これねぇ、正直、通じるかわかんないんですよ。
というのも、児童館ってのが全国の各地区に絶対にあるものなのか、また今も普通に機能しているのか何も知らないわけで。
あまりにも個人的なイメージで児童館とはかくなるものです!と書くのはコワいので、Wikipediaから引用しておきます。
児童館は児童(児童福祉法上0歳~18歳未満の子ども)に健全な遊びを与え、その健康を増進し、または情操を豊かにすることを目的として設置される屋内型児童厚生施設。屋外型児童厚生施設は「児童遊園」という。
児童館にはその種類によって、集会室、遊戯室、図書室、静養室のほか、育成室、相談室、創作活動室、パソコン室などが設けられており、専門の指導員(児童の遊びを指導する者、かつての「児童厚生員」に相当)によって季節や地域の実情などに合わせた健全な遊びの指導が行われている。
ううむ、そうなのか、としか言いようがない。間違ってるとは思わないけど、子供の頃の記憶を紐解いても、そこまで高邁な理念をもって運営されていた、とは思わなかったですから。
ま、理念はどうでもいい。もっと個人的なイメージで言えば児童館とは「屋内型公園」に近いものだった、と記憶している。公園に様々な遊具があるように児童館にも「屋内で遊ぶのに適した」おもちゃやなんかが置いてある、という感じというか。
時代を考えれば当たり前ですが、アタシが子供の頃というと1970年代前半です。だから先の引用にあるような「パソコン室」のようなものはなかったし、何しろファミコンですら登場前なので、いわゆるゲーム機なんかもなかった。
では何があったか、たとえば「人生ゲーム」や「生き残りゲーム」のような子供向けボードゲームです。ま、生き残りゲームはボードゲームではないけど(Wikipediaでは一応ボードゲームに分類されている)、とにかく、当時おもちゃ屋に行けば売ってるようなゲームは設備されていたわけで。
もちろん<最新>ではないけどね。何年も使い古されたヤツ。そりゃあ予算内で設備を購入しなきゃならないんだから当たり前だけどさ。
で、アタシは、というと、まったくではないけど、児童館でこうしたボードゲームを遊んだ記憶がほとんどないのですな。
そもそも児童館に行く動機というか、状況と言えば「タイミングが悪くて遊ぶ友達がいない」場合に限られる。友達がいれば児童館なんかに行かずに公園とかその辺の道端で遊ぶからね。
ひとりで、となると、ゲーム機と違いひとりで遊ぶことが出来ないボードゲームを遊ぶわけがないのですが、では何をしに児童館に行ってたかというと、先述の引用で言えば「図書室」に行くためです。
アタシが小学生の頃の学校の図書室なんて、漫画と言えばせいぜい「はだしのゲン」くらいしかなかったんだけど、児童館はというと、もう漫画全振り。もしかしたら児童書のようなものもあったのかもしれないけど、そんなものには目をくれず、漫画だけを目的に児童館の図書室に行っていたのです。
先ほど「ボードゲームも最新のではなかった」と書いたけど、それは漫画も一緒でね。
予算の都合で、わりと古めの漫画本が置いてあるんだけど、いわば絶版になったようなものがかなり置いてあったので、それ目的で行っていたと。
中でもハマったのが「ど根性ガエル」です。
関西にお住まいの方なら、んで1970年代が子供時代だった方には如何にしつこく、アニメの「ど根性ガエル」が再放送されていたかご記憶でしょう。
とくに春休み、夏休みになると朝日放送(ABC)でね、午前中、たしか9時半くらいから「夏休みまんが大会」みたいな枠があって、数本のアニメが連続で放送されていたんだけど、ど根性ガエルは100%ラインナップされていたし、夕方にも再放送されていた時期もあったと思う。
だからもう、アニメ版ど根性ガエルにかんしては、何度繰り返し見たかわからないレベルなのですが、原作は読んだことがなくてね。絶版になってたようで本屋にも置いてなかったし。
ところが児童館の図書室に行けば全巻揃いである。しかもアニメ同様原作も面白い。
ただアニメと原作は、何というか、手触りが違っていて、原作は舞台設定もはっきりしているし(石神井公園界隈ということになっていた)、とにかく「東京の下町感」が強いんですよ。
あとアニメでは描かれなかった、南先生、よしこ先生、梅さんの三角関係もちゃんとケリを着けており、いやそれどころかピョン吉と○○が結婚して子供が出来る!なんて驚愕展開もあってね。(たしか○○はアニメ未登場だった気がする)
話は逸れるけど、たしかアタシが中学生の時だったかな、に「新ど根性ガエル」が始まったのですよ。
何でもど根性ガエルの関東での再放送の視聴率が驚異的だったらしく、新作が作られることになったみたいなんだけど、アタシはこれで「アニメ化されなかった終盤の展開がアニメになるんだ!」とおおいに期待したんです。
ところがただの焼き直しで、せっかく旧作と同じ演出家と脚本家を迎えておきながらムードも変わっちゃってたし、始まりと終わりがバンクシステムで同じ、とか(これは完全に予算の都合だったらしい)、かなり期待とは違うものだった。
あれ、もったいないよなぁ。何とかならんかったのか。
ど根性ガエルは週刊少年ジャンプに連載されていましたが、それこそ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」や「ONE PIECE」ほどの長期連載じゃない=そんなに巻数があるわけじゃない(全27巻)ので、読み終えるのにそこまで時間はかかりませんでした。
読むものがなくなったんだから、自然と児童館からは足が遠のく。またタイミングも悪かった。
ところがちょうどこの頃から子供の間で卓球が流行ったのです。
もう、何でそこまで唐突に卓球ブームがやって来たのか、さっぱりわからない。そもそもアタシの運動神経&反射神経の悪さは折り紙付きでして、仮にクラス中で流行っていようがアタシ如きが卓球になんてハマるわけがないのですよ。
ま、ハマるハマらない以前に、卓球台なんてどこにでもっつーか一般家庭に置いてあるわけがない。かといって「卓球場」のような仰々しい施設なんてどこの街にもあるわけがありません。
でもね、あったのですよ。卓球台が。児童館に。
ただし児童館自体がそこまで広い施設ではないので、たった2台しかない。この2台を、もちろんうちのクラスだけではなく全学年、いや厳密にはこの児童館の所在地は学区が違ったので他校の子らとも取り合うことになる。
とくに土曜日は、ま、こないだも書いたようにアタシらの時代は土曜日は半ドンだったんでね、つまり一度台を確保すれば夕方までたっぷりと楽しめるってわけです。
こうなると、もう人間、とんでもない力を発揮する。
もうね、終わりのホームルームの時間にはすでにランドセルに片肩をかけた状態で、学校から家までは猛ダッシュ。家にランドセルを置いたら今度は自転車で、全速力で児童館に向かうのです。
今考えたら、何だこの情熱。その情熱をちょっとは勉強に向けろよ当時のアタシよ。
一応、児童館にもラケットは常備されてました。ただこれが相当年季が入ったものでして。
何度もしつこく言うように、いったいどれだけ予算がなかったんだ、当時の児童館。
さすがにね、ラバーが剥がれかけているラケットではまともな勝負は出来ない。逆に全部剥がれてむき出しの方がマシなレベルで、んなもんラバーペラペラ状態では無理だよ。
となるとね、自分専用のラケットが欲しくなるんですよ。
児童館に置いてあったのは、いわゆるペンホルダーと言われるタイプので、文字通りペンを握るように握る。
今考えたらこれの方が<握り>からして本格的っぽくてカッコいいんだけど、アタシはね、シェークハンドってのに憧れていたんです。
ペンホルダータイプはラバーは片面にしか貼ってない。バックハンドで打つ場合は手首を返して打ち返します。一方シェークハンドはテニスのラケットのように普通に握るタイプで、ラバーも両面に貼ってある。
たぶんシェークハンドが欲しかったのは「まだ友達は誰も持ってなかった」というくだらない理由だったと思う。でもほんと、どうしても欲しくて欲しくて、とうとう、買ったんですよ。
ところがね、ちょうどマイラケットを買った直後くらいから急激に卓球熱が醒めてしまった。クラス内でも卓球ブームも終焉しかかっていました。
かくしてご自慢のシェークハンドラケットはほとんど日の目を見ないまま、棚の奥深くにしまわれた、とこういうわけでして。