えと、先週は<良くない意味での>初モノづくしで、阪神の勝敗は2勝4敗で「野球こぼれ」を始めてから初の負け越し。しかもオセロも終わり、デーゲーム連勝記録も日曜日連勝も終わったわけで。
えと、今回はまず母親の話をします。
ウチの母親は何たって「村山吉田時代」からの阪神贔屓でして、若い頃はとくに三宅秀史のファンだったらしい。
三宅秀史は金本知憲の連続試合出場の時に少しだけ話題になりましたが、あの長嶋茂雄以上とさえ言われた守備力を誇ったいぶし銀の名サードでした。
三宅秀史が好きだったっていう、そんな人だから、母親と話しているとどうしても野球の話になる。
今年は何としても甲子園に行きたい。そのためのお金も置いてある、とずっと言ってんだけど、何しろ今は絶対チケットが手に入らないからね。そのお金は財布の底に沈んだままです。
その母親がこんなことを言っていた。
「今年は観に行った試合がボロ負けでも、最後、佐藤に打席が回るってなったら、最後まで観るなぁ」
このキモチ、すごくわかります。
アタシもまったく同様で、仮に試合途中で帰るにしても佐藤輝明の最後の打席を見終えてから席を立ちたい。
こんな選手、アタシが阪神贔屓になってからは初めてで、鳥谷敬はもちろん、アタシは岡田彰布のルーキー時代も憶えているけど(ルーキーの年の西宮球場でのオールスターの、岡田のホームランをナマで観てるからね)、岡田でさえ、そんな感じじゃなかった。
おそらくは「田淵以来」なんだろうけど、田淵の阪神時代は憶えてるけど残念ながら田淵のルーキー時代は知らないし。
というかね、仮にボロ負けでも「佐藤輝明がホームランを打ったら、それだけで満足して家路に向かえる」と思うんですよ。
昨日の試合なんかまさにそうで、あんな初回から失点を重ねたワンサイドゲームでも、最後に佐藤輝明がホームランを打ったから、帰りの阪神ファンはニコニコだったと思う。
もちろん、点数が甘くなりやすいルーキーだってことは差し引かなきゃいけない。
大山だってルーキーの頃は打ったら称賛しかなかったのに、今は打って当たり前、打てなきゃボロクソに叩かれるようになったわけで。
つまり、それが立ち位置が変わるってことなのです。
いずれ、たぶんそう遠くない未来には佐藤も「打って当たり前」になると思う。つまり打てなきゃ叩かれる立場になる。
それでも佐藤のホームランって「とんでもないモノを見せられた」気分にさせてくれるってのは立場が変わっても変わらないと思う。
あの、スーパーボールのように飛んでいく打球を見るだけで、阪神贔屓は、いや本当の野球ファンなら他球団の贔屓でさえ、ため息が出るレベルです。
この「勝ち負けさえ超越した魅力」は後付けは無理なんですよ。
能力だけで言えば、そりゃあソフトバンク柳田悠岐やヤクルト村上宗隆なんかと比較すると佐藤はぜんぜん劣る。
でも「ホームランをナマで観た」ことが自慢になるのは佐藤だけだと思う。アタシがよしんば他球団ファンでも、いや佐藤が他球団に入団してても、観に行った試合で佐藤のホームランが観れたら自慢したくなるもん。いやどうでもいい場面なら「どうせなら、佐藤、ホームラン打て!」と思うかもしれない。
結局スーパースターなんて、そういうことだと思うんですよ。
数字とか、試合の勝ち負けとか、どこの球団のファンとかさえ関係なく、単純に「見たい」と思わせる。願わくば<ホームランを>見たいと思わせるのがスーパースターです。
しかし・・・、どうも、そのスーパースターの所属先が阪神タイガースってのが、信じられんのよね。いつになったらこの違和感は消えるんだろうか。