そもそもですが、アタシは別に近鉄バファローズのファンではありません。プロ野球に興味を持って以来、徹頭徹尾、阪神タイガース贔屓です。
だったら何故、別に贔屓でもない近鉄バファローズの試合、それもいわばクライマックスとも言える、この日勝てば優勝決定、というイベント的な試合を観に行こうと思ったか、ま、はっきり言えばたいした理由はない。
1980年のことだから、まだアタシは小学生です。だからね、まァ、ノリですよ。如何にも小学生らしいノリ。そんだけ盛り上がってるんだったら、いっちょう、藤井寺球場とやらに行ってみたろか、みたいな。
アタシは神戸の小学校に通うクソガキだったんだけど、クソガキがひとりで神戸から藤井寺球場のある大阪府藤井寺市までとか、普通に考えたら行ける距離じゃない。いくらもう高学年だったといっても、何回も乗り継がなきゃいけないもん。
いや、正直言えば「近鉄バファローズの優勝決定試合を観たい」なんて、ただのきっかけ。いやきっかけどころかさ、それをダシにして、この遠出には別の目的があった、というかね。
その前に別の話を。
あれは1979年のことだから近鉄バファローズ云々の話の一年前のことです。学年で言えば5年生ってことになる。
この年の春からテレビで「ドラえもん」の放送が始まった。ってこんな昔の話になるのか。
それまでアタシはドラえもんを読んだことがなかったんだけどアニメ化をきっかけに激ハマりし、やがて他の藤子不二雄作品をも片っ端から読むようになります。
その中に「フータくん」という作品があった。厳密な作者は藤子不二雄Aだけど、この頃はまだコンビ解散前なので藤子不二雄でいい。というかとくに分け隔てなく読んでたし。
まァ、フータくん、で検索したら2000年代に話題になった「立ち上がるレッサーパンダ」のことや、どうぶつの森のふくろうも引っかかるけど、もちろん主人公はレッサーパンダでもふくろうでもありません。
F・A問わず、藤子不二雄の黄金設定と言えば「出来の悪い小学生の家に異生物が居候する」って感じだけど、フータくんにかんしてはまったく違う。
主人公のフータくんは子供は子供だけど「学校に行ってない」ところからして毛色が違う。両親のいないフータくんは、小学生くらいの年齢でありながら小学生には行かずに、全国を放浪している、という、天性の風来坊なのです。
当然風来坊なんだから他の藤子不二雄キャラ、それこそのび太なんかとは違い、とにかくパワフルなんです。
他にも藤子不二雄作品らしくないところはいっぱいあって
・時事ネタや流行りネタ満載。連載されていたのは1960年代半ばなので、当然その頃の、というかその頃に生きてないとわからないネタがバンバン出てくる
・主人公は放浪しているので毎回舞台が変わる
・アルバイトしながら放浪している設定なので細かい金銭の話が出てくる。とくに「100万円貯金編」は毎回最後に1円単位の収支が記載されている
・主人公のフータくん以外は手塚治虫考案のスターシステムを採用し、脇役キャラクターは見た目や口癖や大まかな性格は同じながら毎回設定が違う
・「100万円貯金編」なら100万円貯めること、「日本一周編」なら全都道府県を制覇すること、など、明確な目標が設定されている
何よりすごいのは、とにかくメチャクチャ面白い。というか抑圧されたって書いたらオーバーだけど、毎日学校に通わなきゃいけないという業を背負った小学生のアタシは(←これもオーバーだ)、気ままに日本中を旅するフータくんに心から憧れをおぼえたのです。
その後の人生で、アタシはあまたの人から「アンタは根無し草だ」とかなんとか言われたけど、ずっと、フータくんに影響されていたのかもしれない。それくらいこの憧れは強烈だったんです。
って、よくよく考えたらフータくんのせいでアタシの人生はメチャクチャになったのか。許さん!
フータくんの劇中、<ズタバッグ>なるものが登場します。ま、発明家が作ったって設定なので多分にフィクショナルなブツではあるのですが。
このズタバッグがあれば他に何もいらない。
モノが入れられるのはもちろん、寝袋にもなるし、膨らませれば空を飛びことも出来る。
もう、これは欲しかった。フータくんの<ライフスタイル>も憧れだったけど、ズタバッグにもメチャクチャ憧れたんです。
とはいえさすがにフータくんのライフスタイルを真似るのは無理がある。学校を辞めるわけにはいかないし、家出する勇気もなかったし。
でも、もしかしたらズタバッグは可能なんじゃないか。そりゃあ寝袋になるとか空を飛ぶとかは不可能だけど、もしひとりで生きて行かなきゃいけなくなっても大丈夫な装備を揃えて、それを詰め込めば、自分なりのズタバッグが出来るじゃん!と。
まずは、もし怪我をした時に備えて、家にあったかなり小ぶりのタッパーウェアの中に、おばあちゃん家にあったっつーか、おばあちゃんが大事に大事に使っていたタイガーバームをごっそりクスねた。
あ、まだタイガーバームが日本で正規に販売される前の話ですよ。お土産かなんかでもらったもので、めったに手に入らないからおばあちゃんはメチャクチャ大事に使ってたのに、半分くらいタッパーウェアに移し替えたのです。最低です今考えると。
もうひとつは秘蔵って言ったらオーバーだけど、2099年までのカレンダーが表示出来る電卓。カードサイズで、たしかカシオ製だったと思う。
まだ液晶ディスプレイ自体が珍しかった頃でね、今見たら小さいんだろうけど当時ならかなり大型のディスプレイを搭載していた。
そう考えたらアタシが最初に手に入れたモバイル機器ってことになる。ま、電卓なんだけど。
買った(買ってもらった)当初は嬉しくてね、これで未来に想いを馳せていたんですよ。
それこそ2001年のカレンダーとかを表示させてね、ああ、2001年っつーことは33歳になっているのか。その頃にはもう結婚して子供もいて、係長くらいにはなってるのかな。たぶん自分の持ち家なんか、いやぁ、案外マンションとか買ってるかも・・・。
・・・とか書いてて虚しくなる。2001年から20年経った今も、ひとつも実現出来ていないんだから。
兎にも角にも、これで準備は完璧です。ズタバッグ=リュックサックの中にはいつ怪我してもいいようにタイガーバームが入っているし、もし100年くらい家に帰れなくなっても「今日は何曜日!」ってわかる電卓も持った。
1980年10月11日、土曜日のことでした。家に帰ると母親は外出中で、メモと一緒にお好み焼きが置いてあった。
当時の小学校はまだ半ドン(土曜日は午前中まで授業)だったから「家に帰って、母親の作ってくれた昼飯(たいてい焼きそばかにゅうめん)を食べながら「ノックは無用!」を見る」ってのがルーティーンでした。
よくこの頃の、関西生まれの小学生は「吉本新喜劇を見てた」って言われるんだけど、吉本新喜劇は12時からなので、授業が終わって帰ってくると半分以上終わってるんですよ。そんな途中から見るか?
「ノックは無用!」(横山ノックと上岡龍太郎司会のトーク番組)も途中からだけど、これは途中から見ても問題ないからね。ま、吉本新喜劇も途中からでも問題ないっちゃないんだけど。ストーリーを楽しむもんじゃないし。
話が逸れた。
ふと、ひらめいた。そういや、今日、近鉄が勝てば、リーグ優勝(と言っても当時は前後期制なので後期優勝だけど)が決まる日か。ならば、このお好み焼きを持って、んで例のズタバッグを持って、藤井寺球場に行ってみよう!と。
神戸で生まれたアタシは、それまで<ひとりでの>最高の遠出はせいぜい西宮までで、大阪までは大人としか行ったことがなかった。
藤井寺、となると、国鉄(JR)か阪急か阪神かで梅田まで行って、そっから地下鉄御堂筋線に乗り換えて天王寺まで行って、さらに近鉄に乗り換えなきゃいけない。
これだけのことをするとなると、普通は不安なものなんでしょうが、アタシはワクワクしていた。
何が怖いことがあるもんか
大丈夫、このズタバッグがある限り、どうとでもなる!
もう何の問題もなく天王寺まで着きました。
しかしここで、とんでもない事態が待ち受けていた。
「本日の藤井寺球場の近鉄対西武戦のチケットは完売しました」
近鉄阿倍野橋駅の改札の前に、こんなものが貼られている。もう、いくら藤井寺まで行こうが、試合が見れないことに他ならない。
つまり、何とアタシは目的地に到着する前に、いきなり目的を奪われたのです。
これで、いきなり、なーんもやることがなくなった。それだけはたしかでした。
しょうがないので、駅の横にある天王寺公園で持ってきたお好み焼きを食べることにした。もうほんと、それくらいしかすることがないから。
ところが包み紙を開けた瞬間、何とも言えない異臭がする。で、中から出てきたのは真っ黒な異物。たしかにお好み焼きを持ってきたはずなのに、いったい何じゃこりゃ。
種明かしをします。
何しろ神戸から藤井寺までは距離がある。つーことは当然移動に時間がかかるわけで、藤井寺球場に着いてもまだ温かいように、と電子レンジでお好み焼きを鬼のようにチンチンにしてきたのです。
その結果、お好み焼きは変わり果てた姿になった。かと言ってカネなんてたいして持ってきてないから外食も不可能。つーことは、つまり、おいおい、これ、食わなきゃいけないのか・・・。
とにかく、口に入れた。
ングッ!何これ・・・
でも、何とかして、食べ、食べ・・食べ・・・食えるか、こんなもん!
ただただ苦く、しかも筆舌に尽くしがたい異臭もある。こんなもんを味わうなんてとんでもない。ただ、だまって、飲み込むしかない・・・。
1時間は経っただろうか。とにかく<元>お好み焼きを無理矢理完食したアタシはあまりの気持ち悪さに微動だに出来ませんでした。
そして急に、何かを悟ったような心境になって、すくっと立ち上がった。
帰るか・・・。
もう目的はないんだ
いや、最大の目的のお好み焼きは食べたじゃないか
目的を達成したら家に帰るのは当たり前だろ
すべての気力を奪われたアタシは帰宅した。出発してわずか5時間後のことでした。