POP ARTIST namco
FirstUPDATE2021.2.15
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 えと、たしか今はバンダイナムコですか。しかしそんなことはどうでもいい。
 何故なら今からアタシが書こうと思っているのは「1980年代の」ナムコのことなんだから。当然この頃はバンダイはバンダイであり、ナムコはナムコだった。
 つまりバンダイとナムコは何の関係もない会社だったわけでして。

 さてさて、1980年代と言えばアーケードゲーム黎明期であったと同時にパソコン(当時の呼び名で言えばマイコン)とコンシューマーゲーム機(家庭用ゲーム機)も黎明期だった。
 アーケードゲームやコンシューマーゲーム機は当然のことながら、パソコンにおいてもゲームは最重要ソフトウェアだったのですが、しかし今考えると、当時のプログラマーはとんでもない<能力超え>を要求されていたんだなぁと思います。
 少なくともパソコンのゲームにかんしては、プログラマーがプログラムを組むのはもちろんのこと、グラフィックも音楽も、すべてを<たったひとりで>作成していたのです。

 こんなことが可能か不可能か、ちょっと考えただけでもすぐにわかる。いわば、プログラマーとしての能力を有していながらグラフィックデザイナーとミュージシャンの能力が必要だったんだから。んなもん、ふたつまでならまだ能力がある人がいたのかもしれないけど、みっつとも全部、それも高いレベルで、となるともう絶望に近い。
 さらに言えばゲームバランスの妙だとか、世界観の構築能力、UIセンス=アクセシビリティデザインの能力とかまで含めると、とてもじゃないけど<たったひとりで>出来ることではありません。

 しかも当時はきわめてマシン性能が低いわけです。
 音楽で言えばたった3和音しか出力することが出来ない。ってこれだけじゃどれほど性能が低いかわからないかもしれないけど、たとえばピアノならピアノ一台だけでも3和音も4和音も出すことが出来ます。しかし当時のパソコンは、いわば「すべての楽器を合わせて」3和音なのです。さらに言えば爆発音などの効果音を使うともちろんそこに1音取られるわけで、これでは正直<編曲>なんて御大層なことが出来るわけがないのです。

 こんな制約だらけの性能ではプロのコンポーザーでも<まともな>音楽として成立させるのは不可能レベルで、もう、ほとんどは「ただメロディだけが鳴ってる」程度にしかならなかった。
 しかしね、この「ただメロディだけが鳴ってる」ってのはいわばスッピン素っ裸な状態で、これで人々の心を動かすなんて、よほどメロディが素晴らしい場合に限られる。つか、それこそ不可能だよ。メロディってのが音楽で一番ゴマカシが効かないところなんだから。

 当時のパソコンゲームはさっきから書いてるように、これらを全部、たったひとりで作るのが常識だったのですが、アーケードゲーム、つまりはゲームセンターに置いてあるゲームですね、はさすがに専門分野ごとに担当がついていた。ハードウェアの性能もゲームを作るのに適したものだったのでパソコンに比べると若干制限はユルかった。
 それでも音楽担当ならば「ハードウェア性能を十分理解した上で」メロディを作ることが求められたし、当時は音楽担当がサウンド関連にかんしてだけは自らプログラムを書くのさえ当たり前だったんです。

 きわめて少ない和音で、しかもたいしていろんな音が出せるわけではない。そんな悪条件の中でアタシが心を揺さぶられる音楽を奏でていたのがナムコのゲームだったんです。
 当時、これはすごい、と思っただけではなく、今聴いてもそれらのサウンドは何も色褪せていない。創意工夫が随所にあるにもかかわらずそんなことを一切感じさせない、あまりにも自然なアレンジ能力はもちろん、何よりも単純にメロディが素晴らしいのです。
 この頃、ナムコには大野木宣幸という優秀な人がいました。彼が担当した作品の中でもとくにすごいのが「リブルラブル」の音楽です。これはもう本当に、感動的なまでにすごい。
 このゲーム、現在でもあんまり移植されてないので知名度は低いけど、とにかく一度遊んで欲しい。いやせめてYouTubeかなんかで動画だけでも見て欲しい。とにかくBGMがまったく古びてないことに驚かされると思います。

 しかし大野木宣幸という人、ちゃんとした音楽理論を学んだことはまったくなかったらしい。
 だからか、ナムコの先輩コンポーザーからも「大野木の作るものは音楽の理論的におかしい」と言われていたと言います。つまりは理にかなったものではないというか、彼の作るメロディは理論から導かれたものではないのです。
 しかし、だからこそ逆に、この人は天才だったと思える。よほどの天才以外<理屈がわかってないまま>何か作ろうとするとメチャクチャになってしまうし、かと言って理屈さえわかっていれば素晴らしいものをこしらえることが出来るのかというと、それも違う。

 制約だらけのマシン性能で、インパクトがあるのに自然、というのを実現しているだけでも紛れもない天才で、徹底的に理論を積み重ねて「ドラゴンクエスト」を音楽を作ったすぎやまこういちといい意味で好対照です。
 すぎやまこういちのゲームサウンドは、いわば「フルオーケストラサウンドを性能の低い音源チップへ落とし込む」作業なのです。もちろんこれはこれで驚異的なレベルですごい。「ドラゴンクエスト」以前にも「落とし込み=アダプテーション」をやろうとして失敗したゲーム音楽など山ほどあったから。
 すぎやまこういちのやったことは、いわば「粗い解像度と少ない色数でどれだけ元の写真のイメージを壊さずに表現出来るか」に似ている。
 ところが大野木宣幸の場合、元の写真なんかない。さあここに粗い解像度と少ない色数の画材があるので、これで何かを表現してください。と言われて、イチから作った感じなのです。

 この「粗い解像度と少ない色数」で元になるものなど何も用意せず、イチから作って表現する、というのは当然グラフィックにも同じことが言える。
 というか、これこそ「1980年代のナムコ」魂なのです。
 これはナムコ最初の大ヒット作と言える「パックマン」から共通しており、他のアーケードゲーム会社が写真やイラスト、あと漫画などからのアダプテーションに挑戦する中、ナムコだけはそれをやらなかった。
 いや、ナムコだけと書くと語弊があるな。実は任天堂もなんだけど、任天堂がフシギなのは何故かサウンド面だけは昔から弱く、有名な「スーパーマリオブラザーズ」の「♪ チャラッチャッチャラチャ!」っていう出だしでさえ、実はそれほどキャッチーじゃないんです。

 さてさて、アタシはグラフィックデザインを本職にしております。
 ま、たいしたものではないのですが、それでもね、何というか、いまだに、ゲームのグラフィックは「写実的」ではなく「ポップアート」でなければならない、とずっと思っていて。
 現今、一番メジャーな、ポリゴンを使った写実的な3Dゲームってのが苦手なのは、結局は「不気味の谷」の問題が絶対に解消出来ないと思っているからなんです。
 不気味の谷の説明はメンドいのでWikipediaから引用します。

外見的写実に主眼を置いて描写された人間の像(立体像、平面像、電影の像などで、動作も対象とする)を、実際の人間(ヒト)が目にするときに、写実の精度が高まっていく先のかなり高度なある一点において、好感とは逆の違和感・恐怖感・嫌悪感・薄気味悪さ (uncanny) といった負の要素が観察者の感情に強く唐突に現れるというもので、共感度の理論上の放物線が断崖のように急降下する一点を谷に喩えて不気味の谷 (uncanny valley) という。


 何だかわかったようなわからないような解説ですが、とくに「プレーヤーの操作次第でどうとでも動かせる」ゲームの場合、写実的であればあるほど「どうやっても普通の人間では不可能な動きが露呈しやすい」のです。
 スポーツゲームなど「定形とも言える動きがすでに人々の脳内にインプットされている」ものはとくに顕著で、ポリゴンゲームが登場して30年以上経った現在でもいまだに解消出来ていない。
 しかも、これは半分は余談だけど、バグった3Dゲームの気持ち悪さは半端ではない。顔が崩れたり、腕や足があり得ない方向に曲がったり、人間が同じところで延々クルクルまわり続けたりする。
 この気持ち悪さこそまさに「不気味の谷」であり、どういうものか知りたい方はYouTubeで「3Dゲーム バグ」で検索していただければアタシの言わんとすることがわかってもらえると思います。
 ま、気分が悪くなっても責任は持ちませんけどね。

 これはフィクションでもアートでも同じことが言えるのですが、同じ違和感でも「あってもいい違和感」と「極力除去しなきゃいけない違和感」に分けられます。
 写実的な3Dゲームの違和感ってね、あきらかに後者なんですよ。というか写実的な3Dゲームの違和感はゼロに近ければ近いほど良い。
 しかし現実的に考えて、手間暇やバグることまで考えるなら、とんでもない労力になる。予算的なことを換算すればほとんど不可能なレベルです。
 ところがこれがポップアート寄りのグラフィックにすれば、こんな余計なのとはしなくてよくなる。
 つまり写実的から離れれば離れるほど、ゲームとしての違和感は後退してより自然になる。アニメーションもそこまで精密にする必要はなくなるし、単純な労力は相当数減るのです。
 そこだけ取れば良い事づくめなんだけど、決定的な問題がある。それはポップアートに近ければ近いほどグラフィックデザイナーのセンスが問われるのです。

 1980年代のナムコはそこら辺のセンスが図抜けていました。
 ハードウェア性能は同業他社と比べて決定的に高性能だったわけではない。つまり横並び。なのにナムコのゲームは圧倒的に美しかったのです。
 当時アタシが大好きだったゲームに日本物産の「ムーンクレスタ」がありました。
 ムーンクレスタの発売は1980年だったらしい。しかし前年の秋にリリースされたナムコの「ギャラクシアン」の方が圧倒的にキレイなグラフィックを実現しており、というかゲーム性はともかくグラフィックはムーンクレスタはギャラクシアンにはるかに及んでいなかった。
 その後もナムコは「ディグダグ」「マッピー」などの<ポップアートグラフィック>と呼んで差し支えない見事なグラフィックを実現させていきます。
 そしてその極北が「ゼビウス」で、ゼビウスのグラフィック自体はポップアートから逸脱してるんだけど、写実的ともまた違う、あくまでポップアートの発展形的な表現をしてきた。
 というか、これが今でもコンピュータグラフィックの究極だと思う。これ以上写実的にすれば破綻の可能性が出てくる。だからこれだけリアルで写実的な3D全盛期の今でも「ゼビウスこそコンピュータグラフィックの最高峰」と思えるわけで。

 1990年代に入って以降、アーケードゲーム機、コンシューマーゲーム機、パソコン、それぞれ飛躍的に性能が向上しました。
 とくに3Dにかんしては想像以上の発展を遂げ、アーケードゲームで言えば「バーチャレーシング」から始まったポリゴンを使ったゲームは一大ムーブメントになりましたし、一般にはゲームの歴史を語るとなると「ドット絵時代」と「ポリゴン時代」に分けるのが普通だと思う。
 しかし個人的には「ポップアート時代」と「写実時代」で分けた方がしっくりくる。
 コンシューマーゲーム機はPCエンジンやスーパーファミコン以降、ひとつのキャラクターにつき相当数の色数が使えるようになりました。そのせいかドット絵でありながらグラデーションを多用した<写実的>を標榜したようなゲームが多くなっていった。
 ドット絵でありながら写実的、の究極形態は「スーパードンキーコング」でしょう。これは今見てもたしかにすごいのですが、違和感もそこかしこに見られる。写実的の弊害です。
 それでも写実的化の流れは止めようもなかった。そしていつしか、1980年代にあれほど見事なポップアートグラフィックを実現していたナムコもその波に逆らえませんでした。

 もちろん以降もナムコは「ミスタードリラー」や「塊魂」などポップアート寄りグラフィックのゲームも作りましたが、「風のクロノア」などは過渡期というか如何にも中途半端で、キャラクターデザインはポップアート寄りなのに実際のグラフィックはポリゴンを使ったテラテラしたもので、ゼビウスのような「ポップアートからの発展形」にはなっていない。
 もうこの頃には<ほぼCD音質>というか、PCMを利用したサンプリング音源になっており、制約は皆無に近くなっていた。ナムコ黄金期を音楽面から支えた大野木宣幸はすでに退社しており、2000年代に入る頃には1980年代のナムコ魂は完全に失われたとおぼしい。

 だからといって1980年代のナムコが色褪せたわけではありません。
 先述の通り、アタシはグラフィックデザイナーを生業としておりますが、常に意識しているのはこの時代のナムコのゲームです。なんて言うと笑われるかもしれないけど、やってもやっても追いつけない。それほど奥が深い。
 アタシはずっと「1980年代は、ことデザインに限るなら人類史上もっともダサい時代」と言い続けていますが、ナムコのゲームだけは例外中の例外です。個人ではなくひとつの会社のカラーであそこまでポップアートを突き詰めた組織はなかったと思う。

 もし叶うならっつーか、いちデザイナーとしての夢を語るなら「ひとり1980年代ナムコ野郎」と呼ばれたい。
 もしそこまで到達出来れば、当時の自分に胸を張って「ナムコのゲームなら何の遠慮もなく遊べ」って言えるのですがね。

「体力のあるものでも賢いものでもなく、変化に対応できるものだけが生き残れる。」とはナムコ創業者の中村雅哉の言葉ですが、残念ながら私見ではナムコは変化に失敗したような気がしてなりません。
それだけ1980年代のナムコは素晴らしかった。あそこまで素晴らしかったナムコが果たして変わる必要があったのか。
「変化することは勇気だが、変わらないという決断をすることも勇気である」
老舗ブロガーの藪似氏の言葉です。




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