨時コーチに招聘したり、一応は繋がりがあったとはいえ長年阪神と疎遠だった北川を呼び戻すなど、少ないながら人脈の掘り起こしが上手いことでカバーしている。
また、金本が「バットを振る力」と「筋トレ」に時間を割いたことで、矢野が監督になって以降にやっと花開いたのもツイている。また2回もクジを外しながら「チームの軸」にまでなれる近本を獲得出来たり、金本自身の目利きで獲得した大山、糸原、青柳といったあたりが主力に育つ時期だったのも運があった。
だからね、考えることがあるんですよ。
もし、金本と矢野の順番が逆だったら、どうだったんだろうなって。
それを言えば野村と星野仙一の順番が逆だったら、もしかしたらちょうど阪神の戦力が「野村に向く」状態になって、阪神でも名将の称号が得られたかもしれないな、と。
でもそれは無理だよ。何度も言うように監督に要請されるタイミングなんか「運」がすべてなんだから。んで悪いタイミングで要請された時点で、その人は監督に絶対必要な「運」がなかったってことなんだから、それはもう、失敗は運命付けられていると思うわけで。
実際に書き終わってからアップするまでに、かなりタイムラグがあるのがYabuniraの特徴とも言えるのですが、このタイムラグ期間にも矢野燿大は本当にツイてる、と思われる出来事がありました。 例のサイン盗み騒動から端を発して矢野叩きが苛烈になりましたが、ギリギリのタイミングでオリンピック期間に入りペナントレースが中断されたのです。 こんな<運>のある監督はそうはいない。冗談抜きに阪神の監督としては、いや全球団合わせて歴代でもっとも運が強い監督なんじゃないかと思ってみたり。 |
---|
@Classic #プロ野球 #プロ野球2021年 単ページ 監督 GM オーナー 編成部長 作戦コーチ 采配 人脈 野村克也 東京ヤクルトスワローズ 阪神タイガース 金本知憲 矢野燿大 PostScript #1990年代 #2010年代 #2020年代 #X/Twitter #スポーツ 画像アリ