最近もう、つくづく、もう一回言うよ、つくづく思うのは、ジャズの原型ってクラシックなんだなぁということです。
なーにを当たり前のこと言ってんだ、と思われるのは百も承知。アタシもジャズにかんする本はそれこそ無数に読んだので、アタマではわかってたんだけど、それがやっと感覚になってきたっていうかね。
もっと言えば、ロックの原型がジャズとも言える。これも当たり前の話ですが、ロックは「楽器編成を大幅に崩したジャズ」と言い換えれるんじゃないかと。
さすがにそこまで単純ではないんだけど、それくらい単純化した方がロックへの親しみが持てる。んなもん、魂が、とか言い出したら各々の持ってるロック感が違うのが浮き彫りになってしまって余計にわかりづらくなる。
コンポーザーの宮川泰は「ジャズから入った者にとってロックは簡単だった」と言っていましたが、まァ、あまりにも素直に受け止めてしまうと「ロック舐めんな」みたいな話になっちゃうと思うけど、たぶん真意はそうじゃない。
言い方を変えれば、ロックとは「ジャズから余計な<アク>を取り除いて極力シンプルにした」もの、ということじゃないか。
シンプルな分、力強い。それがロックの<強み>ではないかと思うわけで。
ではジャズとクラシックの相関はというと、ジャズは「リズムを大幅に崩したクラシック」なのかもしれない。
ガーシュイン本人はジャズのつもりで作ったと言われる「ラプソディ・イン・ブルー」が「ジャズになりきってない、クラシックっぽく聴こえる」のは「リズムを崩しきれていない」からではないかと。
21世紀に入っで平井堅の歌唱でヒットした「大きな古時計」の原型はクラシックではないんだけど、クラシック編成で演奏されることを念頭に作られたのは間違いない。
ところがクラシック編成でありながら仁木他喜雄が編曲しミミー宮島が歌唱した「お祖父さんの時計」なんか、完璧なスイングジャズになっている。
これ、実に素晴らしいアレンジなんだけど、結局、突き詰めていけばリズム、というか譜割りがジャズになってるだけなんですね。つまりリズムをオーソドックスにすれば、完全にクラシックになる、という。
アタシはまァ、ジャズ好きな、正確には古いスイングジャズが好きな人間です。んで、今の今までクラシックにもロックにも何の興味もなかった。
しかしロックを「ジャズを極力シンプルに力強くしたもの」と言われると途端に興味が湧くように、クラシックを「ジャズのリズムを<正規化>したもの」と言われると、これまた無関心ではいられない。
いわゆるクラシックと銘打たれたのは長いのが欠点なんだけど、歌謡曲サイズまでコンパクトにしたクラシックは嫌う要素は何ひとつない、実はかなりアタシ好みなのではないか、と思い始めたのです。
フルバンドサウンドは大好きだし、管楽器が鳴り響くのも好き。だったらもう、当然の帰結というか。